「小山田(おやまだ)!お前なら打てるぞ!自信を持てー!」

「白城(しらき)……」

 

二年の小山田(おやまだ)は、バックネット越しに叫んだ白城(しらき)をチラッと見ただけで直視できなかった。そのまま小山田(おやまだ)は右バッターボックスへと入って構えた。

その姿に、白城(しらき)は舌打ちをした。

 

「小山田……くそっ」

「プレイ!」

 

マウンドの松原(まつばら)が初球を投げる。小山田(おやまだ)は、歯を食い縛りながら空振りした。

(なんで……)

 

ブン…「ストライクツー」

(あの時僕は……)

 

追い込まれた小山田(おやまだ)の背後から、再び白城(しらき)の声が飛んだ。

 

「小山田(おやまだ)ー!諦めるな、食らいつけ!」

 

その瞬間、小山田(おやまだ)の眉がピクッと動いた。投じられた三球目をキッとにらみ、集中力の増したバットがボールへと送られた。

 

(白城(しらき)……)「うわぁぁぁ!」

ガギン 「くっそぉぉ!」

 

悔しがりながら走り出した小山田(おやまだ)に、白城(しらき)が腰を上げて叫んだ。

 

「走れ~小山田(おやまだ)!」

 

インコースのシュートに詰まった小山田(おやまだ)の当たりは、セーフティーバントのようにサード二宮(にのみや)の前へ転がっていた。

 

「にゃろう。こしゃくなぁ!」

 

二宮(にのみや)は素手でボールを拾うと、ジャンピングスローで一塁へ送球。ヘッドスライディングで一塁へ飛び込む小山田(おやまだ)の顔は、必死の形相だった。

 

(間に合え……)

ザザーッ…

砂埃が立つ中、キャッチしたファーストの八木(やぎ)とうつ伏せの小山田(おやまだ)が塁審を見た。

 

「アウト!」

 

塁審の声に、小山田(おやまだ)は右手で砂を握りながら立ち上がり、下を向いてベンチへ下がった。

 

(また……届かなかった……)

 

「ドンマイ!小山田(おやまだ)先輩」

 

ベンチを出た一奥(いちおく)の声に、小山田(おやまだ)は顔を上げて頷いた。だが、表情はさえなかった。

 

そして一奥(いちおく)がネクストバッターズサークルへと入った時、悔しがる白城(しらき)の姿が目に映った。

 

(どうしたんだ?いつもの白城(しらき)じゃねぇな……)

 

そしてバッターボックスへ向かう遠矢(とうや)も、白城(しらき)の姿を歩きながら横目で見ていた。

 

(過去と重ねてる?そんな気はするけど……)

 

遠矢(とうや)が右バッターボックスに入ったその時、ベンチでは仟(かしら)が、隣に座る神山(かみやま)へピッチャー松原(まつばら)の対策を告げていた。それを聞いた神山(かみやま)は、マウンドの松原(まつばら)を見ながら腕を組んで鼻息を漏らした。

 

「だか仟(かしら)、狙いはわかるが簡単に言い過ぎだぞ?実際に出来るものではない」

「そうですが、遠矢(とうや)さんなら打ちます!」

 

強い眼差しで打席の遠矢(とうや)を見つめる仟(かしら)を、神山(かみやま)はチラッと見て視線を遠矢(とうや)へ移した。

 

「遠矢(とうや)を八番にしたのは仟(かしら)、お前だ。あいつの打力を知らないとは言わせないぞ?」

「神山(かみやま)さん、私は知りませんよ」

 

「なにっ?」

 

驚いた神山(かみやま)に仟(かしら)はニコッと微笑んだ後、誇らしげに遠矢(とうや)を再び見た。

 

「遠矢(とうや)さんは、何を考えているのかわからないのです。ですが、確かな事実はありますから」

「確かな事実?」

 

「はい。一ヶ月前の私との勝負の時、遠矢(とうや)さんは私が捕れなかった一奥さんの球を軽々捕っていました。それは私とのキャッチング技術の差もありますが……」

「そうか!目か!」

 

眉を上げ、口をはさんだ神山(かみやま)の顔を見た仟(かしら)は微笑んだ。

 

「はい。西島(せいとう)高校の中で、誰よりも一奥(いちおく)さんの球を見ているのはキャッチャーの遠矢(とうや)さんです」

「だとすれば、遠矢(とうや)はあの球を見切れる……」

 

「はい。ですが、チャンスはおそらく一回です」

 

頷いた神山(かみやま)が遠矢(とうや)を見ると、ホームベースから離れた位置に立っていた。座りながら後ろへ下がったキャッチャーの九条(くじょう)は、口元を緩めながら遠矢(とうや)を見た。

 

「遠矢(おまえ)、それで松原(まつばら)のスライダーが打てるのか?」

 

構えた遠矢(とうや)は、マウンドを見ながらニヤリと微笑んだ。

 

「そうだね、投げればわかるよ」

 

その余裕の姿に、九条(くじょう)は表情を曇らせた。

 

(面白い。なら見せてもらうぞ!)

 

九条(くじょう)は予告通り、初球に外のスライダーを要求。ストライクを見逃した遠矢(とうや)の姿に、九条(くじょう)はボールをキャッチしたミットを出したまま眉間にシワを寄せた。

 

(こいつの事だ。何かを狙っているはず……なに?)

 

九条(くじょう)の目に、遠矢(とうや)がホームベースへ被さるように立ち位置を変える姿が映った。

 

(明らかにシュートを誘っている。だが、それで松原(まつばら)の球を打てるとは思えないがな)

 

九条(くじょう)は当然のようにシュートを選択した。投じられたボールは、遠矢(とうや)の太ももをかすめる程厳しいコースへと決まった。

 

「ストライクツー」

 

九条(くじょう)は返球しながら遠矢(とうや)を見たが、その立ち位置は変わらなかった。

 

(フッ……ならばもう一球シュートを投げるまでだ……)

 

サインを出した九条(くじょう)がインコースへ厳しい表情で構え、再び真ん中から急激に曲がるシュートが遠矢(とうや)を襲う。

 

その完璧な球に、九条(くじょう)のミットは今にもキャッチするかのごとく、大きく開かれた。

 

(タイミングは合っていない。見送り三振だ!)

キン! 「ファール」

 

打球はバックネットに当たり、九条(くじょう)は驚いたが冷静に球審からボールを受け取り返球した。

 

(遠矢(こいつ)、なんてスイングスピードだ。俺たちと比べても見劣りしない。どこの中学から西島(せいとう)高校へ来たんだ)

 

軽く素振りをした遠矢(とうや)が打席に戻ると、九条(くじょう)は座りながらマスクをつけ直した。

 

「遠矢(とうや)、お前どこの中学出身だ」

「中学?僕はアメリカだよ」

「アメリカ?」(なるほど、無名な訳だ。野球の母国か……面白い。ならば、日本人投手がメジャーで成功したあの球で決めてやる)

 

九条(くじょう)がサインを出す中、遠矢(とうや)は再びベースにかぶさるように構えた。

 

(これだけ寄れば、次もアウトコースは投げにくい。初球はわざと立ち位置を遠くして、スライダーを誘った。さっきのシュートも、僕がカットしたと九条(くじょう)は把握したはず……)

 

遠矢(とうや)の両手がグリップをギュッと鳴らした。

 

(準備は整った。次もインコースのシュートかもしれないけど、後は予測を外さないように集中すれば……)

 

松原(まつばら)が振りかぶり、九条(くじょう)は少し低めにかがんだ。

 

(松原(まつばら)が投げるサイドからのフォークは、シンカーとあまり変わらない。だがバッターには、シンカーよりもストレートに見せる事が出来ていた。フォークに比べ、シンカーの方が若干曲がりが早い。決め球ならフォークだ!)

 

そして、遠矢(とうや)がスイングの体勢に入った。

 

(松原(まつばら)の変化球は、ストレートと思わされて予測を外されてしまう。球の回転を、いち早く見極めるしかない!)

 

右のサイドから投げられたフォークが、ストレートの軌道でホームへ向かってくる。

 

眉を上げた遠矢(とうや)は、フォーク独特の回転を変化する前に察知した。ストレートの打ち方を覚えている体のクセから解放された遠矢(とうや)の腕が、今あるボールの高さからかなり低い予測した位置へバットを送り込まれる。

 

カキーン!

 

「なにっ!?」

 

驚いた九条(くじょう)が、マスクを取りながら立ち上がった。低めをすくった遠矢(とうや)の打球はレフトへ飛んだが、その打球は上がりすぎた。レフトの四本(よつもと)が懸命に追う中、キャッチャーの九条(くじょう)が叫んだ。

 

「捕れ~四本(よつもと)ー!」

 

しかし、打球を見上げているレフト四本(よつもと)がフェンス際で足を止めた。四本(よつもと)は、そのまま見上げる事しか出来なかった。

 

「よっしゃー!いったぜ遠矢(とうや)!」

 

叫んだネクストバッターズサークルの一奥(いちおく)が、飛び跳ねながらホームベースへ向かった。

 

キャッチャーの九条(くじょう)は、(あれをホームランにされては仕方がない)と、ダイヤモンドを一周する遠矢(とうや)を称えるような顔で見ていた。チラッと九条(くじょう)がマウンドへ目を移すと、松原(まつばら)は悔しがってはいるが、どこか嬉しそうにも見えた。

 

ホームを踏んだ遠矢(とうや)と一奥(いちおく)はハイタッチをし、スコアは10対9となった。遠矢(とうや)にバットを渡した一奥(いちおく)は、満面の笑みだった。

 

「やったな!遠矢(とうや)」

「しんどい勝負だよ、ホント……」

 

ベンチへ下がる遠矢(とうや)の背中にキャッチャーの九条(くじょう)は、(しんどいだと?嘘つけ、この野郎)と、ニヤつきながら見ていた。

 

そして、ネクストの九番一奥(いちおく)が打席に立った。

 

「よっしゃー、九条(くじょう)。今度は俺と勝負だ!」

「笑わせるな。お前が打てる訳ないだろ」

 

「うるせー!そんなもんはやってみねぇと……」

 

バン! 「ストライクバッターアウト!」

 

「あれっ?」

 

シュート三球空振りした一奥(いちおく)が、振り向いてキャッチャーの九条(くじょう)に叫んだ。

 

「おい!九条(くじょう)。フォークを投げろよ!」

「投げる訳ないだろ。そんな見え見えのアッパースイングに応えるピッチャーはお前だけだ。さっさと下がれ」

 

「くっそぉ」

 

悔しがりながらベンチへと歩く一奥(いちおく)の下へ、ネクストの要(かなめ)がニヤニヤしながら来た。

 

「一奥(いちおく)ん。私がすごいの見せてあげるから、写メ撮っていいよ!」

「写メ?」(要(かなめ)にはすでに、色々と見せてもらってるけどなぁ…。)「あ!俺スマホ持ってないぞ?」

 

「ん?アナログマンか」

「えー?」(どっかで言われた気が……)

 

「アハハ!」

 

楽しそうにバッターボックスへ向かった要(かなめ)の後ろ姿を一奥(いちおく)が見ていると、笑顔で要(かなめ)が振り向いた。

 

「では、行ってきまーす!」

 

要(かなめ)は、軽くスキップしながら左バッターボックスへと入っていった。

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くのいち打法

ベンチへ一奥(いちおく)が笑顔で帰ってきた。

 

「みんなー、要(かなめ)が面白い事するから写メ撮っていいってよ。」

「ちょっと待て!一奥(いちおく)」

 

怒り顔の杉浦(すぎうら)が、立ち上がりながら叫んだ。バットをケースに刺してヘルメットを置こうとした一奥(いちおく)は、手を止めて不思議そうな顔で杉浦(すぎうら)を見た。

 

「お?杉浦(すぎうら)先輩お怒りか?」

「当たり前だ!なんだ今の三振は。この試合は俺とお前のホームラン合戦だぞ!」

 

「そうなの?」(それは知らなかったな……まぁいいけど)

 

苦笑いする一奥(いちおく)の目に、要(かなめ)の姿を不思議そうに見る西島(せいとう)メンバーが映った。「ん?」と、すぐに振り返ると、要(かなめ)はバットを腰まで寝かして少し低い構えをしていた。

 

杉浦(すぎうら)が要(かなめ)の構えに目を奪われている隙に、一奥(いちおく)は遠矢(とうや)の隣に座った。

 

「あれでどうやって打つんだろうな?」

「さぁ、どうだろうね」

 

すると、二人の側に座っていた仟(かしら)が「ハァ~」とため息をついた。それに気づいた一奥(いちおく)と遠矢(とうや)が仟(かしら)を見ると、困り顔をしていた。二人の視線に気づいた仟(かしら)は、チラッと目を合わせて下を向いた。

 

「すみません……あの構えは私たちが本格的に野球を始めた六才の頃、初心者の要(かなめ)が間違えたものなんです……」

 

仟(かしら)は目を閉じ、左手で申し訳なさそうな顔を隠した。「ふ~ん」と興味を持った遠矢(とうや)が仟(かしら)に聞いた。

 

「あのままでもヒットなら打てそうだけど、間違えた構えってどういうことなの?」

「それは……」

 

遠矢(とうや)を見た仟(かしら)が話し始めたが、それを聞いた一奥(いちおく)が要(かなめ)を見て嬉しそうに腰を浮かせた。

 

「あ!仟(かしら)。背中越しでわからなかったけどさ、左手が逆だよな?」

「そう……ですね……」

 

「あれじゃホントにくのいちじゃねーかよ!」

 

一奥(いちおく)は、居合い抜きのように構えていた要(かなめ)を横目に立ち上がると、杉浦(すぎうら)の横へ正座の形でベンチへ飛び乗った。

 

「なぁ杉浦(すぎうら)先輩、スマホスマホ!早く貸してくれよ」

「ん?俺は持ってないぞ」

 

「なんだよ、アナログマンか」

「なに?」

 

残念がりながら一奥(いちおく)は立つと、仟(かしら)の隣に座った。

 

「まぁいいや。仟(かしら)、要(かなめ)はあの逆手で本当に打てるのか?」

「そうですね……松原(まつばら)さんの球はわかりませんが、一応リトル時代はアレで打ってましたから」

 

「マジかよ!スゲェな」

「いえ……そうではありません。直しても無意識に戻ってしまっただけです。当時の監督も、まだ小学生だからと笑っていましたので……」

 

「ってことは、六年間も要(かなめ)はアレで打ってたのか?」

「はい。きちんと直せたのは、シニア時代になります」

 

興味津々の一奥(いちおく)と小さくなっている仟(かしら)が要(かなめ)を見つめる中、遠矢(とうや)が他人事のように口をはさんだ。

 

「でも仟(かしら)。要(かなめ)の集中力は上がってるみたいだよ?あの構えだと、変化がよく見えてるみたいだね」

「遠矢(とうや)さん、このままでいいのですか?」

 

ヘルメットをかぶる仟(かしら)が少し強く言い放ったが、遠矢(とうや)と一奥(いちおく)は要(かなめ)を見ながら微笑んだ。

 

「いいんじゃないかな?」
「そうだぜ?仟(かしら)。面白いじゃん」

 

仟(かしら)はガクッと腰を下ろした。

 

「二人して言いますか……」

 

すると、遠矢(とうや)がニヤリと仟(かしら)を見た後顎に左手を当てて上を向いた。

 

「そういえばさぁ。要(かなめ)は仟(かしら)が器用だって言ってたなぁ……」

 

バットを握った仟(かしら)の手がハッと止まる。

 

「遠矢(とうや)さん!私はやりません!」

 

叫んだ仟(かしら)の声に、遠矢(とうや)は微笑みながらその場に立った。そして仟(かしら)の背中をネクストへ押した。

 

「それはさ、ネクストバッターズサークルで決めなよ。もうフルカウントだよ?」

 

「あ……」と、仟(かしら)は急いで移動し始めた。

 

「もう……要(かなめ)のせいで私のリズムがメチャクチャだ……」

 

呟いた仟(かしら)がネクストへ座ると、全てを聞いていた紀香(のりか)監督が口を開いた。

 

「みんな要(かなめ)しか見てなかったと思うけど、あの構えをした時の木村(きむら)監督の顔は傑作だったわよ?」

「マジで!」
「本当ですか?」

 

一奥(いちおく)と遠矢(とうや)が笑いながら声を出すと、その姿に紀香(のりか)監督は微笑んだ。

 

「ふふっ。やられたぁって顔してたわよ。それに要(かなめ)は次がもう七球目。全然当たらないあなたたちより頑張ってるじゃない。あの構えって、そんなにダメなのかしらね?」

 

イタズラに首をかしげる紀香(のりか)監督の姿に、一奥(いちおく)と遠矢(とうや)を除く西島(せいとう)メンバーたちは、紀香(のりか)監督が素人という事もあり苦笑いをした。だが、それでも何かを期待させる要(かなめ)の姿から目を離せなくなっていた。

 

キン「ファール。フルカウント」

 

球審がキャッチャーの九条(くじょう)にボールを渡す中、要(かなめ)は前に飛ばない打球を不思議に思うように、間違えた握りを見ながら首を左右に傾けていた。

 

「いい感じなんだけどなぁ……久し振りだし、ぶっつけすぎたかな」

 

一人言を言って構えた要(かなめ)を見ながら、キャッチャーの九条(九条)は不満げだった。

 

(この打ち方は厄介だな……長打の確率は低いが、ボールを捕らえる位置が問題だ。かなり後ろでも片手で対応される。しかもこいつは慣れているのか?……仕方ない)

 

九条(くじょう)のサインにマウンドの松原(まつばら)が僅かに顔をしかめたが、頷いて振りかぶった。投じられた外のシュートに、九条(くじょう)は小さく頷いた。

 

(ボールだが歩かせる。手を出すなら儲けものだ)

 

「ボール、フォア」

(見切ったか……)「オーケーだ。松原(まつばら)」

 

ボールを返す九条(くじょう)の声に、松原(まつばら)は頷きながらキャッチした。座った九条(くじょう)は、横目でバッターボックスへと歩いてくる仟(かしら)を見ていた。

 

(ただ歩かせたつもりはない。松原(まつばら)の球数を考えれば、ここから抑えた方が早い)

 

そして、二番の仟(かしら)が左打席に立った。ため息をついた仟(かしら)が構えると、キャッチャーの九条(くじょう)は眉を寄せた。その時、一奥(いちおく)が仟(かしら)の背中に叫んだ。

 

「おお!仟(かしら)もくのいちじゃねぇか!」

 

その瞬間、顔を赤らめた仟(かしら)が一塁ベンチへ振り向いて叫んだ。

 

「一奥(いちおく)さん!止めてください!」

 

結局仟(かしら)はくのいち打法で構えたが、集中出来ずにいた。

 

(もぅ……どうして私が恥ずかしい想いをするの……)

 

だが仟(かしら)の気持ちとは裏腹に、キャッチャーの九条(くじょう)は目を閉じていた。

 

(まさかこいつもこの構えとはな。歩かせたのは誤算だったか……どうする……)

 

下を向き、なかなかサインを出さない九条(くじょう)の姿を目にしたベンチの遠矢(とうや)が、目が合った一塁ランナーの要(かなめ)にウインクした。対して要(かなめ)も、微笑みながらウインクで返す。

 

ようやくサインを出した九条(くじょう)に頷いたピッチャーの松原(まつばら)が足を動かした瞬間、要(かなめ)が笑顔で動いた。

 

「走った!」

 

叫びながら、二塁ベースカバーへセカンドの五十嵐(いがらし)が入る。バッターの仟(かしら)に集中していた九条(くじょう)は油断もあり、(なにっ?)
と、投げられなかった。

 

二塁へスローインする体勢を崩した九条(くじょう)は、ヒョイっと松原(まつばら)へボールを返した。

 

(やられたな……あの一番バッターは本当にくのいちか?無警戒だったが、それでも刺せたかはわからない……ツーアウト二塁。ヒットで2点差)

 

座った九条(くじょう)は、横目で一奥(いちおく)を見て「フッ……」と微笑んだ。

 

(そういえば、点差を考えるのは中二の夏以来なかったな……)

 

その時、バッターの仟(かしら)は盗塁に成功した二塁の要(かなめ)を見ていた。

 

(ここはチャンスだ。要(かなめ)を返したいけど……)

 

仟(かしら)は複雑な顔で一塁ベンチへ振り向いた。目が合った紀香(のりか)監督が笑顔で小さく頷くと、仟(かしら)の目つきが鋭くなった。

 

(やっぱりこれで、打つしかない!)

 

雰囲気が変わった仟(かしら)の姿に、二塁ランナーの要(かなめ)が気づいた。

 

(仟(かしら)が本気になった!あの時私が打てるように見本を見せてくれたのは、仟(かしら)だからね……)

 

リードを取った要(かなめ)は、懐かしそうにその姿を見ていた。

 

(どうしても逆手の構えになって打てなくて、幼い私はよく泣いてたなぁ。仟(かしら)は打たせてあげるって言って、色々考えてくれた。その時教えてくれたのが、引き手のみの片手打ちだったね……)

 

セットに入った松原(まつばら)が、二球目を投げる。その瞬間、仟(かしら)の目が大きく開いた。

 

「ハッ!」

「ストライクツー」

 

見逃した仟(かしら)は、唇を軽く噛んだ。

 

(ここでフォーク……やられた……)

 

その表情を見たキャッチャーの九条(くじょう)は、返球しながら狙い通りと小さく頷いた。

 

(これで追い込んだ。一番バッターは、スライダーの方がカットしやすいように感じた。やはり勝負球は……)

 

三球目、キャッチャーの九条(くじょう)はインコースのボールになるスライダーを要求。仟(かしら)は中途半端にバットを出し、ボールではあったがファールにした。

 

「ふぅ。」と息をついた仟(かしら)の姿に、九条(くじょう)はニヤリと口角を横に広げた。

 

(これでフォークが頭に浮かぶ。だが勝負球は外のシュートだ。こいつが慣れる前に決める!)

 

そして投じられた外のシュート。仟(かしら)はフォークではないといち早く見極めたが、ベタ足のまま動かない。

 

(どちらに曲がる?シュート!)

 

球を認識したが、仟(かしら)は完全に振り遅れた。

 

しかし、ここで仟(かしら)の左手に変化が表れる。間に合わないと感じた仟(かしら)は、右手でスイングしながら左の逆手を徐々に直してバットを前へ押した。そしてインパクトの瞬間元の握りに戻し、ボールを切るように捉えた。

 

打球は、レフト線に上がった。

 

(よし!)

 

そう思ったキャッチャーの九条(くじょう)だが、この打球が意外に伸びる。走り出した仟(かしら)は、打球を見ながらリトル時代の自分を思い出していた。

 

(あの構えから遠くに飛ばすには、これしかなかった。左手で加速、アッパースイングの軌道、戻した握りでインパクトの瞬間に手首をこねてバックスピンをボールにかける!届いて……)

 

走りながら仟(かしら)が祈る中、打球はフェンスまで届くかファールか微妙な所へ飛んでいた。そして、斜めに追いかけダイビングしたレフトの四本(よつもと)が、ポール際のフェンスにグローブを出して激突。

 

打球は、四本(よつもと)のグローブをボール一個分かわし、ポールに当たった。

 

『よっしゃーー!!』
「ホームランだー!」
「すげぇ!」

 

西島(せいとう)ベンチから歓喜の声が飛ぶ。

 

要(かなめ)がホームインする中、二塁キャンバスをホッとした表情で回ろうとした仟(かしら)に、セカンドの五十嵐(いがらし)が話しかけた。

 

「お前すげぇな。これで2ホーマーかよ。ま、来年待ってるぜ」

「それは残念です。私は西島(せいとう)野球部員ですから」

 

仟(かしら)は笑顔で右腕を上げ、セカンドの五十嵐(いがらし)は苦笑いしながらグラウンドを蹴っていた。

 

「ホームイン!」

『いぇーい!』パチン!

 

ホームで両手を上げていた要(かなめ)に、仟(かしら)も両手で応えた。そして二人は、並んでベンチへ歩き出した。

 

「ねぇ仟(かしら)。今の打ち方って私にこの構えで長打を打たせる為に考えてくれた打ち方だよね?」

「うん」

 

すると、要(かなめ)は苦笑いした。

 

「結局私は出来なかったけどね」

「そうだけど、もう要(かなめ)には必要ないよ。私だって、今のはマグレ当たりだから」

 

「そっかぁ。でもいつか私ももう一度やってみようかな!今なら出来るかな?」

「ウフフ。その限界……なんて言ったら、一奥(いちおく)さんみたいだね。要(かなめ)ならきっと出来るよ」

 

仟(かしら)のホームランで、試合は12対9になった。二人がベンチ前へ戻ると、テンションの上がった一奥(いちおく)が飛び出してきた。

 

「ナイスバッティング!仟(かしら)。なぁ、俺にもくのいち打法教えてくれよ!」

「一奥(いちおく)さん、それは要(かなめ)に教わって下さい。私はもうやりませんから」

 

仟(かしら)はイタズラ顔で一奥(いちおく)の横を通り過ぎ、ベンチへ座った。不満げに仟(かしら)へと振り向いた一奥(いちおく)だったが、すぐに目の前にいる要(かなめ)に話しかけた。

 

「なぁ要(かなめ)」

「ん?構えはね……」
「要(かなめ)!本当に教えなくていいの」

 

ポーズを取ろうとした要(かなめ)に、仟(かしら)が指を差して止めた。要(かなめ)は「えへへ」と笑いながら一奥(いちおく)横を通り過ぎると、仟(かしら)の隣に座った。

 

「なんだよ、つまんねぇなぁ。まぁいっか」

 

一奥(いちおく)も「にひひ」と笑い、ベンチへ座った。

 

一方、キャッチャーの九条(くじょう)はマウンドにいた。そして表情は、余裕を感じさせるものだった。

 

「どうだ?松原(まつばら)。そろそろ行くか?」

「そうだな。だが、八番の遠矢(とうや)から行く」

 

松原(まつばら)の自信溢れる表情に、九条(くじょう)は「フッ」と笑った。

 

「わかった。いいだろう」

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