決勝を前に
「やっぱ俺じゃねぇ……そりゃカシカナだよなぁ」
翌日早朝、コンビニの店先でリミスポを手に取った斜坂(ななさか)は、やられ顔をしていた。野球に興味がない店員のおじさんは、そんな姿に冷たい目線を送る。
「ちょっとお客さん。新聞見るなら買ってからにしてくれないと」
「あ……アハハ……」
数人の客からも冷たい目線を浴びた斜坂は、苦笑いをしながらレジを済ます。そしてコンビニを後にし、新聞を読みながら名京(めいきょう)寮へと歩き出した。
(西島高校カシカナ!勝利の影にシラックマあり。愛知決勝は、名京(めいきょう) VS 西島(せいとう)……まぁそうだよなぁ。冷静に考えれば、リミスポの記者が舞理(まいり)さんなの忘れてたわ……。確かにこの方が、新聞は売れる……にしても……)
空を見上げた斜坂は、歩道で両膝をガクッとついた。
「何で俺の写真より、シラックマの方がデカイんだよぉ!」
すると、斜坂が両手で持っていたリミスポ新聞が、バッと後ろから走ってきたジャージ姿の男に引き抜かれた。
「あれ?あ、竹橋(たけはし)さん」
ランニングをしていた竹橋は、少しリミスポを見て無言でポイッと捨てた。再び寮へ走り出す。
(まぁ、竹橋さんはカシカナに興味ないからな……)「よっと」
立ち上がった斜坂は、リミスポ新聞をサッと拾う。「待って下さいよぉ~!」と竹橋を追いかけて行った。
名京高校へ二人が着くと、雨天練習場から金属の快音が響く。斜坂は金網の張られた曇りガラスの窓をそっと開け、竹橋と中を覗いた。そこには、マシン打撃を繰り返す国井(くにい)の真剣な姿があった。
「さすが国井(くにい)さんっすね……って、竹橋さん、マシンの球速すぎないっすか?一体何キロを……」
国井のパキーンという音に、斜坂は思わず身を引く。
「おぉ、気合い入りまくり。スゲェ……」
そんな国井の姿を見た竹橋は、「フッ」と笑って両手をズボンにしまい、寮へと歩き出した。竹橋の態度に斜坂は微笑み、息を切らしながら自分を追い込み続ける国井に目を移す。
ニコッとした斜坂は、集中する国井にバレないようにそっと窓を閉めて寮へと歩き出した。
それぞれの期待を胸に
一方、一奥(いちおく)と遠矢(とうや)も朝のランニングで河川敷沿いを走っていた。すると、早朝野球を楽しむ声が聞こえてくる。二人は立ち止まってグラウンドを眺めると、打席に立つ男の姿に遠矢が人差し指を向けた。
「一奥」
「ん?」
「あの打席の人、木村(きむら)監督じゃないかな?」
「え?あぁ間違いねぇ。大きく構えて隙だらけに見せる独特の構え。相変わらずのタヌキっぷりだな」
カキーン!
『おおー!』
二人が見上げると、全く力の入っていないスイングが捉えた打球は、石灰で引かれたホームランラインを超えた。打った木村が一塁を回ったその時、土手の上にいる二人に気づいて手を振る。
その木村の視線に、草野球を楽しむ大人たちも気づいた。すると、一斉に試合をそっちのけで二人の下へ次々に集まってくる。
「西島高校のバッテリーだよな?」
「今日午後から決勝だろ?」
「このチームはさ、西島高校OBが多いんだよ。だけどあの木村監督が退いたのに古豪復活だからな?君たちはスゴいぜ」
「甲子園頼んだぞ、お前ら。木村監督の梯(かけはし)高校は負けちまったけど、俺たち応援に行くからな」
「アハハ」
「ありがとうございます」
興奮するOBたちを含む選手たちに、二人は笑顔で応えた。そして、木村は二塁ベースを蹴ってそのまま騒ぎの中へのんびり歩いてきた。
「おはようございます、ですな」
「どうもっす」
「おはようございます、木村監督。でも、今二塁から来ましたよね?確かホームインしていないような……」
「えぇ?」
「なに?木村さんホーム踏んでないの?」
「監督~。いくら定年したって言っても、野球のルールを忘れるにはまだ早いですよ?」
チームや相手チームが木村を見ると、両手を後ろ腰に当てて笑い始めた。
「ホホッ、よいではないですか。野球は楽しいスポーツ。それに、ラインを超えた時点でホームランのルールですな」
「認めねぇよ」
「アウトだアウト」
「木村さんは、幻のホームランって事で」
「それは酷いですなぁ……」
皆に責められるが、木村は笑顔のままだった。そんな草野球を楽しむ大人たちを見て、一奥と遠矢も笑顔になる。すると、一奥はおもむろに左腕を回し始めた。
「ねぇねぇ、俺たちも混ぜてよ。試合再開しようぜ!」
しかし、大人たちは一斉に一奥を止めた。
「ダメだよダメ!」
「そうだよ。君たちは大事な決勝を控えてるんだから」
「俺たちおっさんと遊ぶには、まだ早いよ」
「チェっ……つまんねぇの」
一奥はむくれたが、笑顔で「がんばれよー!」と去っていく大人たちの背中に微笑んでいた。
「では、私はホームランを消されてしまったので、打ち直しといきますかな」
木村も背を向けて歩き出すと、一奥は両手で口を囲って叫んだ。
「木村監督~!今日あいつらとリミッツスタジアムに来てくれよー!」
立ち止まった木村は振り向くと、笑顔で二度頷いた。再び試合が始まったグラウンドを横目に、二人はランニングへ戻る。
「いくつになってもさ、野球バカは野球バカなんだな」
「そうだね。僕らも今しかない野球を楽しもう」
「ああ!みんなと甲子園行こうぜ!!」
「うん!」
二人が去っていったその頃、西島邸ではリビングでユニフォームに着替えを済ませた紀香(のりか)監督がくつろいでいた。朝食のパンを食べ終えて、コーヒー片手にリミスポを読んでいる。そこへパジャマ姿の弟、白城(しらき)があくびをしながら起きてきた。
「ふあぁ。おはよ、姉貴。まだ7時だってのに、もう戦闘準備完了かよ」
「何を言ってるの?あなたが遅いのよ」
「ま、いいけどさ。でも決勝は午後からだろ?集合は九時だし、間に合えばいいんだよ」
白城はコーヒーメーカーからコーヒーをコップへ移し、スティックシュガー三本とミルク三個を手に持って姉の座るテーブルの正面へ座った。
「相変わらず、白城は甘党ね」
「はぁ?愛報(あいほう)高校の愛理(あいり)さんだって、スタンドでアイスをバクバク食ってたぞ?名選手は甘党なんだよ」
「プッ。なによ?その理屈」
「アドバイスだよ。なぁ姉貴、今日は糖質控えなくても、ベンチに座ってるだけでダイエット出来る最高の試合になるぜ?」
「ふ~ん。なら、白城はこの記事を読まない方がいいわよ?」
「ん?今朝のリミスポか。そういえば昨日、遅くまでこの件で斜坂剛二(ななさかごうじ)の右肩上がりは盛り上がってたな。俺はおちょくってたけど……」
白城は、ジャムを乗せた食パンをかじりながら新聞一面に目を通す。
「ま、やっぱりカシカナだよな。アハハ、斜坂の悔しがる顔が目に浮かぶぜ」
すると、白城がパンをくわえたまま目を止めた。ガバッと立ち上がってすぐさま姉からリミスポを取り上げると、一面をじっくり読み始めた。新聞を持つその両手は、プルプルと震えている。
口をモグモグしながら新聞をテーブルに置いた白城の赤面に、紀香は笑った。
「まさか白城が、こんなロマンチックな台詞を要(かなめ)に言ってたなんてね」
「うっ……うるせぇ!あの時は一奥も遠矢も側に……くっそ。要の奴、口軽すぎだろ……」
「でもいいじゃない?本当にそうなったんだから」
「まぁな……。んじゃ、俺も支度してくるわ」
バクバクとパンを食べ終えた白城は、そそくさと席を外す。その背中に、紀香は微笑んでいた。
大好きなグラウンド
集合時間の九時前。
一奥と遠矢が自転車で正門をくぐると、グラウンドから金属音が聞こえてきた。目を見合わせた二人は、急いで着替えてグラウンドへ行く。
すると、バッテリーを鶴岡(つるおか)・村石(むらいし)が務め、グラウンドでは紅白戦が行われていた。
「なんだよこれ~!俺に休めとか言ったくせに、神山(かみやま)先輩たちズルくねぇか?」
「アハハ」
するとそこへ、ユニフォーム姿の仟(かしら)と要(かなめ)がきた。
「おはようございます」
「おはよー!一奥ん、遠矢(とや)くん」
「ん?ああ、おはよ」
「おはよう。二人も今来たの?」
遠矢の問いかけに、仟が答えた。
「はい。実は一番に行こうと思っていたのですが、昨日眠れなくて少し寝坊をしてしまいました」
「アハハ。きっと先輩たちも、仟と一緒で気持ちが抑えられなかったんだろうね」
「そうですね」
二人が話していると、一奥が要の抱くシラックマに気づいた。
「要、それ今日も持ってきたのか?」
「当たり前だよ、一奥ん。これは縁起物だからね」
「ハハッ。まぁな」
一奥は要に近づき、シラックマの大きな頭をポンポンと叩いた。
「まさか本当に、こいつがリミッツスタジアムに連れてってくれるとは思わなかったけど」
「えへへ、だね」
すると、四人は駐車場から車のドアが閉まる音に振り向く。少しして、白城が姿を現した。遠矢は笑って仟と目を合わせる。
「どうやらビリは、白城さんみたいだね」
「はい。マイペースな人ですから、大舞台なのに羨ましいです」
四人がジッと白城を見ていると、白城が部室前に立つ四人に気づいた。
「お前らなにやってんだ?グラウンドうるせぇし、軽く動こうぜ」
四人が苦笑いすると、白城は不思議そうな顔をした。五人は歩いてグラウンドへ近づくと、白城の目に紅白戦の様子が映った。
「なんだよこれ。おもいっきり勝負してるって、先輩たちズルいじゃねぇかよ」
その台詞に、遠矢は爆笑した。
「白城さん、一奥と同じこと言ってますよ?」
「はぁ?」
首をかしげた白城は、一奥と目が合った。
「な?先輩たちさ、俺たちそっちのけでズルいよな?」
訴えかける一奥の顔に、白城は笑った。そして、一奥の首に右腕を回して歩き出す。
「おお、ズルいズルい。今日は気が合うな。行くぞ!一奥」
「おお!ぶっ倒してやる!」
先にグラウンドへ行った二人を、三人は微笑みながら追いかけた。五人がグラウンドに入って野球を始めると、レフトフェンス際に後から来た紀香監督が現れた。グラウンドで野球を楽しむ選手たちを見たその表情は、とても清々しいものだった。
(今日も、いつも通り楽しむ……あなたたちと、大好きな野球をね……)
紀香監督は、しばらくその場でグラウンドを見ていた。
(懐かしいわ……。幼い頃と何ひとつ変わらない光景が、今はここにある。やっと……ここまで来れたのね……)
目を開けた紀香監督が腕時計を見ると、グラウンドに向かって叫んだ。
「みんな~!最高の舞台に出発するわよー!!」
グラウンドにいる全員の目が、レフト側にそそがれる。紀香監督の姿を確認した選手たちは、チーム結成以来最高の返事で応えた。
『はいっ!!』
グラウンドでは片付けが始まり、紀香監督は振り返ってバスへと歩き出した。
(廃部にはさせない!絶対に頂点取る!!)