「球審、キャッチャー交代します。国井(くにい)です」

 

国井はそのままマウンドへ行き、三塁の西島(せいとう)ベンチへ球審が走る。

 

「名京(めいきょう)高校キャッチャー代わります……」
「国井だね!」

 

嬉しすぎて我慢できなかった一奥(いちおく)は、球審より先に名前を言った。

 

「ええ」

 

一奥へニコッとした球審が去ると、西島ベンチは歓喜するメンバーと緊張するメンバーに分かれていた。

 

名京の国井は、全国区の名前。その国井とピッチャーの竹橋(たけはし)以外は二軍とはいえ、同じグラウンドで試合に出る。

 

緊張を高めた者がそう思う一方、この時を待っていた一奥は、白城(しらき)に興奮しながら話しかけた。

 

「白城!国井が本当にいたぜ!」

「お前……俺を疑ってたのかよ」

 

「それはねぇけど。まぁ、やっぱり実物を見ないとな」

 

すると、一奥は国井から目を離さない遠矢(とうや)が武者震いしているのに気づいた。

 

「遠矢?」

「……」

 

「おい!遠矢!」

「え?なに?一奥」

 

「なに?じゃねぇよ。ついに本命が出て来たぜ!」

「うん、そうだね……」

 

遠矢はパチンと右拳を左手に当てた。そして、マウンドでイラつく竹橋の下へ国井が到着する。

 

「国井、出るのはお前だけか?」

「フフッ、お前らしいな。他のメンバーもそろそろ戻って来るだろうが、今は俺だけだ」

 

「斜坂(ななさか)も出ないのか?」

「必要か?」

 

「いや、お前が捕るなら必要ない。さっさと終わらす……」

「その意気だ。竹橋、全力で来い。クライシスリミットの力を見せてやれ」

 

「あぁ……」

 

話し終えた国井が、ホームへ歩きだす。

その時遠矢は、まだジッと国井を見ていた。
いや、見とれていた。

 

「いやぁ……オーラあるよねぇ。さすが国井さん」

 

すると、一奥の手が遠矢の肩に乗せられた。

 

「遠矢、国井に見とれてる場合じゃねーぞ?そこで村石(むらいし)先輩が固まってるぜ?」

 

「あらら……」

 

遠矢が右に目をやると、ネクストバッターの村石がガチガチで立っていた。ベンチを立った遠矢は、村石の横に立った。

 

「村石さん」

「遠矢か……、俺はどうすらばいいんだ?」

「村石さん、かんでますよ?」

 

「う、うるせぇ。お前なぁ、国井だぞ?本物だぞ?俺はバットにサインでも貰うしかないのか?」

「それ、いい作戦ですね。でも、お返しにヒットはくれないと思いますけど」

 

「くっそ、冗談もさえねぇ。やはり俺には打てねーのか……」

「ですね。残念ですが、空気が一気に変わりましたよ」

 

側で話を聞いていたキャプテンの神山(かみやま)は、黙っていられなかった。

 

「待て遠矢。投げるは竹橋だ!国井はキャッチャーだぞ?どうにもならない事はないだろ?」

「神山さん。その竹橋さんが……別人のようですよ?」

 

ズバーン!

 

遠矢の言葉の直後、突然西島ベンチに響いた国井のミット音に振り返った村石と神山は、思わず目を奪われた。

 

二人の顔は驚きで固まったが、遠矢は冷静に投球練習を見ていた。

 

「この球は、国井さんは関係ないと思います。リミッター竹橋さんの片鱗は、杉浦さんの打席から見え始めてましたから」

『なにぃ?』

 

遠矢を見る村石と神山。すると、仟(かしら)が口を挟んだ。

 

「遠矢さんと話していましたが、私も名京高校はこの六回から動き始めたように感じます。それが表の7失点です。そしてこの回のみですが、ピッチャーの竹橋さんは点差が縮まる度に力が上がっていました」

 

黙って仟の話を聞いている村石の喉がゴクッと鳴る中、仟の話を遠矢が続けた。

 

「西島(ウチ)が追い上げムードの1点差で国井さんが出てきた事を考えますと、これがおそらく竹橋さんのリミットですね」

「竹橋のリミットか……」

 

村石の頭が混乱する中、球審に呼ばれる村石。しかし、なんら策もなく打席に向かうしかなかった。

 

そして遠矢の話を聞いた白城が、名京高校の斜坂から試合前に聞いた話をした。

 

「遠矢。あの竹橋(ピッチャー)のリミットは特殊だと、斜坂が言っていたぞ。お前らの言い方だと、その正体がわかったって事だよな?」

「はい。おそらくですが、確かに特殊ですね。わかりやすく言うと、火事場のクソ力でしょうかね。今の名京野球にピッタリの選手ですよ」

 

「なるほど。ようするに、逆転のポイントがリミットの条件って訳だな」

「ですね。同点になるのが不思議でしたが、仟の言う通り、六回から名京高校は試合を本格的に動かしたと思いますからね」

 

「フッ。面白くなってきたぜ」

 

竹橋刃のクライシスリミット。それは、ほぼ遠矢たちの推理通りだった。

 

強豪高校である名京に集まる選手は、誰もが負けず嫌いである。当然竹橋刃も負けず嫌いではあったが、彼は少し違った。

 

竹橋刃は、誰よりも臆病だった。何より負けるのが怖かった竹橋刃は、その恐怖から逃れる為にチーム内競争を勝ち続けた。ピンチになればなるほど、彼は自分の限界を超える力を発揮した。

 

その結果、竹橋刃が投げると、チームの得点が相手の得点の限界となる試合が激増した。

 

しかし、彼はストッパー向きではなかった。マウンドに立つまでの経過が重要であり、自分で作ったピンチが竹橋刃をより強くする。

 

そして、チームの得点以上の点は与えない投手となった。

 

1点差で国井とキャッチャーが交代したのは、クライシスリミッター竹橋の球を捕る為だった。

 

プレイがかかり、試合が再開される。

 

弱い犬ほどよく吠えると言うが、竹橋のマウンドさばきに変化が表れていた。

 

荒々しいとも取れるその姿。

 

五回までにはなかった叫びながらの気合いの投球に、五番の村石は手も足も出なかった。

 

ストレート三球。村石は、空振り三振に切って取られた。

 

悔しがりながらベンチへ戻ってくる村石の向こう側で、キャッチャーの国井はピッチャーの竹橋に声をかける事なく、当たり前のように返球する。

 

それはまるで、竹橋とキャッチボールでもしているかのようだった。

 

ネクストバッターズサークルに座る六番の鶴岡は、横切る村石に声をかける余裕はなかった。村石の姿を一度だけ見て、歯を食い縛りながら打席へ向かう。

 

ベンチへ戻った村石に、遠矢が感想を求めた。そして、村石が重い口調で話し出す。

 

「まるで魂が宿ってるような球だ……。バットに当てれば火傷しそうな、そんな気迫だ。言うまでもないが、スピードもキレもさっきとは別人。これが、化物揃いの甲子園を戦ってきた奴の力なのか……」

 

村石は、すっかり落ち込んでいた。しかし、遠矢の見解は違った。

 

「村石さん。それだけボールが見えれば十分です。次は違う景色が見えると思いますよ?僕が言うのもなんですが、村石さんは西島(ウチ)の化物と毎日勝負してきましたからね」

 

気づいた村石が一奥を見る。一奥は、今にもグラウンドへ飛び出しそうな表情で座っていた。竹橋から目を離さない。そんな姿に、村石はつい微笑んだ。

 

(そうか……。竹橋と一奥の球は質は違うが、俺は打席に入る前から気持ちで負けていた。そんなバッターが打てるはずがない)「一奥、すまねぇ!」

 

村石が頭を下げると、一奥は「へ?」と驚いた。

 

「あぁ、いいっていいって村石先輩。三振なんか気にするなよ」

「そうじゃねぇ。一奥、俺は絶対にやり返す。次は見てろよ!」

 

「へへっ、そういうことか。まぁ遠矢はわかんねーけどさ、俺は最近の村石先輩の打席にワクワクしてるんだぜ?」

 

「そうか……サンキューな」

 

村石と一奥が微笑み合う。そんな中、バッターの鶴岡は意地を見せていた。前にこそ飛ばないが、なんとか食らいついている。

 

「ファール」

「くそっ」(後1点なんだ!後1点で追いつけるんだ!)

 

ここまで四球、全てがストレート。必死の鶴岡をチラッと見たキャッチャーの国井が、無表情でサインを出す。

 

(竹橋、曲げて終りだ)

(あぁ!)

 

国井のサインに頷き、ピッチャーの竹橋がスライダーで決めに来る。しかし鶴岡は、これも意地でバットに当てた。

 

「くっ!」

 

悔しがる鶴岡が全力で走る。ショートゴロゲッツーを狙った名京だったが、打った鶴岡は一塁ヘッドスライディング。なんとか阻止した。

 

だが、続く七番の影山はストレートに手が出ず見逃し三振に終わった。

 

六回裏、西島は6点を返し12対11。遠矢が仕掛けたストック野球であと一歩まで迫ったが、逆転されないリミッター竹橋刃の力が勝ったイニングとなった。

 

それでも遠矢は満足していた。

 

「鶴岡さん、村石さん。このまま1点差で食らいついて行きましょう。勝機はそこにあります」

 

すると、黙って試合を見ていた紀香(のりか)監督が口を開く。

 

「仟、あなたはどう思うの?」

「私ですか?」

 

「そう、遠矢ではなくあなたよ」

「監督、どうして私なのですか?」

 

「遠矢は国井君しか見ていない。でもあなたは違ったでしょ?女のあなたはね」

 

紀香監督の言葉はズバリだった。男性と違い、元々視野の広い女性は多くの情報を同時にキャッチする事ができる。

 

この時仟は、今のチーム状況から遠矢の言った台詞が実行出来るとは思っていなかった。

 

「監督。村石さんは、気持ちで負けたと言いました。私は、国井さんという名前に立ち向かえるメンバーに代えるべきだと思います。今のバッテリーに、名京へついていく力はありません」

 

すると、マウンドへ行こうとした鶴岡が「フッ」と笑った。

 

「仟。そこまでハッキリ言ってくれると、逆に気持ちがいいものだ。遠慮はいらない。俺は名京に黒星をつけたいんだ」

「鶴岡さん……」

 

「そうだな。正直、今の俺たちが名京について行けるとは思えねぇ。遠矢の気持ちを、裏切るつもりはねぇけどな」

「村石さん……」

 

そして、鶴岡は一奥の名を呼び、村石は遠矢の名を呼んだ。

「一奥」
「遠矢」

「任せたぞ」
「頼むぜ」

 

二人はそのまま、バッテリーとして交代となるはずだった。

 

「遠矢は代わるけど、俺は投げないぜ?」

 

一塁ベンチを見ながら言った一奥に激怒したのは、後を託そうとしたキャッチャーの村石だった。

 

「お前、何言ってんだ!お前が投げないなら、誰が投げるんだよ!鶴岡は限界だと言っただろ」

「わかってるさ。でも、俺の相手はあいつだろ?」

 

「あいつ?」

 

村石は、振り返りながら一奥の目線を追う。するとそこには、ユニフォーム姿でこちらを見ながら微笑んでいる斜坂がいた。

 

「あいつは確か、お前と同じ1年の……」
「エースの斜坂だ!」

 

ベンチに座りながら腕組みをした一奥に続き、白城も斜坂のユニフォーム姿を見て微笑みながら睨みつけた。

 

「ジャージの下にユニフォームを着ていた訳じゃなさそうだな。あのヤロー、出る気満々じゃねーか」

 

すると、防具を着けた遠矢が球審の下へ歩き出す。そして、選手交代を告げた。

 

西島ベンチが遠矢に目を奪われていると、マウンドへ勢いよく向かったのは要(かなめ)だった。

 

すぐに仟へもの申したのは、交代したピッチャーの鶴岡だった。

 

「仟!要がピッチャーって、お前本気か?」

「はい」

 

「待て。練習で投げている姿すら、俺たちは一度も見てないんだぞ?」

「鶴岡さん。お言葉ですが、紀香監督は知っています」

 

「なに!監督が?」

 

驚いた鶴岡とニコッとした仟が紀香監督を見ると、紀香監督は咳払いを1つしてごまかした。

 

一奥たち4人の1年生は、上級生が帰った後に様々な練習をしていた。それを、影で見ていた紀香監督は知っていたという話である。

 

すると、マウンドから要がベンチへ向かって叫び出した。

 

「仟、早く早くー!」

「要……私は……」

 

これには、様子を見ていたキャプテンの神山もお手上げだった。

 

「仟、俺はサードへ行くぞ!」

 

仟の返事を聞く前に、神山は守備位置へ向かってしまった。

 

「神山さん!」

 

そして、セカンドの小山田も仟に微笑みかけてショートへ。

 

「仟さん。セカンド任せたよ」

 

「小山田さんまで……」

 

すると、紀香監督がグローブを仟に下から放り投げた。

 

「仟」

「はい。あ……」

 

仟は両手でグローブを取ると、紀香監督はベンチに座りながら腕と足を組んだいつもの姿で、グラウンドを見ながら話した。

 

「遠矢が私のももに置いていったんだけど……まさか私がセカンドじゃないわよね?」

「監督……」

 

すると、仟の背中を押す言葉が西島ベンチ内から次々に飛び出した。

 

「頼んだよ!仟」
「俺たちは勝ちたいんだ!」
「お前の力が必要なんだよ!」

「先輩……」

 

そして、笑顔の一奥が仟に声をかける。

 

「仟~。あの時の会話、覚えてるよな?」

「一奥さん……はい、覚えています」

 

それは、一ヶ月前にこの名京グラウンドを去る時の会話だった。

 

受け取ったグローブをベンチに置いた仟は、髪を1つに結んで帽子を被り直す。

 

再びグローブを手にした仟は、ベンチにいる選手全員の目を順に見た。そして大きく礼をした後振り返り、笑顔で大好きなグラウンドへ走り出した。

 

ベンチとスタンドから応援の声が飛ぶ中、仟はマウンドにいる要とタッチをする。そして真っ直ぐ、いつもの二塁ベースへ向かった。

 

遠矢の「ラスト!」という声とミット音の後に、二塁へ送球されたボールを仟がキャッチする。遠矢の気持ちのこもった送球を受けた仟は、最高の試合に出られる喜びで笑顔がはじけた。

 

西島メンバーは以下に変更。

 

一番ショート小山田
二番レフト白城
三番サード神山
四番ファースト杉浦兄
五番ピッチャー要
六番セカンド仟
七番ライト影山
八番センター光
九番キャッチャー遠矢

 

そして、七回表が始まった。

ピッチャー要を心配する西島ベンチは、投球モーションに入った要の姿を見て驚きの声を上げた。

 

「なにぃ?」
「あれは!」
「マジか!」

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くのいち投法

「要(かなめ)がアンダースローだと?」

 

ベンチに下がった鶴岡(つるおか)は、一奥(いちおく)と対戦した嫌な記憶を思い出した。だが要のアンダースローは、同じ左でも一奥のアンダースローとは大きく違っていた。

 

要の初球が、右バッターの顔を襲う。思わずバッターは上半身を引いた。

しかし、要の投げたシンカーは弧を描き、そのボールがアウトローへ決まった。

 

「ナイスボール!要」

「えへへっ!」

 

鶴岡の隣に座っていた村石(むらいし)も、この球のとんでもなさに気がついた。

 

「なんだ?あれは。下から顔面に浮き上がってくる球が、アウトローに決まるのか?これじゃ反射的に避けちまったら、バットを出しても届かないじゃねぇか!」

 

驚きながら言った村石に、一奥は楽しそうに言った。

 

「厄介だろ?村石先輩。あれを打つには、予測で踏み込まなきゃいけないんだぜ?でも、それが難しいんだよなぁ……」

 

一奥の言葉を聞いた村石は、違和感を感じた。それはまるで、一奥は要と対戦した事があるような言い方だった。

 

「一奥。まさか、アレだけじゃないって言いたいのか?」

「当然でしょ。次に踏み込んだら、地獄が見えるぜ!」

 

「お前それは……顔面じゃねぇか!」

 

村石がすぐにグラウンドへ目を移す。そして、要が二球目を投げた。

 

美しいアンダースローから繰り出されたボールの軌道は右バッターの顔面へ。だが、今度は踏み込んだバッターがのけ反って避けた。

 

パン! 「ストライク」

 

それを見ていた三塁ベンチの村石は、背筋がゾクッとした。

 

「やはりインハイの真っ直ぐ……だがストライクってマジかよ!」

「そういうこと。でもあのバッター、よく避けたなぁ」

 

「一奥!そんな気楽に言える球じゃねーぞ!」

「え?っていうか村石先輩、要の敵だったの?」

 

「はぁ?おぉ……そうか。要!ナイスボールだ!」

 

村石が応援すると、要は両手を振って笑顔で応えた。その直後、また一奥が村石を驚かせる。

 

「村石先輩、実はまだあるんだぜ?これはある意味、要が梯(かけはし)高校の松原(まつばら)なんだよ」

「要が松原?松原と言えば四択か?」

 

「そう、さすが村石先輩。最終的に松原はストレートの軌道からの四択になったけど、要も顔面軌道からの三択になってるんだよ。要に球威はないけど、その分変化の大きさがヤバイんだよな。その秘密は、手首が柔らかすぎるみたいだぜ。要はさ、手首をこんな風にすると、指が腕にくっつくんだよ」

 

一奥は、右手で左手の指を握り、左手首をグイッと反らせた。

 

「おい、それ見たことあるぞ!……なるほどな。それがあのシンカーのキレを生んだのか」

「村石先輩!要が決めに行くぜ」

 

一奥に三択と聞かされた村石は、次にどんな球が来るのかドキドキしていた。すると、要の投げた球は二球目と同じように村石には見えた。

 

詰まらせた要は、キャッチャーフライに打ち取った。

 

「オーケー要。ワンアウトー!」

「遠矢(とや)くん、ナイスキャッチ!」

 

今の球がわからなかった村石が、無言で一奥を見る。一奥が村石に気づくと、一奥は説明を始めた。

 

「ん?村石先輩わからなかったのか?最後は、俺が春に鶴岡先輩に投げたフォーシームの縦に落ちる球だよ。白城が松原からホームランを打った球に近いかな。でも要の球は、左のアンダースローから顔にクロスして向かって来て縦に曲がってる。あれを見逃してもインローのストライクだし……。まぁ、要が味方で良かったでしょ?」

「そうだな……マジでそう思うぞ……」

 

一奥の言葉を聞きながら、村石は唾を飲み込んだ。

 

「一奥、お前が投げないって言った時はどうなるかと思ったが、こんな隠し球はスゲェぞ!」

「いや、村石先輩。そこはちょっと違う。要が投げたそうにしてたからさ、俺は譲ったんだよ。ウズウズって言うからさ」

 

「プッ、アハハ!やっぱ要も野球バカだな」

「お!それ西島野球部最高の誉め言葉じゃん」

 

「だな!」

『アハハ!』

 

一奥と村石が笑う中、要は二人目のバッターも簡単に打ち取った。そして、次は左バッターを迎える。打席に入ったその姿に、村石の眉間にシワが寄る。

 

「おい、一奥。次は左だぞ?」

「問題ないさ。まぁ見てなって」

 

その初球のストライクに、村石はまた驚いた。

 

「そうか!初球と逆球か!」

「そ。今度は背中から襲ってくる横のカーブがアウトローに決まる。後はアウトハイのカットボールと、右バッターに投げたシンカーをアウトローに決めてもいい。まだまだあるけど要は左。だから左バッターの方が攻めやすいんだよな」

 

「左対左のセオリーか。それで、左打者のお前は打てたのか?」

 

「俺は顔面からインハイのカットボールにつまらされたよ」

 

すると、ボコッという打球音が響く。

 

「そう、こんな感じに」

「ほぉ」

 

二人が目でボールを追うと、フラフラっと上がった打球がサード・ショート・レフトの間にポテンと落ちた。

 

「って、一奥!お前もポテンヒットだったのか?」

「まさか同じ結果になるとは思わなかった……」

 

ツーアウトランナー、一塁。ここで、キャッチャーの遠矢がマウンドへ向かう。

 

「えへへ。一奥(いちおく)んと一緒になっちゃったね」

「ツーアウトだし、国井(くにい)さんに回らなければいいよ」

 

「そだね。なら遠矢(とや)くん。ランナー出たし、アレやってもいいかな?」

「アレ?……ってアレか……そーだねぇ……」

 

遠矢はセカンドの仟を見る。すると仟は、笑顔で右手の人指し指と小指を立てた。遠矢も同じツーアウトのサインを送り、仟をやり過ごす。

 

「うん。要、仟がやってもいいってさ」

「本当?」

 

そう言った要が仟を見ると、仟はまた笑顔で返した。

 

「本当だ!なら今のうちだね」

「でも要、まだコントロールに不安があるから気をつけてよ?」

 

「了解であります!」

 

遠矢がホームへ戻り、要がセットに入る。

その瞬間だった。

 

叫んだのは、セカンドの仟ではなく西島ベンチだった。

 

『要~!』
『逆!逆!』

 

その声を聞いた要だが、セットを解いてしまえば仟がタイムを要求する事がわかっている。

 

要の言ったアレとは、1年生のみが知る手裏剣投法だった。要はスパイク1つ分程左足を踏み出し、ほとんど立ったままブーメランのようにホームへ投げた。

 

手首の柔らかい要の投げたボールは、鋭くスライドしてアウトコースに決まった。

 

パン
「ストライ……」
「タイム!」

 

球審の声に間髪入れず、セカンドの仟がタイムを要求。マウンドへ走ってきた。もちろん遠矢もマウンドへ走る。

 

「要!さっきの合図はこういう事だったの?」

「だってランナーいるし、超クイックだからいいかなって」

 

「まったく……」

 

ため息をつく仟に、遠矢がフォローした。

 

「まぁまぁ仟。それよりさ、ついでにアレもやらない?」

「遠矢さん!」

 

怒る仟に構わず、遠矢は二人にこそこそ話した。要は乗り気だが、仟は呆れていた。

 

「本気ですか?」

「本気本気。ちゃんと理由も話したでしょ?」

 

「まぁそうですけど……どちらも賛成しかねます」

「本番用って事で、頼むよ!仟」

 

「もう、知りませんからね!」

 

仟は、しぶしぶ了解した。遠矢と仟がそれぞれのポジションへ戻り、試合再開。そしてまた要は、逆セットの体勢に入る。

 

この時、西島ベンチから声はなかった。初球の見事なストライクのおかげでもあったが、タイムの間に一奥が一応説明していた。

 

すると二球目、要はスライダーではなく親指を使ってシュートを投げた。

 

パン
「ストライクツー」

 

バッターは、一瞬何が起こったのかわからなかった。要の腕の振りは変わらない。しかし、手裏剣投法のタイミングで来るはずのスライダーが逆に曲がる。

 

これには西島ベンチも、驚きを通り越して言葉を失っていた。一奥と紀香監督だけは、ニコニコしながら見ていた。

 

追い込んだバッテリーの続く三球目、遠矢はスライダーを選択。

 

しかしコントロールを失ったボールはワンバウンドし、遠矢は後ろへ反らしてしまった。その隙に、ランナーは二塁へ到達。

 

そしてまた仟が、今度はマウンドに向かって叫んだ。

 

「遠矢さん!要!真面目にやって下さい!」

 

仟の怒り声が、両ベンチに響く。遠矢と要は仟に頭を軽く下げ、その場をやり過ごした。

 

3人のやり取りを不安に思ったベンチの鶴岡が、一奥に話しかける。

 

「一奥。要のくのいち投法の威力はわかるが、このままで本当に大丈夫なのか?あれならアンダースローの方が……」
「心配性だなぁ、鶴岡先輩。ベンチは応援するだけだよ」

 

「それはわかるが……」

 

打たれた鶴岡は、二軍とは言え名京バッターの力量は侮れないとわかっている。

 

鶴岡の不安が拭えないまま要は仟に強く言われたにもかかわらずくのいち投法のセットに入ってしまう。

 

が、次の一瞬だった。

 

「なっ!まさか、お前らこれを狙っていたのか?」

 

驚いた鶴岡がベンチから目にしたのは、二塁ベース上でグローブを上げ、タッチをアピールする仟の姿だった。

 

遠矢が仟に頼んだもう1つ目の頼み事は、この二塁牽制球。

 

左投げの要が逆セットに入ると、二塁への送球は通常ホームへ投げるのと同じになる。

 

本来180度回転しながら投げる牽制球だが、要の今の軸足は右。逆セットに入った要は、仟が二塁に入るタイミングを遠矢のミットの動きで判断し、軸足を外してそのまま普通に牽制球を投げていた。

 

遠矢のパスボール。その時叫んだ仟の行動。二つは牽制の布石だった。

 

仟は要に「決まって良かったよ」と声をかけながら、ベンチへ戻る遠矢の所へ向かった。

 

「仟、上手くいったね」

「本当ですよ。決まって良かったです」

 

「まぁこれで、もう1つの頼みも達成出来たし感謝してるよ」

 

遠矢のもう1つの頼みとは、次の回に二人目で回って来る国井の前に、ランナーを得点圏で迎えたいというものだった。狙いはもちろん、タイムリミッターへの挑戦。

 

あまりに無謀すぎるが、仟も名京に勝つという意味がどういう意味かはわかっての承諾だった。

 

「その前に遠矢さん、竹橋さんから逆転しておきたいですね」

「そうだね。でもあのリミットを超えるのは、現状白城さんしかいないんだけど……」

 

ベンチ前に立つ仟と遠矢は、レフトから戻ってくる白城を見ていた。すると、戻ってきた白城が二人の視線に気づく。

 

「なんだ?お前ら。斜坂が要の写メ撮ってた話が聞きてぇのか?」

『え?』

 

白城は、レフトから真正面に見える一塁ベンチの外から、こっそり要のくのいち投法写メを撮っていた斜坂に気づいていた。

 

それを聞いた仟が、肩を落とす。

 

「またブログのネタに……」

「まぁまぁ、仟。その話は試合が終わってからって事で」

 

「はい……」

 

落ち込む仟を横に、遠矢はマウンドにいるピッチャー竹橋を見ながら白城に聞く。

 

「白城さん、あのリミットを超えられますか?」

「はぁ?わざとらしいんだよ、お前は。どうせわかってんだろ?イチイチ聞くな」

 

白城はグローブをベンチへ投げ、そのまま座った。遠矢は仟に微笑みかけ、ベンチへ入った。

 

1点を追う西島高校の七回裏は、八番センターのウザイケメン、光綿密(ひかりめんみつ)から始まる。

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