「ちょっと待て!一奥(いちおく)」
「この声は……杉浦(すぎうら)先輩なんだよなぁ……」
一奥(いちおく)は、苦笑いしながら三塁ベンチの杉浦(すぎうら)を見た。
「なんで嫌そうなんだよ!」
怒鳴る杉浦(すぎうら)に、一奥(いちおく)は両手を合わせた。
「頼むよ!杉浦(すぎうら)先輩。試合の流れを読んでくれ!」
「流れだと?」
杉浦(すぎうら)が腕を組んで考える。
「ふむ……白城(しらき)がアウトでチェンジ……キャッチャーが遠矢(とうや)で、俺は四番……」
「な!杉浦(すぎうら)先輩の打順じゃないだろ?」
「お……そうだな……」
杉浦(すぎうら)を上手くやり過ごした一奥(いちおく)は、今がチャンスと仟(かしら)の後ろへ回り、両手で肩を一塁ベンチへと押し始めた。
「そういうことだ、仟(かしら)。10人目のバッターはお前だ」
「ちょっと待って下さい。一奥(いちおく)さん!」
仟(かしら)が振り向くと、一奥(いちおく)も止まった。
「いいから早くしろって!また杉浦(すぎうら)先輩に邪魔され……」
「そうではなくてですね。その……」
仟(かしら)は下を向いた。その姿に、一奥(いちおく)は「ん?」と首をかしげた。
「……いえ。よろしくお願いします!」
仟(かしら)が礼をすると、一奥(いちおく)
は嬉しそうに拳を握った。
「よっしゃぁ!始めるぜ遠矢(とうや)!」
「もういるよ」
ホームへ振り返った一奥(いちおく)は「うおっ!」と苦笑いした。遠矢(とうや)はすでに、仕度を整えてホーム付近にいた。
「今度は準備がはえぇなぁ……」
一奥(いちおく)がマウンドへ歩き出すと、仟(かしら)は笑いながら駆け足で一塁ベンチへ向かった。
すると、笑顔の仟(かしら)に紀香(のりか)監督は、人差し指を立ててクルリと一周させた。
「監督、ホームランですか!」
「当たり前でしょ?要(かなめ)が昨日打ったのを忘れたの?」
「そうでしたね……」
仟(かしら)が苦笑いしながら防具を外していると、「にゃ~!」という声と共に要(かなめ)がヘルメットをかぶせた。
「要(かなめ)……」
「はい、バット」
笑顔の要(かなめ)からバットを受け取った仟(かしら)は、要(かなめ)と紀香(のりか)監督と頷き合う。そして、右バッターボックスへと走った。
「お願いします!」
ヘルメットを取り、仟(かしら)は遠矢(とうや)と一奥(いちおく)に一礼した。それを見た一奥(いちおく)は、帽子をブーメランのように左手で空へ投げた。
「仟、限界で行くぜ!」
「はい!」
仟(かしら)がバットを構え、マウンドの一奥(いちおく)が投球モーションに入る。
「まずは挨拶代わりだ!」
投じられたボールを、仟(かしら)がジックリと見極める。
(アウトコース……ボール半分外れるシュート!)
パーン「ボール」
見逃した仟(かしら)は、キャッチャーの遠矢(とうや)と目が合って微笑んだ。
「挨拶になったようだね」
「はい。ハッキリと見えました」
「それは良かった!」
楽しそうに返球する遠矢(とうや)。その姿に、仟(かしら)はちょっぴり悔しがった。
(遠矢(とうや)さんは、今の球を軽々捕ってる。今日の勝負の目的を、遠矢(とうや)さんはどんな結果と考えていたのかな……。少なくとも、勝つことしか考えていなかった私に勝ち目はなかった。そして、予定になかったバッターボックスに私が立ってる……)
遠矢(とうや)からの返球を捕った一奥(いちおく)は、すぐに投球モーションに入った。
「ドンドン行くぜ!仟(かしら)」
「はいっ!」
一奥(いちおく)のエンジンがうなりを上げる。
「よっしゃ!挑戦スタートだ!!」
投じられたボールに、仟(かしら)の踏み出した左足が止まる。
(またアウトコース。でもボール……)
その瞬間、仟(かしら)が驚いた。
(違う!スライダー!!)
パン「ボール」
見送った仟(かしら)は、再び笑顔の遠矢(とうや)と目が合った。
「あれ?その顔は意外だったかな?」
「いえ、そうではありません」
笑顔で返した仟(かしら)に、遠矢(とうや)は「だよね」と言いながら一奥(いちおく)に返球した。
(アウトコースのボールからインコースのボール。これは、白城(しらき)さんがカットし続けてた球だ……)
「どうだ?仟(かしら)。面白いだろ?」
「はい!」
一奥(いちおく)の言葉に、仟(かしら)は心から納得していた。
選手は厳しい試合を乗り越えると、急激に成長すると言われる。今まさに仟(かしら)は、過去の自分と戦っていた。そして、自分の成長を嬉しく思っていた。
(紀香(のりか)監督。私今、最高に楽しいです!これが、あの時監督の言った面白い二人だったのですね)
構える仟(かしら)の両手に力が入る。そして、一奥(いちおく)の目つきも変わった。
「これが……」
一奥(いちおく)がゆっくり振りかぶる。その姿に仟(かしら)は、次がラストボールだと予感した。
(あの球が……来る!)
グラウンドに、一瞬の緊張が走った。そして、一奥(いちおく)が叫びながら三球目を投じた。
「お前の限界だぁ!!」
一奥(いちおく)の左手から強く振り抜かれたボールが、うなりを上げて仟(かしら)を襲う。
(インローのストレート!)
仟(かしら)がフルスイングで応えた。ハッキリと目で捉えながら、最短距離でボールを迎えうつ。
(これは私がミットを弾かれた……ボール1個外れる……)
新たな幕開け
カキーーン!
(過去の……球……)
快音を残した仟(かしら)の打球は、レフトが一歩も動けない完璧なホームランだった。
「打てた……」
その場で打球を見続けていた仟(かしら)が、興奮ぎみに呟いた。
マウンドの一奥(いちおく)も、笑顔で打球を見ていた。すると、おもむろに呟いたキャッチャー遠矢(とうや)の声に、仟(かしら)は振り向いた。
「仟(かしら)。今の球をここまで完璧に打つバッターがいるチームは、何回戦なのかなぁ?」
「遠矢(とうや)さん……ウフフッ」
笑った仟(かしら)は、答えることなくダイヤモンドを回り始めた。途中、一・二塁間に落ちていた一奥(いちおく)の帽子を拾うと、一周してきた仟(かしら)はホーム手前で歩き出す。
再び右バッターボックスへ入ると、ホームベースの目の前で足を止めた。
「遠矢(とうや)さん」
「ん?」
「もちろん……」
仟(かしら)は笑顔でジャンプし、一奥(いちおく)の帽子を大空高く投げた。
「甲子園優勝チームです!!」
見上げたままホームベースに着地した仟(かしら)は、投げた帽子をずっと見ていた。
一奥(いちおく)と遠矢(とうや)も、仟(かしら)の投げた帽子を見る。空高く上がれば上がるほど、西島(せいとう)高校が目指す頂(いただき)は高いなと、やる気に満ちた表情で帽子に目標を重ねていた。
その帽子を、バックネット裏にある階段の頂上から、懐かしい顔も見ていた。
男のかぶる帽子の刺繍(ししゅう)には、梯(かけはし)と漢字で描かれていた。