八回の表、二番の七見(ななみ)が打席に立った。
「一奥(いちおく)!ストレートで来い!」
「俺は知らねぇよ。遠矢(とうや)に聞いてくれ」
「なに?」
すると七見(ななみ)は、キャッチャー遠矢(とうや)へと振り向いた。
「おい、キャッチャー。一奥(いちおく)のストレートと勝負させてくれ。俺は借りを返す!」
「それは難しい相談だね。こっちも打たれる訳にはいかないから、条件付きなら。初球はストレートでいいよ」
「ははっ。一奥(いちおく)のキャッチャーを真面目に務めるだけあるな。うっし、来い!」
七見(ななみ)は嬉しそうに構え、一奥(いちおく)は振りかぶった。
「今は機嫌がいいからな。大サービスだぜ?七見(ななみ)。うりゃー!」
(一球で仕留める!)「だぁ!」
「ファール」
七見(ななみ)はバットを地面に叩きつけた。
「くそ!」
すると、返球を受けた一奥(いちおく)がニヤついた。
「遠矢(とうや)、もう一球ストレートでもいいか?」
「わかったよ。それでいこう」
二人の会話を聞いた七見(ななみ)の顔が微笑んだ。
「マジか!出血大サービスだな。ありがてぇ……」
しかし、二球目も三塁側へのファールとなった。
「くそっ、嫌な記憶が蘇るぜ」
すると一奥(いちおく)が、再び七見(ななみ)を挑発した。
「飛ばねぇなぁ七見(ななみ)。ならもう1球ストレートだ!」
三球目、一奥(いちおく)が振りかぶった。
「そう何度もやられて……なっ!」(俺が……振り遅れてる?)
ズバーン!
「ストライクバッターアウト」
「よっしゃー!ワンアウト」
一奥(いちおく)は、元気に左手を握った。ベンチへと下がる七見(ななみ)は、相変わらずの強きだった。
「一奥(いちおく)、もう一度勝負だからな!」
「もう八回だぞ?回るわけないだろ」
「なら追いつけ!延長で俺が決める」
「それは楽しみだな」
続く三番の二宮(にのみや)は、悔しがる七見(ななみ)と言葉を交わす事なく集中して打席に立った。
「俺は七見(ななみ)のように注文はしない。どんな球でも打ってやる。さぁ来い!」
初球は膝下のスライダーがストライク。二宮(にのみや)は見極めるように見送った。
「どうした?二宮。来いよ!」
挑発した一奥(いちおく)だが、遠矢(とうや)は冷静に同じスライダーを選択した。
二宮(にのみや)は、またストライク見逃し。そして、一奥(いちおく)を睨みつけた。するとここで、一奥(いちおく)の眉が上がった。
「そういうことか。なんだよ二宮(にのみや)。最初からストレートを狙ってるじゃねぇか。ならいいな!遠矢(とうや)」
「……仕方ないね……」
三球目、一奥(いちおく)は二宮(にのみや)の待っていたストレートを投げた。
その瞬間、二宮(にのみや)の目つきが鋭くなった。
(来た!七見(ななみ)の打席でタイミングはバッチリ。ここだぁ!)
パーン!
「ストライクバッターアウト」
「くっ」(なぜだ?なぜ合わない……)
狙い球を空振りした二宮(にのみや)は、混乱気味だった。少し肩を落としながらベンチへ歩きだすと、そこへ四番の九条(くじょう)が現れた。
「わからないって顔をしてるな?二宮(にのみや)」
「九条(くじょう)……」
「お前は相手を間違えている。一奥(いちおく)が打てないのではない。遠矢(とうや)が打てないのだ」
「キャッチャーが打てない?どういう意味だ!九条(くじょう)」
「七見(ななみ)もそうだ。打てそうと思わせるのがワナだ。自由に一奥(いちおく)に投げさせているように見せて、結局遠矢(とうや)は打てない球を要求しているという事だ」
「なんだと?」
「普通に打てる球じゃないのさ。今の一奥(いちおく)のストレートはな」
「九条(くじょう)……」
バッターボックスに入った九条(くじょう)の目は、ストレートで勝負しろと、一奥(いちおく)に訴えていた。
一奥(いちおく)は乗る気満々だが、遠矢(とうや)は違った。このままでは九条(くじょう)には打たれるとわかっていた。
だが、それと同時に試したくもなっていた。
本当に、九条(くじょう)に一奥(いちおく)のストレートが見切れるのか?
遠矢は、騒ぐ野球バカの血を止められなかった。(僕も一奥(いちおく)の事を言えないな……)と、遠矢(とうや)のワクワクした気持ちは加速していった。
「一奥(いちおく)、全球ストレートで行くよ!」
「へへっ。遠矢(とうや)の口からその言葉が出るとは思わなかったぜ」
二人の会話を聞いていた九条(くじょう)は、喜びを隠せずニヤリと笑った。そしてその顔は、すぐに勝負師の顔になった。
(今の一奥(いちおく)のストレートは、二種類ある。これは見た目ではわからない……鍵は耳だ!空気を切る音で判断するしかない)
九条(くじょう)の読みは合っていた。バッテリーは、ストレートの回転数を変えていたのだ。
手元で伸びるストレートと、伸びないストレート。球速は同じでもタイミングは微妙に変わっていた。その球を遠矢(とうや)は、各バッターの実力に合わせて投げ分けていたのだ。
初球、九条(くじょう)はボールを見ずに目を閉じた。
シュルルルル……
「ストライク」
(今のが回転数を減らしたストレート……)
目を開けた九条(くじょう)を、遠矢(とうや)が見上げた。そして二球目。遠矢(とうや)が選んだのは、三球目の勝負を楽しむ為のストレートだった。
(また九条(くじょう)が目を閉じた……リスクはあるけど、逃げたくもないからね)
シューーー
「ストライクツー」
ボールが遠矢(とうや)はのミットに収まった瞬間、九条(くじょう)はまた目を開けた。遠矢(とうや)が見上げたその顔は、自信に満ちていた。
(九条(くじょう)……) (遠矢(とうや)……)
遠矢(とうや)からのサインが、一奥(いちおく)に送られる。頷いた一奥(いちおく)を見た九条(くじょう)は、振りかぶった一奥(いちおく)の姿を見て目を閉じた。
(イメージは固まった……。伸びないストレートなら、バットの先で打ち取られる。伸びるストレートなら空振りだ。集中しろ……)
(行くぜ!九条(くじょう)) 「うりゃー!」
(音で判断し、目で合わせる!)
シューーーー
その音を聞いた瞬間、スイング体勢だった九条(くじょう)の目が開いた。
(伸びるストレート!)
カキーン!
九条(くじょう)の打球は、一直線にバックスクリーンへ飛んだ。
だが、この打球をあらかじめ読んでいたかのように、センターの要(かなめ)はフェンスの上に立っていた。
要(かなめ)がボールを見上げながら両腕を上げる。
「あ……」
バン……
打球は要(かなめ)の上空を通過し、バックスクリーン上のスコアボードに当たった。
「よっしゃー!」
「特大ホームランだ!」
「ついに一奥(いちおく)を捉えたぜ!」
一塁を回った九条(くじょう)が、右腕を高々と挙げた。その時、マウンドへ来た遠矢(とうや)に一奥(いちおく)は問いただした。
「遠矢(とうや)、ミスったか?」
「それはないよ。僕は空振りだと思ったしね。九条(くじょう)が限界を超えたんだよ」
「そうか……やられたな」
「そうだね。凄いバッターだよ」
二人は、二塁を回る九条(くじょう)を嬉しそうに見ていた。
打たれる一奥(いちおく)に対して、チームメイトの仟(かしら)は以前ドMですかと言った。
だが一奥(いちおく)と遠矢(とうや)が打たれて喜ぶのは、ライバルの成長が自分たちの成長へも繋がるからだった。
人は、自身が限界を超える事に喜びを感じると共に、限界を超えた者を目にした時も喜びを感じる。
限界は、己自身が作るもの。
その限界を超える者を目にした時、己の限界も限界でなくなる。そして、さらなる高みへと成長できる。
マウンドの一奥(いちおく)と遠矢(とうや)の下へ来た仟(かしら)は、今はそれを理解している。
「九条(くじょう)さんって、凄いバッターですね。あのストレートが打たれるとは思いませんでした」
「仟(かしら)も僕らと変態仲間になる?」
「遠矢(とうや)さん。それはもう忘れて下さい……恥ずかしいですから……」
「ごめんごめん、冗談だよ」
遠矢(とうや)が笑顔で返すと、仟(かしら)は振り向いて空を見上げた。
「それにもう……仲間入りしてますから。早くこの回を終わりにして、4点差を追いかけましょう!」
仟(かしら)は、照れ笑いをしながらボジションへ戻った。そして、九条(くじょう)が4点差のホームを踏む。
八木(やぎ)のハイタッチに応える九条(くじょう)の姿を目にしたマウンドの二人は、改めて気合いを入れ直した。
「4点差か」
「そうだね。このままじゃ、本当に夏で廃部になっちゃうよ」
遠矢(とうや)の声を聞いた一奥(いちおく)の目が丸くなる。
「おい、遠矢(とうや)!夏で廃部ってなんだよ!」
「あ!一奥(いちおく)は聞いてなかったんだね。この試合はさ、負けたら夏で廃部だよ」
「はぁ?なら絶対に負けられないじゃねーかよ……俺知らなかったぞ……なぁ遠矢(とうや)。なんか策はあるんだろ?」
肩を落とす一奥(いちおく)に、遠矢(とうや)はボールをトスした。
「ないよ。梯(かけはし)は強いし、後は根性だね」
遠矢(とうや)はホームへ戻っていった。
「根性か……」
すると、バッターボックスに立つ五番の八木(やぎ)が一奥(いちおく)を挑発した。
「おい、一奥(いちおく)。九条(くじょう)に打たれて俺に投げる球はあるのか?」
「言うじゃねーか、八木(やぎ)。なら、お前には根性ボールだ!」
「根性ボール?なんだそれは」
「プレイ」
球審の手が上がり、一奥(いちおく)が振りかぶった。
「お前が三振する球だよ!」
ズバーン!
「ストライク」
見送った八木(やぎ)は、ニヤリと笑った。
「ただのストレートじゃねーか!」
「うるせぇ、根性ボールだ!」
ズバーン
「ストライクツー」
二球目、再び八木(やぎ)は見送った。
「だからこれはストレートだろ!」
「根性ボールだって言ってるだろ!」
一奥(いちおく)が三球目を投じる。その球を見た八木(やぎ)は、腰を引きながら驚いた。
「ストライクバッターアウト。チェンジ」
その姿に一奥(いちおく)は、つまらなそうにマウンドを降りた。
「なんだよ八木(やぎ)。見逃しかよ。根性ねぇな」
「うるせぇ!」 (野郎……最後のインローを根性で打てる訳ねーだろ。あのバカ、とんでもねぇ球を投げやがった。今のは九条(くじょう)が打ったストレートより速かったんじゃねーのか?……いや、そんなはずはない。この土壇場で力を隠す理由がない。これこそ気のせいだ……)
バッターボックスでうつ向いていた八木(やぎ)の下へ、キャッチャーの九条(くじょう)が歩いて来た。
「どうした?八木(やぎ)。チェンジだぞ」
「九条(くじょう)。この4点差、根性で守りきるぞ!」
「当たり前だ。お前、見逃し三振でおかしくなったのか?」
「かもしれねぇ……。最後のストレート。おそらく今日最速だった……」
「なに?」
ベンチへ下がる八木(やぎ)の背中に、九条(くじょう)は鋭い目線を送った。
(一奥(いちおく)にはまだ先があると言いたいのか) 「フッ、面白い……松原(まつばら)、後二回だ。締めるぞ!」
「あぁ」
マウンド松原(まつばら)に声をかけ、九条(くじょう)は座った。
(一奥(いちおく)に先があったとしても、この試合ではすでに関係ない。このまま終わらせる!)
代打白城
八回裏。4点差となった西島(せいとう)高校の攻撃は、九番の一奥(いちおく)から始まる。
九条(くじょう)に打たれ、ごちゃごちゃうるさいベンチの白城(しらき)を遠矢(とうや)に任せ、一奥(いちおく)はバッターボックスへ向かった。
(あ~打て、こ~打て言われてもなぁ。俺は白城(しらき)とタイプが違うんだよなぁ)
口を曲げてバッターボックスへ入ると、一奥(いちおく)は九条(くじょう)と目が合った。
「一奥(いちおく)、お前にはまだ先があるのか?」
「なぁ九条(くじょう)。そんなのあるに決まってるだろ?」
面越しの九条(くじょう)の顔が、嬉しそうに微笑む。すると、構えた一奥(いちおく)の声が耳に入った。
「さっきお前に見せつけられたしな。俺もこの打席で、取って置きのやつを見せてやる」
「お前のバッティングに、そんなものがあったのか。初耳だな」
「ある!根性打法だ!」
一奥(いちおく)は、ホームベースギリギリに立った。
(どうやら名前だけではないようだな。松原(まつばら)、スライダーだ。のけ反らせてやれ!)
九条(くじょう)は軽く考えていたが、一奥(いちおく)は自分なりに考えていた。それは、正に九条(くじょう)に見せつけられたバッティングだった。
松原(まつばら)が初球を投じる。
一奥(いちおく)はスライダーとわかった途端、踏み出した右足で後ろへステップし、左足に体重を乗せた。
「いてっ!」
「デッドボール」
しかし、手元で急激に曲がる松原(まつばら)のスライダーでは、スイングは間に合わなかった。
結果的に後ろへステップした事が避ける動作になり、尻に当たってデッドボールになった。
「くっ、見たか?九条。これが……根性打法だ」
「強がるな。いいから一塁へ行け!」
「くそぉ!」
一奥(いちおく)は、尻をさすりながら一塁へ行った。そして九条(くじょう)は、楽しそうにバッターボックスへ歩いてくる一番の要(かなめ)を見ていた。
(一奥(いちおく)の根性打法はどうでもいい。それより要(こいつ)だ。早めに仕留めるには、上下の二択がいいだろう……)
九条(くじょう)はファールになりやすい左右の攻めを辞め、ストレートと縦のスライダーで打ち取るリードに変えた。
「ストライク」
(ストスト……)
要(かなめ)は初球を見逃し、二球目も見逃して追い込まれる。
(またストスト……)
サインを出す九条(くじょう)は、三球勝負に出た。
(これで空振り三振。松原(まつばら)、縦のスライダーで仕留めるぞ!)
頷いた松原(まつばら)が三球目を投じる。そして要(かなめ)がスイングに入った。
(来た!ストスラ!)
カキーンという快音と共に、打球はライナーでライト前へ。ノーアウト一・二塁となった。
要(かなめ)は、縦のスライダーのみに絞っていた。それは、球数を気にするキャッチャー九条(くじょう)の心理を読んだ、遠矢(とうや)の指示だった。
要(かなめ)が一塁から遠矢(とうや)にダブルピースをし、遠矢(とうや)が頷いて応じた。その姿を、九条(くじょう)が渋い顔で見ていた。
(遠矢(あいつ)の指示か。本当に厄介な奴だ)
そして、二番の仟(かしら)がバッターボックスへ入る。座った九条(くじょう)は、サインを出さずにホームベースを見ていた。
(この場面、送りバントでワンアウト二・三塁。ヒットを打たれた三番との勝負もある。だが西島打線の軸は、八番の遠矢(とうや)からだ。実際、西島(せいとう)のクリーンアップは松原(まつばら)なら怖くはない。途中からベンチに入った奴が気にはなるが、点差は4。ここは、送りバントはない……なに?)
構える気配のない仟(かしら)に気づいた九条(くじょう)が見上げると、仟(かしら)はサインを出していた。
(バッターがサインを出すだと?……何を考えている……)
サインを出し終えた仟(かしら)は、バットを構えた。
(遠矢(とうや)さんは、この八回にピッチャーをスタミナ切れにすると言っていた。カットとまではいかないけど、このケースなら……)
バントはないと予想したキャッチャーの九条(くじょう)だったが、仟(かしら)のサインを見て初球は外のシュートを選択した。
(サインはフェイク。サードゴロならトリプルプレーだ)
だが、投球と同時に仟(かしら)はバントの構えを見せた。ピッチャーの松原(まつばら)とファーストの八木(やぎ)がダッシュで対応する。
それを見て、仟(かしら)はバットを引いた。
「ボール」
(そういうことか……)
九条(くじょう)は、すぐに仟(かしら)の狙いに気づいた。
(バントの構えをすれば、その度にピッチャーの松原(まつばら)はダッシュしなければならない。これも遠矢(あいつ)の指示か)
再び仟(かしら)がサインを出す。そして、今度は始めからバントの構えを見せた。それを見て、九条(くじょう)がサインを出す。
(今度は始めからバントの構え。送って2点返し、九回裏の遠矢(とうや)の打席に回すつもりか。それなら、真ん中のストレートでバントをやらせる!)
パン! 「ストライク」
仟(かしら)はバットを引いた。カウントはワンワンとなったが、またピッチャーの松原(まつばら)は、仟(かしら)に走らされてしまった。
九条(くじょう)は松原(まつばら)に返球すると、再びサインを出す仟(かしら)をジッ見ていた。
(真ん中でバットを引いた。次はどうくる……そうか、またバントの構え。ギリギリまで松原(まつばら)を走らせるつもりか。ならばここまでだ!もう一度同じ球でバントをさせる。しなければ、追い込むだけだ)
九条(くじょう)のサインは外のストレート。そして、セットホジションの松原(まつばら)の足が上がったその時だった。
「走ったぁ!」
ショートの六川(ろくがわ)が叫ぶ。
ここで一奥(いちおく)と要(かなめ)がダブルスティール。
仟(かしら)はバントの構えのまま。キャッチャーの九条(くじょう)は、三盗を狙う一奥(いちおく)を刺す体勢に入った。
ピッチャーの松原(まつばら)とファーストの八木(やぎ)は、仟(かしら)のバントに備えてダッシュ。
サードの二宮(にのみや)とショートの六川(ろくがわ)は、それぞれ三塁と二塁の盗塁カバーへ入った。
その瞬間、仟(かしら)はセカンド正面へプッシュバントをした。
(バントエンドランだと!)
一塁カバーへ走っていたセカンドの五十嵐(いがらし)が、ゴロを捕球。
バント処理にダッシュしていたピッチャーの松原(まつばら)もファーストの八木(やぎ)も、一塁カバーには入れない。
セカンド五十嵐(いがらし)は、とっさに二塁へ投げようとした。しかし、要(かなめ)はすでにスライディングの体勢。間に合わない。
そしてバントをした仟(かしら)は、無人の一塁ベースを駆け抜けた。
(上手くいった!これでノーアウト満塁)
「仟(かしら)~!ナイスバント!」
「はいっ!」
遠矢(とうや)の声に、仟(かしら)は笑顔で応えた。
その姿を、ホーム付近で手を膝に当てた松原(まつばら)が中腰で見ていた。
「ハァ…やられたな、九条(くじょう)」
「気にするな。ノーアウト満塁だが、ここからは安全圏だ」(松原(まつばら)の疲労が、明らかに表へ出ている。だがこれで主軸は終わった)
そして、ネクストバッターズサークルの神山(かみやま)が立ち上がった。しかし神山(かみやま)は、バッターボックスへ行かずに一塁ベンチへ戻ってきた。
「監督、白城(しらき)を代打に送って下さい。お願いします」
ヘルメットを外し、頭を軽く下げた神山(かみやま)。腕組みをしていた紀香(のりか)監督は、足を組み換えて目を閉じた。
すると、カツカツとスパイクの鳴らす音が一塁ベンチ内に響き、その音が紀香(のりか)監督の側で止まった。
神山(かみやま)をジッと見た白城(しらき)は、大きく息を吸ってフ~ッっと強く吐いた。
真剣な眼差しの白城(しらき)を見た神山(かみやま)は小さく頷き、白城(しらき)も小さく頷いて応える。
目を開けた紀香(のりか)監督が白城(しらき)を見上げると、白城(しらき)はグラウンドを見ていた。
視線に気づいた白城(しらき)が紀香(のりか)監督を見ると、目が合った途端フフッっと静かに笑い、視線を外して再び目を閉じた。
「好きにしなさい」
それは監督としての言葉ではなく、姉としての想いがつまった優しい声だった。
*1:次が勝負だ!!