先頭の九番バッターを抑えた西島(せいとう)バッテリーは、一番の長谷川(はせがわ)を打席に迎える。

 

初球、遠矢(とうや)はインハイのフォークから入った。ストライクを奪ったが、この瞬間遠矢は違和感を持った。

 

(長谷川さんに打つ気がない?)

 

二球目。遠矢のサインを見た一奥(いちおく)の眉間に、僅かなシワが寄る。

 

(ん?)

 

まぁいいかと頷いた一奥が、二球目を投げた。それは、130キロ台の真ん中のストレートだった。しかし、ボールは遠矢のミットにあっさりと収まる。

 

(やっぱりそうか……)

 

遠矢が目にした長谷川の顔は、微笑んでいた。そして目が合う。

 

「フォークの連投も、疲れるだろ?」

「そうですね……」

 

すると、バッターの長谷川がこの試合を決定付ける言葉を口にする。それを聞いて下を向いた遠矢が三球目のサインを出すと、マウンドの一奥は叫んだ。

 

「おい!遠矢!」

 

だが遠矢は無視し、構えたまま一奥の足下を見ていた。観念した一奥は、サイン通りに投げる。フワッとしたスローボールを、長谷川は見送った。

 

「ククッ……」

 

不気味な笑いを残し、三振した長谷川はバッターボックスを後にした。

 

「タイムターイム!遠矢!」

 

一奥に呼ばれた遠矢が歩いてマウンドへ行くと、一奥は納得いかない気持ちをぶつけた。

 

「説明してくれよ!遠矢」

「一奥……次の長井(ながい)さんも三振だよ。この試合を早く西島高校対愛報高校にしなければ……西島(ウチ)は負ける……」

 

「え?」

 

遠矢は唇を噛む。長谷川には、こう告げられていた。

 

‘ この試合は、愛報高校対白城だからな……’

 

その理由を、遠矢は一奥に説明した。

 

ここまで、西島高校のヒットは白城の2本のみ。しかも、初回の要(かなめ)と仟(かしら)は愛理(あいり)に歩かされたランナーであり、奪ったフォアボールではない。

 

対して愛報高校は、西島バッテリーが抑えているようには見えるが、長谷川、長井、長間、愛理の四人にはやられている。そしてエースの間口(まぐち)も攻略していない上、攻略の機会も後2イニングしかない。

 

だが攻略しようにも、間口は今ライトを守っている。ピッチャーには、リバースリミッター愛理の力を存分に発揮できる、リミッターの望月が上がっている。

 

現在スコアは同点だが、愛報高校に対して西島高校には不確定要素が攻撃にも守備にもある。そして愛報高校が敵と認めているのが、白城(しらき)だけだという事だった。

 

理解した一奥は、噛んでいた親指を口から出す。

 

「そっか。なら俺たちが望月か間口を打つか、向こうの一番から四番を次に抑えればいいんだよな……う~ん……」

 

一奥が考える中、遠矢が決意する。

 

「一奥。そのどちらかでも、この試合には勝てないと思う。だから逆にするしかない。この試合を、西島高校対愛理さんにする」

「おおー!……で?」

 

「長井さんを三振にしながら考えるよ~」

 

遠矢はホームへ戻っていった。その背中を、一奥は微笑みながら見ていた。

 

(さっぱりわかんねぇけど、遠矢は必ずやる!とはいえ……)

 

一奥が苦笑いし、球審の声が響く。

 

「プレイ!」

 

長井に対し、一奥はキャッチボールのような球を投げた。

 

(このピッチングはつまんねぇ……我慢我慢……)

 

ツーストライクに追い込んだその時、バックネット裏から叫んだ観客の声が一奥の耳に入る。

 

「同じ9球でも、西島高校は楽だな!」
「愛報高校に打つ気がないんだよ。いつでも打てるっていう余裕だろ」

「これが弱小の西島と、第二シードの差か?」
『アハハ!』

 

「なっ!」

 

一奥は頭にきた。

 

(もう我慢出来ねぇ!)

 

振りかぶる一奥の姿に空気を察し、遠矢は苦笑いをして構えた。

 

(打たないんだから休めばいいのに。……でも、これが一奥なんだよね!)

 

一奥は、いつも通り腕を振った。

 

「うらぁ!」

 

ど真ん中に、ストレートを豪快に突き刺す。

 

「へ~んだ。見たか!」

 

バックネット裏の観客を指差し、一奥は微笑みながら三塁ベンチへ走り出した。

 

「あのヤロー!こっち見て指差しやがった!」
「待て……今の速かったよな……」

「はぁ?気のせいだろ」
「おい見ろ!」

 

文句を言った観客が、電光掲示板を指差す。

 

「おい、マジかよ……」
「なにぃ!今のが153キロ~?何であんな奴が弱小の西島にいるんだよ!」
「さ、さぁ……」

 

「にっひっひ!」

 

ベンチに戻った一奥は、笑いが止まらなかった。そして、わざととはいえ三振した二番の長井に笑顔はなかった。一塁ベンチへ下がった長井に、愛理が話しかける。

 

「どうしたの?長井。たかが153キロでしょ?」

「あぁ。そうなんだけどさ……」

 

「その顔は、まだ限界ではないと言いたいのね」

「かもしれねぇ……」

 

すると、深刻な顔の長井に愛理は微笑む。

 

「その上があってもいいんじゃない?さぁ、しっかり守るわよ」

「そうか……そうだよな!愛理が言うなら間違いねぇ!」

 

長井は気持ちを切り替え、守備へ走る。だが、ホームへ向かう愛理の顔が逆に曇っていた。

 

(彼はまだ1年生。153キロの上がない事を、私は願うわ。一奥君の為にね……)

 

そんな中、遠矢は1年生カルテットをベンチ前に集めていた。珍しく真剣な顔の遠矢を見た三人は、この五回に賭ける気迫を感じていた。

 

「この回、リバースリミットを西島高校で超えるよ!」

「えー!……ふぐっ」

 

叫んだ要の口を、仟が両手で塞ぐ。遠矢は苦笑いしながらもすぐに顔を戻し、作戦を一人一人に伝えた。三人は頷き、この回先頭の遠矢はバッターボックスへ向かう。

 

(まずは僕だ!)

 

遠矢が打席に立った。その姿に、愛理はワクワクしていた。

 

(この打席は策を考えてきたようね。楽しみだわ)

 

そんなバッテリーの投げる球は決まっている。愛理はど真ん中を構え、ノーサインで望月が投げる。

 

(加速か……それとも停止か……)

 

遠矢は見送る。

 

(121キロ。加速だった……)

 

キャッチャーの愛理はすぐにボールを返し、望月もすぐに振りかぶる。ノーリードが可能にする投球までの早さも、遠矢に襲いかかっていた。

 

(体が前にだけは行かないように……)

 

続く二球目。

 

(加速しろ!)

 

遠矢は予測したが、全くタイミングの合っていないスイングを見せた。空振りした遠矢が打席を外す。

 

(130キロか。今度は加速しなかった。今のは来ない球?いや、白城さんとの仮定の話は、止まるように来ないストレートだ。やっぱり今のは加速しなかっただけかもしれない。なら次は、140キロ台の加速に絞る!)

 

勝負の三球目、遠矢は二球目と同じように振り出した。

 

(ここまでは合ってるはず……)

 

そして、ボールがミートポイント辺りにきた。

 

(加速してくれ!……え?)

 

パン!「ストライクバッターアウト」

 

遠矢は振り遅れ、空振り三振に終わった。

 

(140キロ台の加速は、120キロ台とは別物……加速スピードが違う!)「くそぉ!」

 

遠矢は悔しがり、バットを地面に叩きつけた。

 

(惜しい勝負だったわよ。遠矢君)

 

キャッチャーの愛理は、三塁ベンチへ下がる遠矢の背中を見ていた。そして九番の一奥が打席に立つ。何も話さずいつもと違う一奥の雰囲気に、愛理は少し拍子抜けした。

 

(あら?一奥君にしては静かね。まぁいいわ。私のやることは決まっている)

 

望月が初球を投げた。一奥はストライクを見逃す。

 

(見逃し?やはり何かありそうね……)

 

二球目、130キロ台のストレートが投じられた。見逃した一奥は追い込まれるが、冷静そうな表情に変化はない。愛理はわかりやすい性格の一奥に疑問を持った。

 

(また見逃した。これで狙いは次の140キロ台になったわね。でもそれは、一番合わせにくい球よ……)

 

ホーム付近が異様な空気に包まれる中、ピッチャー望月が決めにくる。一奥はついにバットを振った。

 

「だりゃー!」

「え?」

 

バットに当てられ、驚いた愛理はすぐにマスクを外す。打球はフラフラっと上がってファーストの頭を越えた。その瞬間、三塁ベンチに座る遠矢はニヤリと口角を広げる。

 

「よっしゃー!」
「一奥が出たぜ!」

 

ベンチからの声に応えるように、一塁の一奥は三塁ベンチへ左の拳を突き出した。

 

「おう!続けー!要」

 

愛報ナインが動揺する中、キャッチャーの愛理が笑顔で「ワンアウトー!」と叫ぶ。愛報ナインは望月と愛理が打たれたショックから落ち着きを取り戻したが、当の愛理は心を乱していた。

 

(わからないわ……。当たりは悪かったとしても、最終段階の遠矢君が当たらなくて、どうしてゼロ段階の一奥君のタイミングが合ったの?)

 

キャッチャーの愛理とピッチャーの望月は、10キロ刻みの配球に自信を持っている。遅い球から段々と速くなるこの三球は、愛知ナンバーワンバッターである名京高校国井(くにい)ですらファールがやっとだった。最後は、140キロ台で空振りに仕留めている。

 

(これはタイムリミッターにも勝った球……なぜなの?)

 

愛理の混乱が増す中、一番の要が打席に立った。その構えに、思わず座っていた愛理は立ち上がる。

 

「ちょっと要!その構えは本気なの!」

「あはっ……はい」

 

要が笑ってごまかす中、一部のスタンドからはくのいちコールが球場内に響き渡る。それを聞いた愛理は、要が高校でもこの構えで打っていたと理解した。

 

「なるほど。どうやら本気のようね。あなたはそれを、1つの武器にした訳か」

「はい!お願いします!」

 

要は頭を下げた後、再びくのいち打法で構えた。横目で見ていた愛理は、その構えが記憶と微妙に違う事に気づく。逆に興味を持った。

 

(確か右手が前だったはず……それが今はクロスして左手が前か。それで本気と言うのなら、投げてみればわかるわね。返しの効かない握りなら、長打はないわ!)

 

初球、要は120キロ台のストレートをピクリともせず見送った。場内からは、『おぉ……』と、声が漏れる。

 

(この反応。やはりこの構えで結果を残してきたようね……)

 

愛理はそう思ったが、要が見せたくのいちクロスは初お披露目だった。ファンは気づいているが、キャッチャーの愛理は気づいていない。先程の観客の声は、そういう意味も含んでいた。

 

二球目も、要は130キロ台のストレートを見送った。愛理は警戒を怠らない。

 

(構えもそうだけど、ここまでは打たれた一奥君と同じ。やはり140キロ台のストレート狙いなのね。面白いわ……)

 

そして、三球目が投げられた。愛理は自信満々にど真ん中を構える。

 

(さぁ、要。どうするのか見せてもらうわよ!)

 

ボールがミットとの距離を詰める。だが要は、ベタ足のまま動かない。要が動いたと愛理が思った瞬間、腕をクロスしたまま前に出した要は、インパクトの瞬間左手を離した。

 

ほぼ片手打ちのくのいち打法とは違い、くのいちクロスは腕をクロスしている為、それが支えになりバットを出した時の安定感は抜群だった。そして腕をクロスした効果により、右手はバットを短く持つ結果になり、より速いスイングを実現した。

 

キン!「サード!」

 

キャッチャーの愛理が叫ぶ中、フラフラっと上がった打球はサードの頭を越えて落ちた。

 

「続いたー!」
「さすがくのいちクロス!」

 

またも西島ベンチが盛り上がる中、キャッチャーの愛理は苦笑いしていた。

 

(私も大概だけど、要はバッティングの限界を超えてるわね。悔しいけど、見事だったわ)

 

誉めた愛理だが、すぐに頭を切り替えた。

 

(確かに理にかなった対応だった。でも、タイミングが合った事とは別……。これも一奥君と似たような打球だったわ。完璧に合っていないけど、この結果はまぐれじゃないわね)

 

そして、二番の仟が打席に立った。

 

(ワンアウトでも、次は白城君。仟は送ってくる可能性もあるわ……)

 

愛理は仟の構えを見て、フッと微笑んだ。

 

(やはりこの構えか。双子ね。この場面が勝負どころと判断したって事か。さすがにタイムね)

 

愛理は、球審にタイムを要求した。

 

「ターイム」

 

愛報内野陣がマウンドへと集まる。

 

「ごめんね、みんな。まさかここまで当てられるとは思わなかったわ」

「いや、愛理。僕のせいっす。上手くリミットを調整出来てなかったかもっす」

 

「望月のせいじゃないわよ。西島のバッターが私たちのリミットを超えただけの話。その原因がわからないのよね……。まぁ、それはいいんだけど、次の仟があの構えだから、真ん中を外に変えるわよ?いいかしら?望月」

「わかりました」

 

「ここで仟にヒットを打たれる訳には行かない。多少ボールでも構わないから」

「はい」

 

「後、内野はセカンドゲッツーでいいわ。じゃ、行きましょう」

『しゃあ!』

 

愛報内野陣がポジションへ戻る。そして、キャッチャーの愛理は仟に一言伝えた。

 

「要のバッティングは見事だった。仟も同じ構えなら、こちらも少し手を加えるわよ。まぁ、ノーリードは変わらないけどね?それ以上は勝負だから言えない。正々堂々行きましょう」

「愛理さん……。わかりました!」

 

楽しそうな愛理の笑顔に、仟は自分の成長を見せたいと思った。

 

(私たちがやってるのは、いつもの大好きな野球。大会前の西島(にしじま)理事長の言葉が、この大事な場面だからこそ生きる!この瞬間に……私も成長する!)

 

愛理が座り、球審のプレイがかかった。場面はワンアウト一・二塁。ピッチャーの望月が、セットポジションから初球を投げた。仟はそれを狙いに行く。

 

(アウトコース!)

 

しかしボールの判定だった。

 

(加速はした。でも外れた?外したの?)

 

すると、仟の耳にマウンドの望月の声が入る。

 

「すみません、愛理」

「いいわよ。ドンドン来なさい!」

「はいっ」

 

その様子に、仟は迷いが晴れた。

 

(コントロールミス。普通に外れたんだ。確かに望月君は、コントロールよりスピードのピッチャーだった)

 

二球目、望月は初球と同じ120キロ台のストレートを投げた。

 

(また加速……)

 

今度はアウトコースいっぱいに決まる。仟は緊張を隠せない。

 

(外ギリギリの加速……。ここに決められると、遠矢さんのアドバイスに誤差が出る……)

 

三球目、望月の球は130キロ台の外のストレート。仟は見送る

 

(ここまで全て加速……)

これも外いっぱいに決まった。仟は一息つく。

 

(やっぱり加速だった……次が勝負。愛理さんは、自信のある球でくるはず!)

 

すると、仟の耳に愛理の切れのいい声が聞こえる。

 

「いいじゃない!望月。シニア時代のクリーンアップが困ってるわよ!」

「はい!」

 

そして四球目、やはり愛理は140キロ台の外のストレートを選択した。狙っていた仟も対応する。

 

(あの目印から、少し遅らせて……今だ!)

 

仟がバットを前に出した。

だが、仟の表情が冴えない。

 

(加速しない!)

 

ボールとバットの距離を見た愛理は、ニヤリと微笑む。

 

(タイミングが早い!もらったわ!)

 

その瞬間だった。仟のバッティングがここで進化する。加速を予想してバットから離れそうになった左手をグッと握って止め、右手首を動かしてボールに当てた。

 

コン……

 

仟が執念で止めたバットにボールが当たり、三塁線へ転がった。あまり転がらなかった打球を、サードとキャッチャーの愛理が追いかける。愛理は走りながら、各ランナーを見た。

 

(三塁はカバーがいない。二塁は要……足は速いからゲッツーは無理。送る形でも、仟はアウトにする!)「任せて!」

 

愛理は、前へ転がる打球にミットを被せるように捕った瞬間、左足でジャンプした。空中で曲げた右足を左回転に送って勢いをつけ、そのまま一塁へ送球。

 

(加速させなさい!野球の神風!)

 

愛理の送球は風で加速し、懸命に伸ばされたファーストミットに収まった。一塁ベースを踏んだ瞬間、両腕を後ろへ翼のように伸ばした仟が見たのは、ファーストミットへ収まる瞬間の白いボールだった。

 

「セーフ!」

『オォォォォ!』

 

歓声が上がる中、右足で踏んだベースの反発力を利用した仟は上へ飛んだ。空中でたたんだ肘の先にある両拳の間に挟まれたその表情は、瞳を閉じた満面の笑みだった。

 

(繋いだ!)

 

着地した仟は、一塁ベースに戻るまで右拳を震わせていた。そんな仟を、ホームへ戻りながらキャッチャーの愛理は見ていた。

 

(あのクールだった仟が、ここまで喜びを表現するなんて……成長したわね)

 

「ナイスバッティングだ!仟!」

「ん?」

 

愛理は、叫んだ三塁ランナーの一奥を見た。

 

(斉藤一奥か……この流れを作ったのは、彼かもしれないわ……)

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予想外のリミッター

一連の流れを見ていたネクストバッターズサークルの白城は、ベンチで遠矢が口にした言葉の真意に体が震えていた。

 

(マジかよ……なんだよこれ……)「フッ、フフッ……」

 

白城がバッターボックスへ向かう。この時スタンドは、カシカナのくのいちクロスに興奮する人々と、スリーラン・ソロと二打席連続ホームランの白城が迎えた、ワンアウト満塁に興奮する人々の熱気で包まれていた。

 

白城は歩きながら、要の打席の時に遠矢と交わした会話を思い出す。

 

‘ 白城さん。まだ未確認ですが、カシカナの連続ヒットは何かしらのリミットを生んでいたのかもしれません’

‘ なに?リミットだと?’

 

‘ はい。二人はシニア時代、要は一番で仟は三番だったそうですから、本人たちも気づいてないようですけどね。まぁ、この回に条件が揃えば、打席で確かめてみて下さい。’

 

(遠矢(あいつ)はサラッと言ったが……こいつはとんでもないリミットだぜ!)

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