一奥と一(はじめ)

 西島一(にしじまはじめ)理事長は、動揺しながらもそっとノートを開いたまま机に置いた。


「木村(きむら)監督。斉藤一奥(さいとういちおく)は……私と同じだとお考えなのですか……」


 木村(きむら)監督は、無言のまま厳しい表情で下を向く。西島理事長は、バンと感情剥き出しで机を叩いた。取り乱しながら、スーツの胸ポケットからスマホを出す。


「すぐに紀香(のりか)に知らせねば……木村……監督」


 スマホを操作しようとした西島理事長の右手を、木村監督が掴んで止めた。下を向いたままの木村監督を見つめた西島理事長は、そっとスマホを胸ポケットにしまう。


 手を離した木村監督が目を閉じる中、少しの沈黙をおいて両手を組んだ西島理事長が口を開いた。


「あなたの気持ちがわかりません……。木村監督は、一奥(カレ)が壊れてもいいとお考えなのですか?あなたと同じ思いを、紀香にも背負わせるおつもりなのですか?」


 木村監督は立ち上がると、窓際へ歩を進めた。


「あの当時、私は西島君を壊してしまった。先代の野球を共に超えようと誓った二人は、若かったのでしょうなぁ……」


「それはもう終わった話だ!……私は、木村監督を責めてはいない。そして後悔もありません。ですが二人は違う!私たちのように、なってはならない……」


 西島理事長は、振り絞るような声を出した。震えるほど強く握った西島理事長の両手を見た木村監督は、ソファーに座る西島理事長の背後に立ち止まり、そっと左手を右肩に置いた。


「限界を知らないノーリミッター西島(にしじまはじめ)一の才能に惚れた私は、この肩を酷使してしまいました。その代償として掴んだ甲子園優勝。君が大学で限界を迎えたのは、私の責任です」

「ならばなぜ、今私を止めるのですか!?」


 西島理事長は立ち上がり、目頭に涙を溜めながら振り返った。目を閉じた木村監督は、そっと両手を西島理事長の肩に当て、落ち着かせるように座らせた。


 木村監督が再び向かいのソファーに座ると、その右目から一粒の涙がこぼれた。


「私は信じたい……。君と見られなかった限界の先を。そして、一奥君と紀香監督なら、必ず乗り越えてくれる。そう、思っています」

「木村監督……」

「一奥君は、明日の名京(めいきょう)戦で壊れてしまうかもしれません。それ程までに名京は強い。ですが、二人を止める理由を過去と重ねてはいけない。野球バカから野球を奪う権利を、誰も持っていないのですから」


 木村監督の笑顔に、冷静になった西島理事長は笑顔で返した。


「申し訳ありません。やはりあなたは、私が思う最高の指導者だ。紀香を後任に選んだ時も、私の気持ちを見透かすように賛成してくださった。木村監督の力がなければ、紀香はデストロイリミットに目覚めていたでしょう」

「ですが紀香監督は、トラストに目覚めました。正に、西島野球が大好きな幼少期の彼女そのものですな」


 西島理事長も、昔を思い出すように数回頷いた。


「限界は、その先を信じた者だけが超えられる。私を止めてくださり、ありがとうございました」

「いえいえ。私は、先程見た紀香監督の笑顔を信じただけですから。彼らなら、きっと私たちを超えてくれると思います」


 張り詰めた緊張が解け、木村監督は微笑んだ。「フフッ」と西島理事長も笑うと、立ち上がって理事長席へ向かう。引き出しからボールを取り出すと、それを木村監督へトスした。


 両手で受け取った木村監督は、不思議そうに西島理事長を見る。

「これは……?」

「五月に放った九条(くじょう)君のホームランボールです。彼に渡してあげて下さい」

「おぉ!そうでしたな」

「そして彼に伝えて下さい。夏の大会終了後、斉藤一奥の球を打ちたいのか?捕りたいのか?を、聞かせてくれと」

「わかりました。伝えておきましょう」


 立ち上がった木村監督は、西島理事長と再び笑顔で握手をした。


「木村監督。三十年前の私とあなたが見たかった夢を、明日見に行きましょう」

「ノーリミッターのその先……ですな」

「紀香と斉藤一奥の二人なら、きっと見せてくれます」

「そうですな」


 手を離した木村監督は頭を下げ、西島理事長も深々と礼をした。


 ドアを開け、再び軽くお辞儀をして部屋を出た木村監督を見届けた西島理事長は、ソファーに座って大きく息を吐いた。


(頼んだぞ……トラストリミッター……)

「クシュン……」(嫌だわ。決勝前に風邪かしら?)

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遅れた感謝

 車のドアを開けようとした紀香監督の下へ、制服に着替えて自転車で帰宅する一奥たちが現れた。


「あれ?監督、まだいたのかよ」

「ん?あなたたちか。さすがに今日は真っ直ぐ帰るのね」


 ドアに寄りかかって腕を組んだ紀香監督は、上機嫌だった。そんな姿を一奥は笑う。


「監督、明日はいよいよ名京(めいきょう)戦だぜ?やっと夏が始まる気がするよ」

「よく言うわよ。いい?一奥。遠足みたいにワクワクして明日寝不足なんて言ったら、投げさせないわよ?」

「なんだよそれ」


 慌てた一奥の姿に、紀香監督が右手を口に当てて笑った。


「あ、そうそう。白城(しらき)はもう帰ったの?」

「白城?」


 一奥は首をかしげる。隣を向くと、遠矢(とうや)がそれに答えた。


「白城さんでしたら、神山(かみやま)さんと部室にいますよ」

「神山君?……そう、ならいいわ。仟(かしら)と要(かなめ)も、明日は好きに暴れなさい。この一奥(アホ)はストレートだけらしいから、あなたたちの守備が忙しくなるわよ」

「はぁ?俺は打たせねぇよ!なぁ遠矢?」

「まぁ……ね」

「ん?」


 一奥が周りを見渡すと、三人は苦笑いをしていた。

「なんだよその顔……」


 そんな不満げな一奥の左肩を、遠矢が軽く押す。


「さ、帰ろう?一奥。早くグローブを直さないといけないし、お店閉まっちゃうよ?」

「いっけねぇ、そうだった。じゃあな!監督」

「はいはい」


 一奥と遠矢は、手を振りながら自転車をこぎだした。


「監督、私たちも失礼します」


 微笑む仟に、紀香監督も微笑みながら頷いた。


「じゃあね~紀香監督~!」


 仟に続いて、要も自転車をこぎだした。二人が手を振りながら一奥たちを追いかけていく姿を、紀香監督は嬉しそうに見ていた。


「あれ?姉貴、まだいたのかよ?」

 紀香監督が振り向くと、そこには白城が立っていた。

「白城を待ってたんじゃない。先に礼くらい言いなさいよ」

「うるせぇ。俺は素直じゃねぇんだよ」

「ふ~ん……。なら、走って帰ってもいいのよ?決勝前のトレーニングにもなるし」

「げっ!わかったよ!俺が悪かった」

「ふふっ、よろしい」


 白城は後ろへ乗り、紀香監督も運転席へ座る。走り出した車内は、しばらく静かだった。その沈黙を、窓から外を見る白城が破る。


「なぁ姉貴。神山さんの話だと、明日のキーマンは姉貴だって言ってたぜ。自分ではわかってんのか?」

「知らないわよ。私は素人監督だし、そもそもプレーをしないでしょ?」


 とぼけた紀香の態度に、白城は「フッ」と笑った。


「ったく、素直じゃねぇな」

「あなたに言われたくないわよ」


『プッ……アハハ!』


「なぁ姉貴……」

「なに?」

「これまで色々……ありがとな……」


 呟いた白城の姿を、紀香監督はバックミラーでチラッと見た。照れ臭そうな白城の顔に満足した紀香監督は、グイッとアクセルを踏んだ。


「このまま甲子園行くわよー!」

「ちょっ、待て!アクセルゆるめ……うおっ!」


 白城が後部座席に張り付く中、紀香監督が運転する赤のスポーツカーが猛スピードで走り去って行った。

どこかで見た顔

 一方、最寄のスポーツ店に到着した四人。それぞれの時間を過ごす中、一奥と遠矢はパンパンという音に反応した。


「よし、直ったよ」


 口髭が似合う40代程のエプロン姿の店長が、一奥のグローブを右手にはめて仕上がりを確かめていた。


「おぉー!店長ありがとう。いい感じだせ!」


 直ったグローブを渡された一奥は、興奮ぎみにグローブをはめてパンパンと感触を試す。


「さてと。じゃあ帰るか、遠矢」

「いや、一奥。お金お金」

「あ!アハハ、そうだった」


 一奥がスポーツカバンから財布を出そうとファスナーに手をかけると、店長がニコニコと話しかける。


「いやいや、お代はいいから。前祝い前祝い」

「マジ?いいの?」

「あぁ。久々に西島高校には、夏を楽しませてもらってるからね。明日、絶対勝ってくれよ!」

「おう!もちろんだ!!」
「はい」


 頭を下げた遠矢と一奥が振り向くと、バットを見ていた仟と要の隣に見覚えのない男が立っていた。男はいくつか並んだバットの中から適当に選んだバットを手に取り、二人と和やかに話していた。

「へぇ~。ピースパームって、そんなに凄いのかぁ」

「凄いなんてものではないです。明日、どう攻略すればいいのかわかりませんから……」

「そうだねぇ……」


 仟が男に応対する中、一奥が三人の下へ行こうとした瞬間に店長が驚いた。


「君は……もしかして神奈川の……。春選抜王者、海風(かいふう)高校四番の星見(ほしみ)君かい!?」

「え?こいつが選抜の王者!?」

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