「集合か。行くぞ、一奥(いちおく)」

杉浦(すぎうら)に強引に右腕を引っ張られ、一奥(いちおく)はよろけながら立ち上がった。

両チームが整列する中、トボトボ歩いてきた一奥(いちおく)は最後尾に並んだ。深くかぶった帽子のつばで、一奥(いちおく)の目は見えなかった。

「礼!」

『お願いします』

先攻は梯(かけはし)高校。守備についた西島(せいとう)高校のマウンドには、鶴岡(つるおか)が立っていた。

ライトには、二年の影山(かげやま)が入った。一番の五十嵐(いがらし)の打席後に、一奥(いちおく)がマウンドへ上がる。その後鶴岡(つるおか)は、ライトへ回る予定となった。

「プレイ!」

 

球審のかけ声と共に、マウンドの鶴岡(つるおか)が振りかぶる。

(全中を制したとはいえ、コイツらはまだ一年だ。俺にも三年としての意地がある!打てるものなら打ってみろ!)

パーン!
「ストライク」

見逃したバッターの五十嵐(いがらし)は、マウンドの鶴岡(つるおか)を見ながら余裕の笑顔で呟いた。

「へぇ。あのピッチャー、なかなか速いじゃん」

遠矢(とうや)からの返球を捕りながら、マウンドの鶴岡(つるおか)は五十嵐(いがらし)を見ていた。

(余裕って訳か……それなら)

鶴岡(つるおか)がサインを出して振りかぶり、キャッチャーの遠矢(とうや)が構える。

(くらえ!)

鶴岡(つるおか)が投げた瞬間、バッターの五十嵐(いがらし)はすぐに反応した。

(フォークか。って、この程度じゃねぇ……) パキーン!

「センター前だ!」

「なっ!?」

余裕の笑顔で打ち返した五十嵐(いがらし)の打球は、驚いた鶴岡(つるおか)の右を抜けた。

「仟(かしら)!」

マスクを外して叫んだ遠矢(とうや)の気合いが、セカンドの仟(かしら)の足を動かす。センターへ抜けるかと思われた打球を、仟(かしら)がダイビングキャッチ。倒れたまま、ショートの神山(かみやま)へグラブトスした。

「神山(かみやま)さん!」

「任せろ!」

素手で捕った神山(かみやま)が、ファーストの杉浦(すぎうら)めがけて懸命に投げた。

「セーフ!」

「くそっ」

間に合わなかった神山(かみやま)が悔しがる。一塁ベースを駆け抜けてへ戻ってきた五十嵐(いがらし)は、ニコニコしながらファースト杉浦(すぎうら)の背中をつついた。

「なぁ、あのセカンドよく捕ったな。」

「当たり前だ!」

イライラする杉浦(すぎうら)がマウンドの鶴岡(つるおか)へボールを投げると、「ん?」と眉間にシワを寄せた五十嵐(いがらし)が、仟(かしら)をジッと見て呟いた。

「あれ?アイツ……ひょっとして女か?」

目を丸くして仟(かしら)を見続け、野球に集中しない五十嵐(いがらし)の態度に杉浦(すぎうら)は怒鳴りつけた。

「うるさいぞお前!だからなんだ!」

五十嵐(いがらし)は、怒鳴った杉浦(すぎうら)に一瞬驚く。だが、すぐに目を閉じてニヤッと笑い、ヘルメットを撫でた。

 

「そんなに怒るなよ。……たださ、一奥(いちおく)のチームにはお似合いだと思ってね?」

「ぐぬぬ……くそっ。審判タイムだ!」

杉浦(すぎうら)は、ドカドカと歩いて一塁ベンチへ向かった。試合までの一ヶ月、毎日一奥(いちおく)と真剣勝負をしてきた杉浦(すぎうら)だからこそ、ふざけている五十嵐(いがらし)の態度が許せなかった。

杉浦(すぎうら)は、ベンチの隅で帽子を深くかぶったまま両手をだらしなく広げて座っている、一奥(いちおく)の前で怒鳴った。

「おい一奥(いちおく)、出番だ!マウンドであいつらを黙らせろ!」

杉浦(すぎうら)は一奥(いちおく)のグローブを手にすると、一奥(いちおく)の太ももへ叩きつけた。

目を開けた一奥(いちおく)は、視界に入ったグローブを右手で掴んだ。ゆっくり立ち上がって歩き出すと、一奥(いちおく)は杉浦(すぎうら)の左腕とぶつかった。だが一奥(いちおく)は、杉浦(すぎうら)を見る事なくマウンドへトボトボ歩いて行った。

そのマウンド上では、キャッチャーの遠矢(とうや)がボールを持って待っていた。

遠矢(とうや)は「一奥(いちおく)」と呼んだ後、下を向いたまま歩く一奥(いちおく)の胸にボール差し出した。遠矢(とうや)の持ったボールにぶつかった一奥(いちおく)は歩みを止めたが、その勢いでボールはマウンドにポトリと落ちた。

遠矢(とうや)がしゃがんでボールを拾う中、下を向いたままの一奥(いちおく)が呟いた。

「悪い…遠矢(とうや)」

一奥(いちおく)を見上げた遠矢(とうや)だったが、目にした切ない顔を見ていられず、すぐに下を向きながら立ち上がった。

遠矢(とうや)は、涙を堪えていた。

「そんな事はないよ」

遠矢(とうや)は、拾ったボールを一奥(いちおく)のグラブに入れてホームへ戻った。

(一奥(いちおく)……謝るのは僕の方なんだ……)

ホームへ戻った遠矢(とうや)は、ため息をついて座った。サインを出そうと一奥(いちおく)を見たが、一奥(いちおく)は下を向いたままグローブに収まったボールを見つめていた。

その時、一塁ランナーの五十嵐(いがらし)がぼそっと呟いた。

「プレイはもうかかったよね?」

一塁ランナーの五十嵐(いがらし)が走った。五十嵐(いがらし)の背中を見ながら、すぐにファーストの杉浦(すぎうら)が叫んで一奥(いちおく)を見る。

「走ったぞ!!……一奥(いちおく)」

声に反応しない一奥(いちおく)を目にしたファーストの杉浦(すぎうら)は、複雑な顔をしていた。

二塁ベースカバーに入ったセカンドの仟(かしら)に、一奥(いちおく)からの送球はない。すると、一奥(いちおく)の動きを見ながら走っていたランナー五十嵐(いがらし)の姿が、仟(かしら)の視界に入る。

五十嵐(いがらし)は、流しながら二塁ベースを踏んだ。

「盗塁成功。ねぇ君、女だよね?」

「それがなんですか?野球に関係ありません」

仟(かしら)は、うつ向く一奥(いちおく)を見ながら無表情で答えた。無愛想な仟(かしら)を見た五十嵐(いがらし)は、腕を組んで目を閉じるとニヤッと笑った。

「そう?全く無関係じゃないと思うけどなあ……」

定位置に戻ろうとしていた仟(かしら)が、意味深な五十嵐(いがらし)の言葉にピタッと立ち止まる。

横目で五十嵐(いがらし)を見ると、目を開けた五十嵐(いがらし)はベース上で仟(かしら)のいるセカンド方向を見た。両手を腰に当て、目が合った仟(かしら)にニヤッと笑いかけた。

「だってさ、この夏からチームメイトになるんだぜ?」

仟(かしら)のまゆが、ピクッと動く。

動揺を隠せない仟(かしら)の顔を見た五十嵐(いがらし)は、首をかたむけながら両手を左右に広げた。

「あれ?知らなかった?この試合で西島(せいとう)は負けるから、夏で廃部になるって話だぜ?」

「え……」

仟(かしら)は口を少し開けたまま、視線を逸らして目を泳がせた。ショックを受けた仟(かしら)に気づいた五十嵐(いがらし)は、「フッ」と鼻から声を漏らした。

「だからさ、来年度から梯(ウチ)とは姉妹校だから、転校すればいいんじゃないの?記念に甲子園へお連れしま~す!なんてね」

「君、私語を慎みなさい」

二塁ベースの前にいた審判が振り向く。五十嵐(いがらし)は「すみません」と二塁審判に苦笑いすると、再び仟(かしら)を見た。

「ま、そういうことだから」

仟(かしら)は横目で五十嵐(いがらし)見た後、無言でポジションに戻った。

(今の話が本当なら、この試合は絶対に負けられない!)

戻る仟(かしら)の背中を笑顔で見ていた五十嵐(いがらし)がホームを向くと、下を向いているマウンドの一奥(いちおく)の姿が目に入った。

(このまま三盗も行けそうだな……)

笑顔でススッと助走をとった五十嵐(いがらし)に、セカンドの仟(かしら)が気づいて叫んだ。

「三塁です!一奥(いちおく)さん!」

仟(かしら)のカン高い声が、一奥(いちおく)を反応させた。頭より早く体が勝手に三塁へ投げる体勢になっていた。

それを見たランナーの五十嵐(いがらし)は、素早く二塁へ戻った。

 

「おっと」(まぁ、無理しなくてもいいか。ピッチャーは一奥(いちおく)だからな)

二塁ランナーの五十嵐(いがらし)がリードを取る中、投げる形になっていた左腕を下ろした一奥(いちおく)は、ピッチャープレートを見ていた。

 

(そっか……俺、マウンドにいたんだ……)

遠矢(とうや)のサインを見る事も忘れ、一奥(いちおく)はセットポジションに入った。だが一奥(いちおく)は、バッターボックスに立つ二番七見(ななみ)の顔を見た瞬間、驚くように目を大きく開いた。

バッター七見(ななみ)の姿が、一奥(いちおく)の脳裏に中学時代の練習風景を思い浮かばせる。その記憶と、今の視界が重なってしまった。

投球モーションに入った一奥(いちおく)は、ショックで正気を保てていなかった。

この時一奥(いちおく)の投球フォームは、無意識に頭と体が覚えている中学時代のレベルになっていた。

投じられた球は、正に中学時代に打撃練習で七見(ななみ)が空振りしていた球。つまり、当時の七見(ななみ)の限界だった球だった。

バッターの七見(ななみ)がスイングに入る。

(インコースのストレート。遅いぜ!一奥(いちおく))

カキーン

快音の後、一瞬の静寂がグラウンドを襲った。

グラウンド内にいる全ての者が一歩も動けない中、三塁塁審の右腕が大きく円を描いていた。

ホームランを打った七見(ななみ)は当然といった表情で、ダイヤモンドを一周した。ホームベースを踏み、七見(ななみ)を迎えた二塁ランナーの五十嵐(いがらし)は、「まずは二点だな」とハイタッチをした。

続く三番の二宮(にのみや)とも手を合わせた七見(ななみ)の姿を見ながら、三塁ベンチからネクストバッターズサークルへ四番の九条(くじょう)が向かう。

(初回で終わりだ!一奥(いちおく))

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己自身である為に

球審から受け取ったニューボールを一奥(いちおく)に届ける為、遠矢(とうや)はマウンドへ向かおうとした。しかしタイムをかけた紀香(のりか)監督に呼ばれ、一塁ベンチへと走った。

「すみません、監督。一奥(いちおく)が打たれたのは……」

震えるほど強く右手を握りしめ、遠矢(とうや)はうつむきながら絞り出す声で話した。その遠矢(とうや)の肩に紀香(のりか)監督は手をやり、「遠矢(とうや)」と言葉を遮(さえぎ)った。

「今の一奥(いちおく)に、何を言っても響くことはない。この試合で彼は壊れてしまうかもしれないけど、野球で失ったものは、野球で取り戻すしかないわ」

紀香(のりか)監督の言葉に、うつ向いていた遠矢(とうや)は顔を上げた。

「監督……わかりました、行ってきます!」

この時、紀香(のりか)監督は一奥(いちおく)への言葉として話した。だが、小学生時代の自分を責めていた遠矢(とうや)には、自分が言われたように感じていた。

ホームへ戻った遠矢(とうや)は、「一奥(いちおく)」と呼びながらボールを投げた。ボールを捕った一奥(いちおく)の姿を見た紀香(のりか)監督は、立ち上がって両手をパンパンと鳴らした。

「さぁ、ベンチも声出して行くわよ!」

『はいっ!』

西島メンバーが心配そうに一奥(いちおく)を見つめる姿を見ながら、紀香(のりか)監督は「ふぅ……」と息を吐いて座った。

 

(少しずつでいい。一人一人が出来る事をすれば、必ずいつもの一奥(いちおく)が戻ってくる!)

 

しかし、続く三番の二宮(にのみや)が右バッターボックスに立ったその時、再び一奥(いちおく)はショックに襲われた。

かつてのチームメイトがバッターボックスに立つ顔が、そして仲間だと思っていたその姿が、どうしても中学時代に楽しく野球をしていた記憶と重なってしまう。

だがそれは、偽りの記憶。

今の一奥(いちおく)は、心の葛藤から逃れる手段を1つしか持っていなかった。

 

それは、七見(ななみ)に投じた時と同じ姿。中学時代の自分だった。

空振りしながらも楽しそうに、「もう1球だ!」と向かってくる中学時代の仲間の姿を現実と重ねる事で、一奥(いちおく)はショックから逃れていた。

「へへっ……ナイスホームランだ、二宮(にのみや)。次は打たせねぇ。もう1球……行くぜ……」

帽子のつばで、一奥(いちおく)の目元は確認できない。マウンドでぶつぶつ呟くその口元は、笑っていた。

(これで三点差か……マズイな)「審判、タイムをお願いします」

キャプテンの神山(かみやま)は、二塁審判にタイムを要求。内野手をマウンドに集めた。

「一奥(いちおく)、お前の気持ちはわからなくはない。だが、これ以上の失点は……」
「そっか……神山(かみやま)先輩も俺の敵か……元同僚(あいつら)はマウンドに集まると、俺たちが取り返すって……何点でも取られろって……言ってたぜ……」

この野郎。そう言いかけた神山(かみやま)が目にしたのは、下を向く一奥(いちおく)の帽子のつばから流れ落ちた涙だった。

村石(むらいし)も杉浦(すぎうら)も、仟(かしら)さえも今の一奥(いちおく)に何も言う事が出来なかった。

すると、顔を上げた一奥(いちおく)は、目を真っ赤にして涙ながらに訴え始めた。

「なぁ杉浦(すぎうら)先輩!俺の何がいけなかったんだよ!」

両手で杉浦(すぎうら)の胸ぐらを掴んだ一奥(いちおく)の目を、杉浦(すぎうら)は見れなかった。

落としたグローブを拾った一奥(いちおく)は、さらに泣きながら続けた。

 

「村石(むらいし)先輩、教えてくれよ……神山(かみやま)先輩はキャプテンだろ?教えてくれよ……そうだ、頭のいい仟(かしら)ならわかるだろ?頼む……誰か……教えてくれ……じゃなきゃ俺は、西島(ここ)でも仲間を失うことになっちまう……」

混乱して泣きじゃくる一奥(いちおく)。最悪の雰囲気の中、遠矢(とうや)だけは笑顔だった。

「一奥(いちおく)。監督の指示は、好きにしなさい!だったよ」

「遠矢(とうや)……」

 

「さぁ、楽しく行きましょう!」

遠矢(とうや)のかけ声で、それぞれがポジションへと戻る。だが、皆の心は複雑だった。特に、キャプテンの神山(かみやま)は後悔していた。

(一奥(いちおく)の言った通りだ。俺はキャプテン失格だな……。元チームメイトと何があったのかはわからないが、絶対にプレーで取り返す!)

グラブを強く叩いたショート神山(かみやま)の姿を見ていたセカンドの仟(かしら)は、その意味を理解していた。

(神山(かみやま)さん……元々この回、私がきちんとアウトにしていれば、少しは一奥(いちおく)さんを助けられたんだ。次は必ずアウトにする!)

 

「おやおや?」

センターからセカンド仟(かしら)の背中を見ていた要(かなめ)が呟いた。

(仟(かしら)の硬さがやっと取れた。あの打球でダイビングキャッチなんて、仟(かしら)らしくなかったからなぁ。私と同じくらい、足は速いからね)

双子とはいえ、姉は仟(かしら)。

仟(かしら)はいつしか姉らしくする為、元々の性格もあって要(かなめ)に遠慮しがちになっていた。だが要(かなめ)は、試合になれば仟(かしら)は全力プレーをする事を知っている。あえて皆に言う必要はないと思っていたが、少し心配していたようだった。

 

一人一人が出来る事をする。野球で失ったものは、野球で取り戻せばいい

紀香(のりか)監督の想いは、少しずつだが形になりはじめていた。

西島(せいとう)野手陣に、いい緊張感がみなぎる。

(((どんな打球でも、守ってみせる!)))

 

そして、四番の九条(くじょう)が左打席に立った。

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