七回の裏が始まった。

サウスポー・リズムの二つのリミットで、マウンドの一奥(いちおく)を睨みながらゼロスイングの体勢で構える四番の幸崎(こうさき)。

遠矢(とうや)は、ノーサインでミットをど真ん中に構えた。

(問題は、一奥(いちおく)にとって最悪のサウスポーリミットだ。どこまで超えられるのか…。)

一奥(いちおく)が振りかぶった。

「いくぜ…。」

遠矢(とうや)が唾を飲み込む中、一奥(いちおく)がストレートを投げた。

スパーン…

幸崎(こうさき)は見逃し、遠矢(とうや)はミットの感触に目を閉じた。

(見なくてもわかる…この球は…。)

その時、電光掲示板を見た観客がどよめいた。そして、構えを解いた幸崎(こうさき)も目にしていた。

(160キロ…やはりサウスポーリミットを超えてきたか…。)

幸崎(こうさき)は視線を落とし、マウンドで投げ終えたままの体勢の一奥(いちおく)と、ミットを動かさないキャッチャーの遠矢(とうや)を順番に見て微笑んだ。

(まるで一心同体かのようだ。この二人のバッテリーは、そんな不思議さを感じさせられる…。)

遠矢(とうや)は無言でボールを一奥(いちおく)へ返し、一奥(いちおく)も無言でプレート付近の砂をスパイクで一度慣らした。

そして一奥(いちおく)が振りかぶり、幸崎(こうさき)はゼロスイングの構えを取った。

一奥(いちおく)の左腕から放たれたストレートに、再び幸崎(こうさき)は固まった。

スパーン…

見逃した幸崎(こうさき)は、大きく息をついて電光掲示板を見た。

(161…。ダブルリミットの俺の限界か…これで追い込まれたな…。)

遠矢(とうや)が返球する中、幸崎(こうさき)が構えを変えた。ゼロスイングで開かれた両足が、スパイク二つ分まで閉じられた。

その時、幸崎(こうさき)は聞こえるはずもない二つのハァ~という息の音を耳にした。そして、構えたまま目を閉じた。

(これはバッテリーの呼吸音…もの凄い集中力だ…。)

幸崎(こうさき)は、二つの呼吸のリズムに自分の呼吸を合わせた。

(このシンクロ音が消えた時、限界を超えた球が来る。………止まった…今だ!)

幸崎(こうさき)は目を開けた瞬間、左足を大きく上げた。その目が捉えたのは、マウンドの一奥(いちおく)の手からボールが離れる寸前の姿だった。

(これが俺の…リズムリミットだ!)

カキーン!!

『ハッ!!』

打球音が響いた瞬間、バッテリーの二人の集中が解けた。
幸崎(こうさき)は、センターへ上がった打球の行方をバッターボックスで見ていた。

ガシャーン!

『オォォォォォォ!!!』

観客の歓喜と共に、打球は球速を示す電光掲示板部分へ当たった。三桁の上二つの表示が消え、幸崎(こうさき)が目にしたのは、3キロだった。

その瞬間、スタンドの愛理(あいり)は驚いて立ち上がっていた。

(私がダブルリミットでかすりもしなかった162キロの…上…。)

愛理(あいり)が目を閉じて「フッ…。」と微笑みながら座る中、バッターの幸崎(こうさき)がゆっくりと走り始めた。

遠矢(とうや)が平然と歩いてマウンドへ向かうと、心配そうな顔でマウンドへ歩き出したセカンドの仟(かしら)の姿を目にした。

一奥(いちおく)はマウンドに帽子を落としたまま、両手を膝について下を向き、目を閉じていた。

そのまま動かない一奥の姿を見た仟(かしら)は、小走りで一奥の後ろへ到着した。

「一奥(いちおく)…さん…。」

「…へへっ。」

「え…。」

一奥(いちおく)の顔を見れなかった仟(かしら)の目に、到着した遠矢(とうや)の微笑む顔が映った。

すると、遠矢(とうや)の気配を感じた一奥(いちおく)が呟いた。

「仟(かしら)…。」

「…はい。」

体を起こした一奥(いちおく)は、二塁を回った幸崎(こうさき)を微笑みながら見ていた。

「ダメだな。打たれたのに、やっぱり笑っちまう。」

そして、遠矢(とうや)も微笑みながら幸崎(こうさき)を見ていた。

「そうだね。僕らはドMだからさ。」

二人の視線に気づいた幸崎(こうさき)は、二人を横目で見ながらニヤリと微笑んだ。

そんな幸崎(こうさき)や二人の姿を見た仟(かしら)も、微笑みながら頷いた。

「一奥(いちおく)さん。」

「ん?」

一奥(いちおく)が振り向いた。

「打たれたのは3キロのストレートです。あれを見て下さい。」

仟(かしら)は電光掲示板を指差し、目にした一奥(いちおく)は笑った。

「アハハ!本当だな。だけど参ったなぁ。」

「何がですか?」

仟(かしら)が首をかしげると、遠矢(とうや)も人差し指を顎に当てていた。

「もう一度幸崎(こうさき)さんを打席に迎える可能性があるんだよ。」

「確かにそうですね…。」

仟(かしら)が三塁を回った幸崎(こうさき)へ目を向けると、視界にスタンドに座る名京(めいきょう)高校の斜坂(ななさか)の姿が入った。

「西島(せいとう)にストッパーがいれば、抑えられ…「それだ!仟(かしら)!」

「えっ!?」

遠矢(とうや)の顎にあった人差し指が、そのまま仟(かしら)を差した。遠矢(とうや)は興奮ぎみだが、仟(かしら)は冷静だった。

「遠矢(とうや)さん。もしかしてピースパームを投げるのですか?それでも愛理(あいり)さんを超えた今の幸崎(こうさき)さんに、通じるとは思えませんけど。それだけあの打ち方は用意されたものに見えました…。が…。」

すると、一奥(いちおく)と遠矢(とうや)の目が丸くなって目を合わせた。

「遠矢(とうや)!幸崎(こうさき)どうやって打ったんだ?」

「いや…ゼロスイングのはずだけど…。」

二人は仟(かしら)を同時に見た。

「え?お二人は覚えていないのですか?」

頷いた二人の後ろで、幸崎(こうさき)がホームインした。仟(かしら)は、時間がないのでジャスチャーでモノマネした。

「こうでしたよ?」

「マジか!?幸崎(こうさき)は足上げて打ったのかよ。」

「ゼロスイングじゃなかったんだね…。」

「それよりどうしますか?サウスポーリミットは続いてますし、リズムリミットも合わせてダブルリミット継続中です。」

「方法は1つだね。」

遠矢(とうや)は、センターの要(かなめ)を手招きした。要(かなめ)は遠矢(とうや)に気づくと自分を指差し、頷いた遠矢(とうや)を見てマウンドへ走ってきた。

そのやりとりに、一奥(いちおく)は首をかしげた。

「遠矢(とうや)。要(かなめ)も左だぞ?サウスポーリミットに捕まるんじゃねぇのか?」

「大丈夫だと思うよ。おそらくだけど、要(かなめ)はストッパーに近い球を持ってるんだよ。」

「おっ!?」

驚いた一奥(いちおく)がすぐに仟(かしら)を見たが、仟(かしら)は「私は知りませんよ!」と、首と手を一奥(いちおく)に振った。

そして、要(かなめ)が到着した。

「遠矢(とや)くん、私が投げていいの?」

「そうだよ。ただし球種は1つ。」

「1つ?」

口を丸くした要(かなめ)を見た一奥(いちおく)と仟(かしら)が遠矢(とうや)に目をやると、「とりあえず二人はグローブを交換しなよ。」との言葉に、一奥(いちおく)は要(かなめ)に借りていたピッチャーグローブを渡して外野用のグローブを手にした。

「遠矢(とうや)。俺はセンターでいいんだよな?」

「うん、頼むよ。でも、もう1つお願いがあるんだ。」

「ん?」

「一奥(いちおく)には、センターから要(かなめ)の球を見てて欲しいんだよ。そして、限界を超えて欲しい。まぁ口で言うより、見た方が早いから。」

「なるほど。頭使うのは得意じゃねぇしな。じゃあ、頼むぜ!要(かなめ)。」

「了解です!」

一奥(いちおく)はセンターへ向かったが、仟(かしら)は納得していない表情で要(かなめ)を見ていた。

「遠矢(とうや)さん。本当に要(かなめ)にストッパーに近い球があるのですか?」

「あるよ。理論上は、川石(かわいし)高校のダブルリミットを超えられると思う。」

ワクワクしている遠矢(とうや)の姿に、仟(かしら)は興味を持った。

「わかりました。ではお願いします。要(かなめ)、しっかりね!」

「うん。」

仟(かしら)はセカンドへと戻っていった。

五番の中西(なかにし)が待ちきれない様子でバッターボックス付近で素振りをする中、要(かなめ)が遠矢(とうや)に聞いた。

「それで遠矢(とや)くん。何を投げるの?」

すると遠矢(とうや)は、ニヤッと微笑んで人差し指を立てた。

「アンダーナックルさ!」

「おおー!」

スポンサーリンク

***********************************************

「一奥さん…。」
「…へへっ。」

「ダメだわ。やっぱり笑っちまう。」

「そうだね。幸崎さんは電光掲示板壊しちゃったし。修理代高そうだね。」

二人は幸崎を見ると、二塁を回った幸崎は苦笑いをしていた。

(請求書は学校へ送ってもらおう…。)

スポンサーリンク