「タイム!」

 

球審の声の後、木村(きむら)監督は松原(まつばら)と九条(くじょう)のバッテリーを三塁ベンチ前へ呼び寄せた。

 

「松原(まつばら)君。キミはどうしてオーバースローで投げているのですかな?本来の君は、サイドスローのはずです」

「監督!……何故それを」

 

驚く松原(まつばら)に対し、隣にいる九条(くじょう)は目を細めた。

 

「本当なのか?松原(まつばら)」

「あぁ。俺は元々、サイドスローを得意とするピッチャーだった……」

 

悔しそうな松原(まつばら)。九条(くじょう)は視線を移すと、木村(きむら)監督は松原(まつばら)を見ながら微笑んでいた。

 

「何か事情があって、松原(まつばら)君はオーバースローにこだわっていたのでしょうな」

 

すると、一息ついた松原(まつばら)が木村(きむら)監督に静かに話した。

 

「オーバーで投げていたのは、元チームメイトの斜坂(ななさか)剛二(ごうじ)のストレートに対抗する為でした」

「ほほっ、そうですか。これで謎は解けましたなぁ」

 

「監督。俺にサイドで投げろと言うのですか?」

 

声を張った松原(まつばら)は、再び悔しさをあらわにした。

 

(斜坂(ななさか)のストレートに勝つ目標でここまで完成させたんだ……監督は負けを認めろと言いたいのか……)

 

握られた右手を震わせる松原(まつばら)の姿を目にした木村(きむら)監督は、振り返ってベンチへ下がった。

 

「選ぶのは、君自身ですよ?松原(まつばら)くん」

「くっ……」

 

歯を食い縛り、松原(まつばら)は決断できずに苦しんでいた。その姿を見た九条(くじょう)は、思い出すかのように細かく頷いた。

 

「松原(まつばら)。確かにお前のオーバースローにはクセがある。どうするんだ?」

「悔しいが、あいつらのバッティングは本物。これでも俺は、速球投手としての限界をいくつも越えてきた。その結果、同世代からすれば全国でも指折りに入る球を手に入れたはずだった。梯(かけはし)に入学してお前たちには打たれたが、今思えばピッチングの自信を失わない為だったのかもしれない。サイドで打たれれば、今の俺に後はないからな……ストレートが伸び悩んでもいたが、140キロの壁は俺にとって予想以上に高かったのは事実だ」

「そうか……」

 

松原(まつばら)は、ベンチに座った木村(きむら)監督の前へ立った。

 

「監督。俺がサイドで投げれば、この試合に勝てますか?」

「そうですなぁ……1つ言えることは、君にとって大きな成長に繋がるでしょうな」

 

「そうですか……わかりました」

 

ベンチを出た松原(まつばら)は、覚悟を決めた表情で九条(くじょう)の隣に立つ。そしてマウンドを見つめた。

 

「九条(くじょう)、俺はサイドで投げる。斜坂(ななさか)に負けを認めたつもりはないが、西島(せいとう)打線にこれ以上打たれるのはもっと我慢出来ない。最強上橋(じょうばし)を梯(かけはし)で完成させた俺に、引ける場所はないんだ」

 

決意のマウンドへ歩き出した松原(まつばら)の気迫は凄まじかった。

 

(この試合に勝ち、斜坂(ななさか)のいる名京(めいきょう)高校にも勝って全てを証明する。最強は、俺たち梯(かけはし)高校だ!その為に俺はここにいるんだ)

 

松原(まつばら)の背中を見ていた九条(くじょう)は、振り向いて木村(きむら)監督を見た。すると、微笑みながら頷く姿に、九条(くじょう)は微笑んだ。頷いた九条(くじょう)は、ホームへ小走りで向かった。

 

(木村(きむら)監督を役に立たない監督だと思っていた。それは今でも変わらないが、松原(まつばら)をここまで変えたマジックのような行為は面白い。監督の言う通りになるのか、お手並み拝見といくか)

 

キャッチャーの九条(くじょう)が座り、盛り上がる西島(せいとう)高校は一番の要(かなめ)が勢いそのままに左打席へと入った。

 

「プレイボール!」

 

要(かなめ)は、球審より先に自分で言ってしまう程ノリノリだった。爆笑する西島(せいとう)ベンチを尻目に、サインを出した松原(まつばら)は外のシュートから入った。

 

パーン! 「ストライク。」

 

(キレキレ……)

要(かなめ)は手が出なかった。そして、キャッチャーの九条(くじょう)もしばらく返球を忘れていた。

 

(この球、あそこから曲がるとはな……フフッ)

 

西島(せいとう)ベンチは、ボックスにいる要(かなめ)と九条(くじょう)の様子に違和感を覚えた。同点押せ押せのバカ騒ぎは一変し、再びグラウンドに緊張感が走った。

 

だが一番驚いたのは、右手を見つめる投げた松原(まつばら)本人だった。

 

(今のは何だ!?こんな感触は初めてだ。これが、1年半以上ストレートのみを鍛えてきた副産物なのか!?あれから俺は、1度もサイドで投げた事はない。あの監督は、ここまで計算して言ったのか?だとすれば、こんなに嬉しい誤算はない。あの監督は只者ではない。いける!いけるぜ!!)「九条(くじょう)、ボールだ!」

 

興奮した笑顔の松原(まつばら)が堂々と前にグローブを突き出す姿は、自信に満ち溢れていた。九条(くじょう)はすぐに返球した。

 

[あぁ…ナイスボールだ」

[もう打たせないぜ!」

 

続く二球目。今度はストレートが手元でシュートしながら落ちた。バッターの要(かなめ)は、思わず声を出した。

 

「うわぁ!すごすご……」

パン「ストライクツー」

 

ボールを受けた九条(くじょう)も、思わず笑った。

 

「フッ…」(真ん中高めのストレートが、ベース付近からアウトローのストライクか…とんでもないシンカーだ。やはり松原(まつばら)がいれば、甲子園制覇も夢ではない!)

 

返球した九条(くじょう)は、横目で三塁ベンチの木村(きむら)監督を見た。

 

(西島(せいとう)ペースをたった一言で変えてしまった。笑って座ってるだけかと思ったが、とんでもない監督だったんだな)

 

視線を松原(まつばら)へ戻し、サインを見た九条(くじょう)はミットを構えた。

 

(遠矢(あいつ)は、ここまで計算していた。しばらく点は入らないと言っていたな。木村(きむら)監督が動けば、こうなるとわかっていた。そして監督は同点で動き、試合は止まった。なら……)

 

パーン! 「ストライクバッターアウト!」

 

アウトコースから急激に外へ逃げたシュートに、要(かなめ)は空振りした。

 

「ありゃ?」

 

キャッチャーの九条(くじょう)は、軽快にサード二宮(にのみや)へボールを回した。

 

(次に試合が動くとすれば、それは木村(きむら)監督が動いた時……)

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意地の球

「三振しちゃった」

 

ベンチ前で舌を出した要(かなめ)に、遠矢(とうや)は「どんな球だった?」と、すぐに聞いた。バットをケースにしまった要(かなめ)は、腕組みをして上目をキョロキョロさせた。

 

「う~ん…う~ん…。先の見えないジェットコースターみたいな球だね。」

「よくわかったよ、要(かなめ)。ありがとう。」

 

要(かなめ)が「えへへ。」と笑ってヘルメットを取ると、遠矢(とうや)の隣で聞いていた一奥(いちおく)がつっこんだ。

 

「ホントか?遠矢(とうや)。ジェットコースターでわかったのかよ。」

「ああ、一奥(いちおく)。しばらく点は入りそうにないね。」

 

「なんだよ。わかったのはそれか…。」

 

苦笑いした一奥(いちおく)がバッターボックスに目をやると、二番の仟(かしら)が初球を見逃していた。

 

パーン 「ストライク。」

 

仟(かしら)は、厳しい表情をしていた。

 

(要(かなめ)が見逃す訳だわ。ついて行けそうでついて行けない。とにかく変化するのが遅いし、加えて変化も鋭い。この人変化球投手だったの?一奥(いちおく)さんの変化球も凄いけど、これは質が違う。)

 

仟(かしら)の表情に、キャッチャーの九条(くじょう)はニヤリと微笑んでいた。

 

(やはり苦戦しているようだな。完璧なスイングをさせてもらえないのが、この球の一番厄介な所だ。早く気づかなければ、凡打の山は確実だ。)

 

パーン 「ストライクツー。」

 

仟(かしら)は、二球目も見逃した。

 

(ダメだわ。どうしてもストレートに見える。その形でスイングに入ると、左右の変化について行けない。当てるのが精一杯になる。次はおそらく外…シュートに張るしかない!)

 

三球目。追い込まれた仟(かしら)は、松原(まつばら)がサイドから投じた真ん中に見えるボールをジッと見つめた。

 

(まだストレートに見える。でもこの球はそこには来ない。振り始めると、球の終着点がわかる。お願い、シュートして…)

 

仟(かしら)がスイングに入ろうとした瞬間だった。出しかけたバットは止まり、仟(かしら)は悔しそうに目を閉じた。

 

パン! 「ストライクバッターアウト!」

 

仟(かしら)は下を向いてバッターボックスを後にした。

 

(最後は逆…。)

 

バッターボックスへ向かうネクストの神山(かみやま)に「スライダーか?」と聞かれた仟(かしら)が頷くと、ベンチから出てきた杉浦(すぎうら)にも声をかけられた。

 

「仟(かしら)、どんな球だ!」

「杉浦(すぎうら)さん。そうですね…実際は違いますが、バッターボックスでは直角に曲がってくるように見えます。」

 

「なんだそれは?」

「とにかく変化するまでが遅いんですけど、球は速いんです。」

 

「ふむ…。」

 

西島(せいとう)ベンチの慌てた様子を、キャッチャーの九条(くじょう)は納得の表情で見ていた。

 

(敵ながら気持ちはわかる。バッティングは来た球に合わせて打っていると思われているが、実際は少し違う。予測がボールをバットに当てる行為に繋がっている。これはブレ球として色々なスポーツが応用している無回転が有効な事からもわかるが、目測を誤れば合わせようとしても合わなくなってしまう。)

 

三番の神山(かみやま)が構え、松原(まつばら)が初球を投げた。

 

パーン「ストライク。」

 

全く合っていないスイングの神山(かみやま)を見て、九条(くじょう)はまたもや納得の表情を見せた。

 

(普通のスライダーは、スイングに入る前から曲がる方向は予測できる。だが予想以上に曲がる事で空振りをしてしまうが、そのスライダーが途中から逆に曲がる事はない。この場合、あくまで予測はどのくらい曲がってくるかに限られ、対応はできなくはない。だが今の松原(まつばら)のスライダーは、スイングに入る前はストレートに見える。同じようにストレートの軌道から予測した場所へタイミングを合わせてバットを出すが、松原(まつばら)が投げている球は感覚的にはフォークに近い。バッターは、左右のフォークを相手にしているイメージになるだろう。)

 

二球目。予測を超えるシュートに、神山(かみやま)のバットはまたも空を切った。

 

「くそぉ。」

 

悔しがる神山(かみやま)の姿に、九条(くじょう)は同情の目を向けた。

 

(空振りは当然だ。これは2度もプライドを捨てた松原(まつばら)による、正に意地の球。どちらに曲がるかわからない球の終着点を、スイング前に知る術はない。知れたとしても、目が慣れてイメージが固まらなければ振りきるのは難しい。松原(まつばら)の攻略は、二番のように覚悟を決めて予測を立てるのが正解だ。)

 

九条(くじょう)が横目でベンチに座る仟(かしら)を見ると、その目は食い入るようにマウンドを見つめていた。

 

(今の私には、予測が外れた場合の対処が出来ない。私が知る中であの球に対応できるバッターは…。)

 

ベンチで考えていた仟(かしら)が、わずかに腰を浮かせた。すぐに紀香(のりか)監督を見たが、腰を下ろして再びマウンドを見た。

 

(まだ初回なんだ。みんなを信じよう。それに…私も打ちたい!)

 

パーン「ストライクバッターアウト。チェンジ」

 

サイドスローに変貌した松原(まつばら)は、三者三振に「よし!」と力強く右手でガッツポーズした。

 

ようやく初回が終わった。二回の梯(かけはし)高校の攻撃は、四番の九条(くじょう)から始まる。

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