コン……

 

「チッ!」(マジで杉浦がスクイズかよ!)

 

走る杉浦(すぎうら)を見ながら打球を処理したキャッチャーの小沢(おざわ)。しかし、

 

「なっ?しまっ……」

 

ファンブルし、すぐに拾い直して一塁へ送球する。

 

「セーフ!」

 

「よっしゃー!」
「ナイススクイズだ!杉浦」
「これで二点差!」

 

杉浦の足がギリギリで勝った。西島(せいとう)ベンチが盛り上がる中、スタンドの愛理(あいり)と白城(しらき)は目を疑っていた。

 

「本当にスクイズだったわね……」

「まぁ……神山さんは真面目というか頑固というかなんで……」

 

白城は微笑みながらグラウンドを見つめた。そんな白城を横目に見た愛理は、「う~もうあり得ないあり得ない。ここは男らしくガツンと放り込みなさいよ!」と、両手を上げて伸びをした。

 

「でもこれ、愛理さんのせいっすよ?」

「え?どうして?」

 

「だってほら、超オーソドックスを守ってるし……」

「あ……。もしかして、やりすぎちゃった……?」

 

「かも……しれないっすねぇ」

 

そう言いながら、白城も両腕を上げて伸びをした。

 

「でも白城君、やらかしてはいないみたいだわ」

「ん?ほぅ……なるほど。確かにそのようっすね」

 

二人は、再びマウンドへ集まる美平館(みへいかん)内野陣を見てそう言った。

 

「すまん新道(しんどう)」

「気にするな小沢(おざわ)。まだ一点だ」

 

「……だが新道、お前らしくないぞ?外すストレートが真ん中に来るなんてな」

「そうだな……」

 

「ん?どうした?新道」

 

小沢は、新道が右手を見つめている姿が気になった。

 

「わからないが、急に球が走らなくなった。コントロールミスもそのせいだ」

「なに言ってんだよ。訳わかんねぇぞ」

 

「だから……俺にもわからないと言っているだろ!」

 

新道の叫びに、小沢は唖然とした。

 

「新道……」

「すまん小沢、大丈夫だ。みんな、ワンアウト満塁守りきるぞ」

『おう!』

 

ホームへ戻る小沢は、初めて見た新道の姿に首をかしげていた。

 

(どうしたんだ……。試合は俺達の勝ちパターン。いつも通りじゃねぇか)

 

完全に集中していなかったキャッチャーの小沢は、いつものクセで外のストレートのサインを出していた。

 

(いける!)

 

二番の小山田(おやまだ)がスイングに入ったその時、小沢は(しまった……)と焦る。

 

「よし!」

 

打った瞬間抜けると確信した小山田は、走りながら右手で小さくガッツポーズをした。打球は一・二塁間を破り、ライトからの返球をファーストがカット。小山田のタイムリーで、この回2点目。ついに西島高校が一点差まで詰め寄る。

 

右手を顔まで上げて謝る小沢に、新道はワンアウトと人指し指を立てて応えた。だが、ピッチャー新道の内心は違った。

 

(くそっ。やはり球にキレがない。なぜだ?今日は調子が良かったはずなのに……)

 

それは、小沢も同じだった。

 

(こんな新道は初めてだ。だがいつも通りの野球をやれば……)「ハッ?いつも、通り……」

 

小沢は、目を泳がせながら声にならない声を出した。そんな小沢の姿を、三番の村石は気合いの入った表情で見る。

 

「どうした?小沢。随分余裕がないように見えるぜ?」

「何を言っている。まだリードしているのは俺たちだ!」

 

小沢は座り、ピッチャーの新道を見つめた。バッターボックスに入った村石は、足場を作りながら呟く。

 

「神山がな……この回で終わらせるってよ……」

 

マウンドを見つめる村石をチラッと見たキャッチャーの小沢だったが、挑発には乗らなかった。しかし、小沢もいつも通りではなかった。

 

初球、小沢はフォークのサインを出す。新道は投げたが、かなり手前でワンバウンドした。なんとか体で止めた小沢だったが、それを見た村石は黙っていなかった。

 

「これがお前らの野球だったか?」

「なにぃ!」

 

立ち上がった小沢が詰め寄ろうとした瞬間、村石の微妙に冷めた表情に思い止まる。

 

「あの小沢が満塁の初球にフォークか……。俺が盗み過ぎて、リードを忘れちまったようだな」

「くっ……」(村石の挑発に乗るな!落ち着け……冷静になるんだ)

 

二球目、小沢は外のストレートを要求。村石は見送りストライクを奪われる。

(よし!いいぞ、新道)

「そうだよな。小沢、これがお前のリードだ。新道もお前もいつも通りになったなら、俺も遠慮なく行くぜ!見せてやる。約束だった俺達の野球をな」

 

村石は、短く持っていたバットを一番長く持ち変えた。それを見た小沢はフッと笑う。

 

(結局変わってないじゃないか。だが助かったぜ、村石。オーソドックスな野球を貫いてきたこの回が、お前らにとって最後のチャンスだったと思い知らせてやる)

 

小沢がサインを出し、ピッチャーの新道が左足を上げた瞬間だった。村石が呟く。

 

「外のスライダーだ……」

(なにぃ!)

 

次の瞬間、村石が小沢の計算を完璧に読んだ。打球はまたもやライト前へ。西島高校、連打でついに同点。打った村石は、一塁ベース上で杉浦のスクイズが決まった後のベンチの様子を思い出していた。

 

――――――

 

「神山君」

「はい」

 

「始めるわよ」

「わかりました」

 

――――――

 

(小沢が頼れるのは、積み重ねてきた経験だけだ。そして信じられるのは、自分のリードのみ)

 

一塁ベースに立つ村石は、バッターボックスに立つ神山を見ていた。

 

(神山、俺たちのST野球を見せてやれ!)

 

そして、四番の神山が左打席に立つ。その目は、歯を食い縛るマウンドの新道を捉えた。そんな新道の姿に、神山はキャッチャーの小沢に話しかける。

 

「小沢」

「なんだ」

 

「お前がずっと見てきた新道に、限界を感じた事はなかったのか?」

「なにを今さら言っている。あるはずがない。俺やチームは新道と共に成長してきたんだ!」

 

「成長か……なら教えてやる。それがセーフティリミッター新道の力だ」

「なにっ?新道がリミッターだと!デタラメを言うな!」

 

「セーフティリミッター……俺も気づかなかったんだ。そして新道自身も気づいていない。だからこそリミッターはチームの1つの力だと、チームの全てではないと、改めて言わせてもらう……」

 

神山が大きく構えた。

 

「あいつらを外した、俺達の野球で証明する!」

 

(新道がセーフティリミッター……そんなはずはない。俺は絶対に認めない!)

 

キャッチャーの小沢がサインを出し、ピッチャーの新道がセットに入る。

 

(来い!新道!もう一度俺達の野球を見せつけるぞ!)

 

初球。小沢は外のカーブから入ってストライクを取る。

 

(そうだ!新道。ナイスボールだ!)

 

二球目、バッテリーはインコースのストレートを外してボールにする。要求通りの球に、キャッチャーの小沢はうなずいた。

 

(これでいい。次は外のシュート。厳しく来い!)

 

三球目もストライクを奪い、カウントはワンツー。神山は一度もバットを振らずに追い込まれた。だが、追い込んでいたのは神山の方だった。神山は、小沢の勝負球を待っていた。

 

その時、バックネットの最上段から試合を見守っていた志奈(しな)が突然立ち上がる。隣にいた斜坂(ななさか)は、「志奈さん?」と上を向いた。その声は届かず、志奈はいても立ってもいられない表情でバックネット最前列へかけ降りた。

 

志奈が走る中、マウンドの新道が勝負球を投げた。

 

「新道君!」

 

カキーン……

 

叫んだ志奈が目にした打球は、インコースのスライダーを振り抜いた神山の遥か上空を飛んでいた。神山は、バッターボックスから動く事なくそれを見つめる。

 

『オォォォォォォ!』

 

大歓声の中、志奈は膝から崩れ落ちた。駆けつけた斜坂は、泣き続ける志奈を後ろから見守るしかなかった。

 

完璧に打たれたマウンドの新道は、仁王立ちで下を向く。小沢がキャッチャーミットをホームベースに叩きつけたのを見て、神山は無表情のまま走り出した。

 

一塁アルプスでは、「よっしゃぁ!」と興奮した一奧がフェンスによじ登る。遠矢と仟がユニフォームを引っ張って下ろす中、愛理と白城は神山を見てさすがという表情を浮かべていた。

 

「これで完全にセーフティリミットの力は無くなった。試合は決まったわね」

「そうっすね」

 

ダイヤモンドを一周する神山に笑顔はない。西島ベンチ前で手荒い祝福を受け、ようやく神山の表情は弛んだ。

 

キャッチャーの小沢がマウンドの新道の下へ行こうとしたその時、バックネット最前列で座り込む志奈に気づいた新道が叫んだ。

 

「志奈!」

 

志奈はしゃがんだまま前を向き、キャッチャーの小沢も振り向く。

 

「まだだ!……まだ試合は終わっていない。そこで最期まで見届けろ!」

 

志奈はハンカチで目を強く拭って涙を止め、新道へ頷いて元の位置へ戻っていった。斜坂も後を追う。

 

志奈が見届ける中、球の走らない新道は必死で投げ続けた。しかしさらに五連打を浴びたキャッチャーの小沢にも、成す術がなかった。

 

(認めたくはないが、今の新道は強豪との試合の姿……。あれは調子が悪かった訳でも、相手が上だからでもなかったんだ。神山の言う通り、新道はセーフティリミッターだったのか……)

 

新道のリミットは、セーフティリードしてこそ発揮されていた。これまで逆転をされる試合もあったが、さらに逆転出来たのは相手の実力次第だった。逆転すれば、再び新道のセーフティリミットが発動。球にキレが戻る。

 

弱小相手には、新道の力ではまず先制されない。そして、セーフティリミットが発動すれば逆転もされない。強豪相手では、先制されればそのまま平立館は負けていた。

 

実力が拮抗している相手とのシーソーゲームなどは、特にセーフティリミットはわかりにくかった。だがら、誰も新道がリミッターだと気づかなかったのだろう。そして、同点の場面は新道の力が上がる事もなく落ちる事もなかった。

 

オーソドックスな野球にセオリーな試合展開が持ち味の新道と小沢。これは、ごく普通の試合運びだからこそ起きてしまった出来事だった。

 

同点で神山を迎えた事が、二人の今の実力差も表していた。

 

五回表。西島ストック野球が炸裂し、場面はさらに二点を加えて9対3となったワンアウト満塁。迎えるは、ここまで3バントの一番杉浦。

 

いつもバッターボックスへ騒がしく向かう杉浦が、この打席は静かに入った。だが、キャッチャーの小沢はまだ諦めていなかった。とにかく檄を飛ばす。

 

「新道!踏ん張れ!意地を見せろ!」

「小沢……」

 

小沢は新道がセーフティリミッターだという神山の言葉を飲んだ上で、リードを変える決心をした。杉浦が構え、サインを見た新道の目が驚く。

 

(小沢……わかった)

(来い!新道!)

 

初球。いつもは外から入るバッテリーが、杉浦が大好きだとわかっているインハイのストレートを投げた。左方向へ大ファールを打った杉浦も、「ぐぬぬ……」と必死だった。新道・小沢のバッテリーは、今正に己の限界を超えようとしていた。

 

二球目、小沢はインハイからのスライダーを選択。上半身を引かされた杉浦はバットを出すが、大きく空振りした。すると、スタンドの一奧が遠矢に話しかけた。

 

「遠矢!このリードは……」
「懐かしいね。そうだよ。初めて僕らが杉浦さんを三振にしたリードだよ」

「だよな!なら、ここでスプリットがインハイに来るのか?」

「かもしれないね」

 

球場の全ての人が見つめる中、三球目に投じられたのはインハイだった。その瞬間、杉浦の脳裏に一奧とのセレクション対決が思い浮かぶ。

 

(一奧……)「くらえ!」

カキーン!

杉浦がスプリットを完璧に捉え、打球はあっという間にレフト場外へ消えた。一塁を回る寸前、杉浦はスタンドの一奧を無表情で指差す。一奥は「ナイスバッティングだ!杉浦先輩!」と叫んだ。ホームインした杉浦は、下を向いたまま座っているキャッチャーの小沢に声をかける。

 

「小沢、まだ終わるなよ」

 

一塁ベンチへ下がる杉浦の背中を見ていた小沢は、(無茶言うな……プライドを捨てた勝負に負けたんだ。完敗だよ)と、微笑んでいた。立ち上がった小沢は、ナインに叫ぶ。

 

「ワンアウトだ!声出して行くぞ!」

『おう!』

 

笑顔で叫んだ小沢の顔を見たピッチャーの新道は、微笑みながら目を閉じた。そんな新道の表情を目にした志奈は、この試合初めて微笑む。その新道の顔は、楽しそうにボールを追いかけるかつての6人の顔だった。

 

(杉浦君、鶴岡君、村石君、そして神山君。本当にありがとう……)

 

そして、志奈は笑顔でグラウンドに叫んだ。

 

「まだ10点差だよー!みんながんばれー!」

 

志奈の声を聞いたマウンドの新道は、右腕を志奈に向けて高く上げた。その姿を一塁ベンチで微笑みながら見ていた神山は、紀香監督に話しかけられた。

 

「よくやったわ、神山君」

 

神山に言葉はなかった。その目はマウンドの新道を捉え続け、数回頷いた。

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セーフティリミットの先

その後、二番の小山田がセカンド正面のライナーに倒れ、三番の村石もレフトフライに倒れた。そこには、セーフティリミットに頼らない新道の新たなスタイルがあった。結果西島高校は、五回表を一挙13点の猛攻で終える。

 

そして五回裏、鶴岡・村石が三者三振に抑え、リミッター不在の西島高校は五回コールド勝ちを決めた。

 

両チームが整列し、バックネット裏の志奈が拍手を贈る。キャプテンの神山と新道は、ガッチリと握手をした。

 

「ゲーム、西島高校」

 

試合が終わり、新道が神山たちの下へ歩み寄る。

 

「完敗だ、神山。お前たちの野球には限界がない。リミッターは認めるよ」

「新道、それはお前がセーフティリミッターだからか?」

 

新道は、フッと笑って振り返った。

 

「かも……しれないな……」

 

右腕を上げて去っていく新道の背中を見ながら、神山も満足そうに笑った。神山がふとバックネット裏を見ると、志奈が神山たちにお辞儀をする。応えるようにお辞儀した神山たち同級生四人は、手を振りながら笑顔で一塁ベンチへ下がった。

 

13対3。

西島高校は、ベスト8進出を決めた。

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