「おい、一奥(いちおく)!なんだ?その球は!」
「ん?あぁ……白城(しらき)か……」
一奥(いちおく)の言った名前を聞き、斜坂(ななさか)がバックネット裏の階段を見上げた。グラウンドを見つめる白城(しらき)の顔を見つめ斜坂(ななさか)は「おおー!」と叫びながら階段をかけ上がった。
「ん?」と気づいた白城(しらき)が見下ろすと、斜坂(ななさか)が笑顔で隣に来た。イライラしていた白城(しらき)は、「誰だ?お前」と睨んだ。
「やだなぁ、白城(しらき)さん。斜坂(ななさか)ですよ!斜坂剛二(ななさかごうじ)。忘れちゃいましたか?一昨年の日本開催の全日本ユースで、一緒だったピッチャーですよ」
白城(しらき)を見る斜坂(ななさか)の目が輝く中、思い出した白城(しらき)はめんどくさそうに右手を髪の毛に潜らせ、目を閉じて下を向いた。
「あ~ぁ、そのウルせー性格で思い出したわ」
「あ!そうだ、写メ写メ……」
「はぁ?」と斜坂(ななさか)の態度に呆れた白城(しらき)に構わず、斜坂(ななさか)はジャージのズボンポケットからスマホを取り出した。
斜坂(ななさか)が白城(しらき)の肩に手を乗せた瞬間、二人の目の前にあるスマホからパシャっと音が鳴った。
「これはいいブログのネタになるぜ!」
自撮りした斜坂(ななさか)は、笑顔で写メを見直していた。
斜坂(ななさか)のジャージに気づいた白城(しらき)は、「お前、名京(めいきょう)か?」と聞く。斜坂(ななさか)は、スマホの画面を見ながら「ええ」と答えた。
そのまま無言で階段を下りる白城(しらき)に気づいた斜坂(ななさか)は、「あれ?」と振り向いて白城(しらき)に追いつき、歩を合わせた。
「そうだ白城(しらき)さん。名京(めいきょう)へ行くって言ってたのに、結局どこの高校に行ったんすか?」
「うるせぇなぁ。ここだ、ここ」
「ここ?ここって……ここ?」
「西島(ここ)だ」
「マジっすか!?でも何で西島(せいとう)に?」
「お前が絶対に来ない高校だからに決まってるだろ」
反応がない斜坂(ななさか)が気になった白城(しらき)が足を止めて隣を見ると、斜坂(ななさか)はニヤッと笑っていた。
「そのツンデレ!変わんないっすね?まぁ、唯一中学時代にこの人すげぇって思った白城(しらき)さんと高校が違うのも、対戦の楽しみがあるってもんですね」
「フッ…たいした自信だな!ナメられたもんだぜ」
目を閉じ、微笑みながら再び歩き出した白城(しらき)と斜坂(ななさか)がバックネット裏のベンチに座ると、バッター松原(まつばら)のファールボールがバックネットへ飛んできた。
ガシャーン…「ファール」
「おぉ……」
斜坂(ななさか)は、反射的に驚いた。
「おい松原(まつばら)、前に打て前に!」
斜坂(ななさか)のヤジに、バッターボックスの松原(まつばら)が不満げに振り向く。その時白城(しらき)は、スコアボードを見ていた。
「カウントはツーツーか……なに?」(ノーアウトで8点だと!)
驚いた白城(しらき)が混乱する中、斜坂(ななさか)がのんきに話しかけた。
「それより白城(しらき)さん、今日は試合に出ないんすか?」
「うるせぇ。お前は黙ってろ」
急に白城(しらき)が試合に集中し始めた為、退屈になった斜坂(ななさか)はスマホを取り出した。
「じゃ、ブログでも更新するかな」
斜坂(ななさか)は、嬉しそうにスマホをいじりだした。
キン「ファール」
バッター松原(まつばら)に粘られる一奥(いちおく)の姿を、白城(しらき)の目がジッと見ていた。
(何やってたんだ一奥(あいつ)は!この程度のバッターに苦戦してんじゃねーぞ……ったく)
白城(しらき)が無意識にバックネットを握る音が、ギシギシと鳴っていた。すると、突然左方向から声が聞こえた。
「白城(しらき)君、お久しぶりです。君も相変わらずですなぁ」
「なっ……木村(きむら)……監督」
突然三塁ベンチから出てきた木村(きむら)監督の姿に、白城(しらき)は下を向いて言葉を失った。木村(きむら)監督は白城(しらき)の側で立ち止まると、両手を後ろに組んでグラウンドを見つめていた。
「今の西島(せいとう)高校野球部でも、君は不満ですかな?」
カキーン!
バッター松原(まつばら)の快音が響いた瞬間、白城(しらき)は瞬時に顔を上げてグラウンドを見た。その打球は、センター前に抜けようとしている。
「仟(かしら)ー!」
立ち上がった白城(しらき)は、無意識に叫んだ。打球に追いついた仟(かしら)が逆シングルでキャッチすると、素早くジャンピングスローで一塁へ投げた。
「アウト」
塁審のコールを聞き、白城(しらき)は立ち上がってバックネットを両手で握っていた自分に気づく。我に返ると、バックネットから手を離して再びベンチへと座った。
その時、隣でブログの更新をしていた斜坂(ななさか)のスマホが鳴った。
「ん?やばっ。国井(くにい)さんからだ!白城(しらき)さん、俺戻りますんで、また」
焦った斜坂(ななさか)はダッシュで階段を上り、そのまま走り去っていった。白城(しらき)はチラッと斜坂(ななさか)の背中を見たが、すぐにグラウンドを見て一息ついた。
その姿に、木村(きむら)監督が静かに呟いた。
「西島(にしじま)理事長に言われて、今日ここに来たのですね……」
下を向いた白城(しらき)は、返事ができなかった。木村(きむら)監督は白城(しらき)の姿に小さくため息を漏らした。
「私には、君が見たかった光景を見せてあげる事ができなかった……白城(しらき)君、試合終了後に話すとしましょう」
三塁ベンチへ戻る木村(きむら)監督の後ろ姿を見た白城(しらき)は、高校へ入学してから初めて懐かしさを感じた。目を閉じてグラウンド方向へ顔を戻すと、真剣な眼差しで試合に集中し始めた。
(木村(きむら)監督。俺は今日、自分の意思できたんです。俺の憧れていた光景が、本当に現実になるのかを確かめる為に……)
一塁ベンチの紀香(のりか)監督は、そんな白城(しらき)の姿を横目で見ていた。
打ち取られたバッターの松原(まつばら)がベンチへ戻る途中、ネクストの五十嵐(いがらし)が笑顔で話しかけた。
「松原(まつばら)、お前にしては惜しかったな」
「悪い、つい熱くなってしまった。今からは、ピッチングに集中する」
「まぁな。お前は打たなくていい。攻撃は、俺たちに任せろ!」
この回、打順は一巡して再び一番の五十嵐(いがらし)がバッターボックスへと立つ。その瞬間、再びマウンドの一奥(いちおく)を異変が襲った。
松原(まつばら)の打席では、一奥(いちおく)はまだマシな球を投げていた。しかし五十嵐(いがらし)が左打席に立つと、またショックから逃れようと本能が働いてしまった。
カキーン!
五十嵐(いがらし)の打球がフェンスを越えた時、キャッチャーの遠矢(とうや)が球審にタイムを要求した。
復活への兆し
「ターイム」
五十嵐(いがらし)のホームランで9点差となった西島(せいとう)内野陣は、再びマウンドへ集まった。
するとキャッチャーの遠矢(とうや)は、ピッチャーの一奥(いちおく)を見て微笑んだ。
「みんな、限界を超えてたね?」
「へへっ、今日はやられたなぁ……」
会話を聞いている村石(むらいし)・神山(かみやま)・仟(かしら)・杉浦(すぎうら)の四人は、一奥(いちおく)の戸惑った態度に違和感を覚えた。
「あいつら、昨日までかすりもしなかったのに……完璧に打ちやがった」
「でもこれで、ある程度の限界はわかったんでしょ?」
「プッ…」
「プッ…」
『アハハ!』
突然、一奥(いちおく)と遠矢(とうや)が笑いだした。その会話は、まるで遠矢(とうや)が上橋(じょうばし)中の練習に参加しているような雰囲気だった。
「どうする?一奥(いちおく)」
「そんなの決まってるさ。これじゃ練習にならないからな」
目を見合わせる四人が不思議に思う中、遠矢(とうや)が四人に頷いた。四人は完全に理解していなかったが、遠矢(とうや)の目を信じるように頷いて応えた。
一奥(いちおく)は下を向いたまま、口元を緩ませている。その口を見た遠矢(とうや)は、少し切ない顔をしていた。
(これでこの状況は、とりあえず打破できる……)
遠矢(とうや)が自信を持ったのは、セレクションで一奥(いちおく)が今と同じ事をしていたのを見ていたからだった。
(今の一奥(いちおく)の事態を招いたのは、僕が原因なのは間違いない。僕のせいで、一奥(いちおく)は仲間を失ってしまった。中学時代の一奥(いちおく)は、中途半端に相手の限界で勝負していたんだ……。今の僕に出来る事は、一奥(いちおく)と自分を信じる事だけ)
遠矢(とうや)は自分に言い聞かせるように頷き、順番に内野陣へ声をかけた。
「村石(むらいし)さん、体で止めてくださいね」
「俺はまだキャッチャーだぞ?止めるくらい任せろ!」
「神山(かみやま)さん、言葉はいりませんよね?」
「あぁ、わかっている。見てろ!」
「仟(かしら)。頼って悪いけど、また忙しくなるからよろしく!」
「はい!全部アウトにします」
「杉浦(すぎうら)さん……」
「な、なんだ?」
笑顔だった遠矢(とうや)の顔が、照れくさそうな顔に変わった。
「いつものアレ、お願いします」
「いつものだと?ん?」
わからない杉浦(すぎうら)に遠矢(とうや)が耳打ちすると、杉浦(すぎうら)は「ガハハ!」と笑った。そして、下を向いたままの一奥(いちおく)の前に立った。
「勝負だ!一奥(いちおく)」
「……なぁ杉浦(すぎうら)先輩。俺はあいつらの相手を……」
「今日こそホームランを打ってやる!」
杉浦(すぎうら)に声をさえぎられた一奥(いちおく)の頭が、わずかに上へ反応した。
「よし、行きましょう!」
キャッチャー遠矢(とうや)のかけ声で、マウンドは一奥(いちおく)だけになった。だが一奥(いちおく)は、最後の杉浦(すぎうら)の言葉を思いだし、「フフッ」と嬉しそうに息を漏らしていた。
(杉浦(すぎうら)先輩……誰からホームランを打つ気なんだよ……)
そして、二番の七見(ななみ)が右バッターボックスに入る。キャッチャーの遠矢(とうや)は、強い眼差しでマウンドの一奥(いちおく)を見ていた。
(一奥(いちおく)、僕はもう……後悔しないよ)
遠矢(とうや)が力強く構え、一奥(いちおく)は振りかぶった。
そして、初球を空振りした七見(ななみ)の姿を見た三塁ベンチは、穏やかではなかった。