ベンチへ戻る遠矢(とうや)は、小山田(おやまだ)が空振り三振した球を思い出した。

 

(そうだ……。あの時僕はなぜ加速に気づかなかったんだ。いくら愛理(あいり)さんでも、これはありえなすぎる。ここまで考えが及ばなければ、今の打席は勝てなかったのか……)

 

そんな遠矢を、一塁ベンチ前から振り向いた愛理が見ていた。

 

(そんなに落ち込む事はないわ、遠矢君。これは私にも計算外だった球。本当にありえない事だった。監督や仲間の想いが、このチームの今のテンションがリバースリミットを超えさせてくれたのよ)

 

下を向いたまま三塁ベンチへ向かう遠矢。その姿を見ている西島メンバーも、遠矢の絶望を察していた。

 

一人を除いて。

 

「遠矢!最後は加速したのか?」

「え?あ、一奥(いちおく)……。うん、ドリルが加速したよ。愛理さんは、この土壇場でリバースリミットを超えてきたんだ……」

 

「そっか。それなら遠矢もリミットを超えればいいじゃん」

 

一奥は、この絶体絶命の中で笑った。そんな一奥を見た遠矢は、「そうだね」と苦笑いをする。

 

レフトの白城(しらき)が、「一奥(アホおく)、この回ゼロに抑えろよ!」と言いながらベンチを出ると、一奥は白城に言い返した。

 

「あったり前だ!本気の女王様を絶対に抑えてやる!」

 

一奥が楽しそうに微笑むと、白城もフッと笑いながらレフトへ行った。

 

「遠矢、早く行くぞ。やられたらやり返そうぜ!」

「ありがとう、一奥」

 

遠矢の声に元気はない。西島メンバーの誰もが、この最悪な状況を理解している。遠矢は、勝負どころで打てなかった自分を責めないメンバーに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

そこに現れたのは、セカンドの仟(かしら)だった。

 

「遠矢さん!そんな顔をしているなら、私がキャッチャーやりますよ?」

「仟……」

 

「エヘッ。いつものお返しです」

 

仟は、笑顔を贈ってセカンドへ走り出した。

 

「大丈夫だよ遠矢(とや)君。負けても廃部になるだけだからね」

「要(かなめ)、それはちょっと」

 

下を向く遠矢の肩に、村石(むらいし)が腕を回した。

 

「ここからだ遠矢!一奥の言う通り、お前もリミットリミッターを超えろ!」

 

声をかけた村石の横には、神山(かみやま)・杉浦(すぎうら)も立っていた。

 

「みなさん……」

 

それぞれが九回の守備へ走る姿を、遠矢はジッと見ていた。最後に声をかけたのは、微笑む紀香(のりか)監督だった。

 

「遠矢。私の自慢のチームはどう?」

「そうですね」

 

遠矢はグラウンドを見渡す。そして紀香監督を見た。

 

「監督、本当に最高です」

「ウフフッ」

 

すると、紀香監督を見た一奥が「あっ!」と思い出した。

 

「そう言えばさぁ、監督。まだ監督との勝負はついてなかったよな?」

「あーぁ、そうだったわね。まぁ私は、愛報の四番を抑えられないバッテリーには負けないけど?」

 

「言ったなぁ!監督、見てろよ!」

「当たり前でしょ?私は見てるだけよ。ん……なによ?一奥」

 

「監督!そこはアレだろ?アレ!」

「アレ?あれってなによ?」

 

「ったく、調子狂うなぁ。じゃあ勝手にやるからな!行くぞ!遠矢」

「うん!」

 

一奥と遠矢は、微笑み合いながらグラウンドへ飛び出した。

 

「ほんと、バカな子ね」(好きにしなさい……)

 

スッといつものように座った紀香監督が見つめる中、最終九回の表が始まる。鶴岡(つるおか)の代打で出た小山田(おやまだ)は交代し、ライトに影山(かげやま)が入った。一点リードの愛報(あいほう)高校は、八番の間口(まぐち)から。

 

間口がバッターボックスに立つと、一奥に異変が起きた。一奥は、愛報ベンチに宣言した。

 

「愛理!今からツーアウト満塁にする。勝負だ!」

 

すると、一塁ベンチに座っていた愛理が笑って立ち上がり、ベンチ前へ出た。

 

「面白い予告ね!でもその挑発には乗らない。あなたがそうしたければ、実力で証明しなさい!」

「あぁいいぜ!バット振って待ってろよ!すぐに片付けてやる」

 

一奥はふりかぶった。

 

「行くぜ、遠矢!女王様を超える、全てど真ん中のノーリードだ!」

「来い、一奥!」

 

(なんですって?ど真ん中のノーリード?)

 

バッター間口への初球を見た愛理は驚いた。

 

バーン「ストライク」

 

(速い……なんだこのストレートは)

 

バッターの間口も驚く。そして愛理は唾を飲み込んだ。

 

(違う!これはノーリードじゃない。覚悟を……決めた球……)

 

愛理が目にした電光掲示板に記された球速は、155キロだった。リミットリミッターの遠矢は、一奥の力を無意識に引き出していた。

 

(わかったわ……。それなら私は、あなたたちに全力で応える事にする。本当に諸刃のリミットを超えられるのか?その挑戦に、私も挑ませてもらうわ!)

 

この時、愛理は武者震いしていた。すると、返球した遠矢に一奥が聞く。

 

「悪ぃ遠矢、こいつ歩かせていいか?」

「なにぃ?ふざけるな!」

 

バッターの間口が言い返す。

 

「ふざけてねぇよ。俺は監督の唯一の教えを守ってるだけだ!」

「なんだそれは!」

 

「知らねぇのか。なら教えてやる。西島(せいとう)高校の新しい伝統は、好きにしていいんだよ!」

 

一奥は外したボールを投げ、間口はそのボールを睨む。

 

「こいつ……マジで俺を歩かす気かよ」

 

この時、いつもの遠矢なら一奥の行動に苦笑いしていたが、今は違った。

 

(不思議だ……いつもと違うワクワク感がある。頭では無謀だとわかっているのに、楽しい気持ちを止められない!)

 

まるで敬遠がキャッチボールかのように、一奥と遠矢は話ながら投げ合っていた。

 

「一奥。誰をアウトにするの?」

「そうだなぁ……一番には初回にも打たれてるし、一番と……」
「長谷川さんか。後は?」

「誰でもいいや!」

 

遠矢のミットがパーンと音を立て、間口はフォアボールとなった。

 

「お前ら、これは試合だ。後悔させてやるからな」

 

間口は一塁へ行き、九番が打席に立った。一塁へ着いた間口は、ファーストの杉浦に話しかける。

 

「おい、あのバッテリーをほおっておいていいのか?お前ら負けてんだぞ?」

「ん?なんだ?ツーアウト満塁で愛理(あいつ)がバッターなのはダメなのか?」

 

「当たり前だ!……くそっ」

 

真剣には見えないバッテリーに間口がイライラしていると、そこに来たのはインプレー中のセカンド仟(かしら)とセンターの要(かなめ)だった。

 

「間口さん」
「えへへ」

「え?お前らセカンドとセンターだろ?なんで一塁に集まってきてんだよ!おいセンター!グローブを頭に乗せるな!」

 

「いつもの事だからね?要」

「アハハ、一奥んの日常ご飯事」

 

「それは日常茶飯事でしょ?」

「あ、間違えちゃった!」

 

『アハハ!』

 

笑う仟と要を見た間口は、グラウンドの西島ナインを見て呆れた。

 

(なんなんだこいつらは……レフトはスタンド付近でしゃべってるし、サードもショートもあぐらかいて座ってやがる。どいつもこいつも守る気がないじゃねぇか……)

 

間口が最後に見たのは、唯一構えているライトの影山だった。

 

(まともなのはアイツだけか……)

 

西島ナインの雰囲気にボーッとしていた間口に気づいた一奥が、「仟!」と叫んで一塁へ牽制球を投げた。

 

「うおっ!」

 

間口は1歩足を伸ばしてベースを踏む。仟はニコリとしながらボールを捕っただけで、間口にタッチはしなかった。

 

「なに楽しそうに話してんだよ?こっちは一生懸命敬遠してるんだぜ?」

「一奥さん。この回は守りませんから、そのつもりで」

 

仟は速球で一奥にボールを返す。一奥は、仟の気合いをボールと共に受け取った。

 

「あぁ。サヨナラ逆転の為に素振りしてていいぜ!」

 

バッテリーは、九番バッターも歩かせた。

 

「ナメやがって!」

 

ネクストバッターズサークルから叫んだ長谷川(はせがわ)が打席へ向かう。バッターボックスに入ると、再び叫んだ。

 

「お前ら!お茶会じゃねぇんだよ!ポジションにつけ!」

 

長谷川の言葉と同じ思いでいた球審が、注意しようとしたその時だった。

 

「長谷川さん、これはシフトですよ?」

 

そうキャッチャーの遠矢が呟く。

 

「なにっ?これのどこがシフトだ!」

「でも、長谷川さんが不利になる事はありません……」

 

座っている遠矢の目つきが変わった。バッテリーの雰囲気が変わったのを感じた一番の長谷川は、気持ちを切り替えた。

 

(これは試合だ。あいつらが守らないなら、俺はがら空きの内外野を抜くだけだ!)

 

構えた長谷川を見て、一奥は遠矢に聞く。

 

「156……いや、157キロか?」

「158だよ、一奥」

 

「そっか、158か……」

 

ニヤつく一奥が振りかぶった。だが、二塁ランナーの間口は走らない。

 

(お前らバッテリーの馬鹿げた覚悟。真後ろから見届けてやる!)

 

そして一奥が投げた。

 

「いっくぜ!」

パーン!「ストライク」

「なっ!」

 

空振りした長谷川は驚き、予告された球速を確かめる為にバックスクリーンを見た。

 

「くっ……」(マジかよ……本当に158キロを出しやがった。愛理のリバースリミットを超えてるって言うのか?打率10割状態の俺が、当てることもできねぇのかよ……)

 

遠矢からボールを受け取った一奥が目にしたのは、開いた口が塞がらないネクストの長井(ながい)の顔だった。そんな長井を指差す。

 

「決めたぜ!遠矢、歩かすのはあいつだ!」

「だね。僕もそう思っていたよ」

 

「へへっ。じゃあ続きを始めるか。どうやら俺たちバッテリーは、女王様の10割リミットをマジで超えてるようだしな!」

 

一奥が二球目を投げる。

 

(また158……速え……)「くそぉ!」

 

長谷川の二度目の空振りを見た一奥は、少し不満そうに叫んだ。

 

「おいバッター!打てよ!驚いてねぇで自分の限界を超えろ!俺はお前と同じ左バッターに、場外ホームランを打たれてるんだぞ!」

「へっ、誰だよそれ。愛理以上のバケモンかよ……」

 

「俺はそのつもりだ!」

 

一奥が三球目を投げた。

 

パーン!「ストライクバッターアウト!」

「くっそぉぉ!」

 

長谷川は歯を食いしばり、一塁ベンチへと下がる。そんな長谷川に、一奥はボールを捕りながら告げた。

 

「次はもっと、限界を上げて来いよ」

 

そして二番の長井が打席に立ったと同時に、キャッチャーの遠矢も立った。一奥はもちろん敬遠する。

 

「こいつは153キロにビビってたからな」

 

「一奥。長井さんの今の限界は155だよ」

「そっか。でもツーアウト満塁で女王様と勝負だからな。歩いてもらうぜ」

 

「次の長間さんは……」
「待て!遠矢。……158キロか?」
「それは限界」

 

「なら160キロか!」

パーン!

「だね」

 

最後は速球で外した一奥のボールに、遠矢はミットに右手を添えて力強くキャッチした。

 

「ボール、フォアボール」

 

長井は一塁へ走りながら、ネクストの長間へと叫ぶ。

 

「長間!頼むぞ!」

「あぁ!」

 

長井が一塁へ行き、三番の長間がピッチャーの一奥を睨みながら打席に入った。

 

「話の通りだ。160キロ三球、ウォーミングアップさせてもらうぜ!」

「お前、さっき長谷川に面白い事を言っていたな。俺に三下に打たれた上の球を投げろ!粉砕してやる……」

 

長間が構えた。

 

「奇遇だな。あんたも左バッターだ」

 

一奥が振りかぶった。

 

「これがお前の限界を超える、160キロだ!」

(速い!)

 

見送った長間に、一奥はニヤつく。

 

「へへっ、どうした?様子見かよ」

「黙れ!まだ二球ある」

 

「そうかよ」

 

強きを装うバッターの長間だが、振らなかったのではなく手が出なかった。

 

(これが160キロのストレート……。奴が投げる瞬間に振りださなければ……間に合わない!)

 

一奥が振りかぶる。

 

「二球目、行くぜ!」

 

空振りした長間は、「くっ」と顔を歪めた。

 

(たった数キロの差が、ここまで打てない球になるのか……)

 

そう長間に感じさせたのは、あえて数字を言った一奥と遠矢の会話に秘密があった。この時、長間の本当の敵は自分自身の意識だった。その意識が愛理のリバースリミット効果を弱め、長間は自分自身に限界を作ってしまっていた。

 

(俺には……打てないのか……)「くっ」

 

パーン!「ストライクバッターアウト!」

 

見逃し三振。長間はベンチへ下がり、キャッチャーの遠矢はタイムを取った。遠矢は、ナイン全員をマウンドに集めた。

 

バッターボックスへ向かう愛理は、厳しい表情でマウンドを見ていた。

 

(この打席の私はホームランのみ。結果は揺るがない!)

 

そして遠矢がホームへ戻り、グラウンドへ散ると思われたナインが一奥の横へ3人ずつ、右と左に斜めへ並んだ。ただ一人、センターバックスクリーンに走ったのは白城だった。その白城は腕を組み、フェンスに寄りかかる。

 

それを見た愛理は、西島ナインのバッテリーへの信頼と覚悟を理解した。

 

(これは人文字。描かれた矢の中心に一奥君。その遥か先に白城君がいる。私に、バックスクリーンに叩き込めと言いたいのね……)「間口!そのままでいい。歩いて帰すわ!」

 

三塁ランナーの間口は頷き、愛理はバットを構えた。

 

ツーアウト満塁。満塁ホームラン率10割の愛理と、西島ナインの限界バトルが始まった。末広がりの六人が中腰で構え、周辺からカメラのシャッターやスマホの写メが撮られる。そして一奥がロジンをマウンドに捨てると、ざわついていた観客の声が止まった。

 

球場内は、異様な静寂に包まれる。そして、一奥が宣言通りのストレートを投げた。バーンという遠矢のミット音と、球審のストライクの声が球場内に響く。初球を見逃した愛理に、球場全体が固唾を飲んだ。

 

(161キロ……。一奥君、あなた一体どこまで限界を……。なら私が、次の球であなたを止める!)

 

真剣な眼差しの一奥が、二球目のストレートを投げた。愛理がスイングに入る。

 

(終わりよ!)

 

そう愛理が思った瞬間、静かな球場内で愛理と遠矢だけがその音を耳にした。

 

ゴォォォォォ……

(これは……)

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一奥対愛理、決着!

バーン!「ストライクツー」

 

(私の風を……ボールが切り裂いた……)

 

愛理が驚く中、遠矢はボールを捕った姿勢で計算通りと口角を横に広げた。愛理のまさかの空振りに、球場内がどよめく。返球を捕った一奥は、勢いそのままに振りかぶる。

 

「女王様の限界は……西島(オレたち)が超える!)」

 

一奥が三球目を投げた。スイングへ行く愛理の耳に、再び風を切る音が入る。

 

(それでも……負けたくない!)

 

一奥の気持ちに、愛理はフルスイングで応えた。その勢いでヘルメットは落ち、結んでいた長く黒い髪が乱れる。球場内に鳴り響いたのは、遠矢のこの日一番のミット音だった。

 

『オォォォォォォ!』

「ストライクバッターアウト!」

 

コールを聞いた愛理は、顔を上げて電光掲示板を見る。

 

(162キロ……唸るフォーシームストレートか……完敗だわ)

 

微笑んだその目に、元気な姿の一奥が映った。

 

「女王様!空を見てる暇は無いぜ!先頭バッターは俺だからな。今度は加速ストレートを超えてやる!」

 

三塁ベンチへ下がる一奥に、愛理は叫んだ。

 

(全く……)「この野球バカ!」

 

驚いた一奥が振り返ると、愛理は微笑みながら振り返り、背中まである長い髪を揺らせた。愛理が一塁ベンチへと歩きだすと、間口や長谷川、長井、長間を始めとする愛報メンバーが次々に声をかけ、グラウンドへ走っていった。

 

「抑えれば勝ちだ!」
「愛理、ドンマイ!」
「凄い勝負だったぜ!」

 

(みんな……よし!)「私が負けても、愛報高校は負けない!このまま試合を終わらせるわよ!」

『おーう!』

 

ベンチ前で叫んだ愛理は、防具を着けてホームへ走った。

 

(悔しいけど、結果は三振だった。今は守りのリバースリミットも完璧に使える。試合、もらったわ!)

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