紀香の思惑

 西島(にしじま)理事長は、背中に回したノックバットを両肘で固定しながら左右にストレッチをする紀香(のりか)監督の後ろ姿をジッと見つめていた。

 話を聞いていた野崎(のざき)監督は難しい顔をしていたが、上村(かみむら)GMは優しい目でグラウンドを見ている。

「トラストリミットは、皆が思うような普通に起こる奇跡は奇跡ではないようです。紀香(かのじょ)は今、どんな想いであの場所に立っているのでしょうか……。私には想像もつきませんが、もし皆が驚くような現実になれば、それが彼女の信じた道……トラストなのでしょう」

 すると突然、野崎が驚きの表情を見せた。

「上村GM!!GMは、ご自身がトラストリミッターではなかったとおっしゃるのですか?」

 その言葉に、上村GMは野崎へ笑みを返した。

「私は、誰よりもリミッツを愛するトラストリミッターですよ。そう、信じてはいますがね」

「本当なのですか……。ならどうして、あれほどドラフトを楽しみにしていたGMが、一(はじめ)の野球人生を見限ったのですか?奇跡を起こすトラストリミッターなら、復活は可能だったはずです!」

「止めろ……野崎」

「一(はじめ)……」

「簡単な話だ。上村さんは当時スカウト。そしてリミッツの未来を常に考えておられた。監督のお前なら、わかるだろ」

「そうか……そうだったのか……」

 両手をギュッと膝付近で握った野崎の手に、上村GMはそっと左手をそえた。下げていた顔を上げて上村GMの目を見た野崎に、上村GMは静かに頷く。

「西島君が止めてくれたのですよ。当時の私は、確かに君と同じ気持ちでした。今でもあの一言は忘れません……。野球はチームでやるスポーツだと、西島君はシンプルに言ったのですよ。私はスカウトとして、初心を見失うところでした」

「そうですか……。だから私に、何度も何度も君はリミッツの力になる男だと、おっしゃってくださったのですね」

「ええ。西島君との約束とはいえ、今まで黙っていてすまなかったね」

「いえいえ。ようやく、高校時代のライバルだった一(はじめ)を追いかけて大学へ入った選択が間違っていなかったと、今になって思えましたので」

 満足そうに、上村GMは頷く。そして野崎は、同じく頷く西島理事長の姿も目にした。野崎は座り直すと、改めて上村GMに話しかける。

「GMではなく、トラストリミッターとしてお聞きしたいのですが、よろしいですか?」

「構いませんが、その答えは西島君が持っていると私は思っていますよ?」

「一(はじめ)ですか……。お言葉を返すようですが、一(はじめ)は無限リミッターは崩壊すると言いました。ですから私は……」

「私の口から、崩壊しないと聞きたいのですか?」

「いえ、そこまでは……いやしかし……」

 野崎は、おでこを撫でながら困惑した。そんな野崎に、上村GMが言葉を続ける。

「気持ちはわかりますが、全ては紀香(かのじょ)にしかわかりません。本当にトラストリミッターが、ノーリミッターを導けるのかはね」

 上村GMの言葉に小さく頷いた西島理事長の姿を目にした野崎は、二人が見つめるグラウンドに目を移した。

(愛理(あいり)君は、四回戦でトラストリミッターの片鱗が見えたと言っていた。そして、ここにいる二人のリミッターの意見も一致してはいるが……。俺はまた、何も出来ずに無限リミッターの行く末を見るしかないのか……)

スポンサーリンク

声援を胸に

 それから三人は、無言で試合前のノックを見ていた。両チームのノックが終わってグラウンド整備が行われる中、トスに勝った西島(せいとう)高校キャプテンの神山(かみやま)は先攻を選んだ。三塁ベンチへ歩いてきた神山(かみやま)に、素振りをしていた白城(しらき)が近づく。

「神山さん、どっちっすか?」

「先攻だ。名京は竹橋(たけはし)が先発だからな。初回から行くぞ!」

「うっす!」

 すると、神山の下へ要(かなめ)が笑顔で走ってきた。

「神山(かみ)先輩!先攻って本当ですか!!」

「やけに嬉しそうだな。とりあえずは仟(かしら)の作戦通りだろ?」

「にっひっひ」

 要は話を聞かず、笑ってヘルメットを取りにベンチへ戻った。神山は首をかしげながらも、(全く……)と微笑ましく要を見つめる。

 すると、一塁ファールフェンス際で投球練習をする竹橋の球を捕ったキャッチャーのミット音が、神山を振り向かせた。その迫力ある音に、地鳴りのような声が球場中に響く。その直後だった。

 パーン!

 竹橋の音に対抗するかのように、今度は遠矢(とうや)のミット音が球場内に響いた。

「ナイスボール!一奥」

「おう!絶好調だぜ!!」

 一奥が返球を捕ったその時、スタンドから「一奥」と呼ばれた声に「ん?」と顔を向ける。

「お!来たか!九条(くじょう)」

「ああ」

 そして、一奥の目に九条の後ろから階段を下りてくる木村(きむら)監督の姿が映った。

「一奥君。約束通り連れて来ましたよ」

「サンキュー!木村監督」

 パーン!

 一奥の投げっぷりに、木村監督は微笑んだ。

「相変わらず、いいストレートを投げますなぁ」

「今日はこれ一本だからさ。限界までいくぜ!」

「そうですか……」

 木村監督が少し表情を曇らせたその時、三人の下へ遠矢が走ってくる。

「こんにちは!木村監督どうですか?。今日の一奥のストレートは走ってますか?」

「もちろんです。この上ない出来です」

「そうですか!ありがとうございます」

 頭を下げた遠矢が顔を上げると、九条が二人に声をかける。

「一奥、遠矢……名京(やつら)を……国井(くにい)を黙らせろよ!」

 九条の鋭い視線に、二人は強く頷く。三人はニヤリと笑い合った。その姿を見届けた木村監督は、振り返って階段を登り始める。気づいた九条は、ネットフェンスを右拳で軽く二人に向けてぶつけて後を追った。

「よし、集合だ!!」

 キャプテン神山の声に、一奥と遠矢は振り向いて三塁ベンチ前へ走り出す。整備員がグラウンドを後にする中、西島メンバーは神山を中心に円陣を組んだ。

「いいか!今日はついに決勝だ!初回からガンガン行くぞ!甲子園へ行くのは俺たちだ!!」

『オォ!!』

「せいと~ぅ……フライ!」
『ハーイ!!』

 声と共に空へ向けた、18本の人差し指が眩しく光った。

あの日の約束

 その時、ベンチに座っていた紀香監督が神山の隣へ歩いて近づく。立ち止まって咳払いをすると、円陣の後ろにいた一奥が紀香監督の前に来てニヤリと笑った。

「なんだよ監督、珍しいじゃん」

「うるさいわねぇ。いいじゃない!決勝の試合前くらい、私にも一言言わせなさいよ!」

「わかってるって。好きにしなさいだろ?」

「全く……」

 むくれた紀香監督は、呟いてベンチへと下がる。「仟!メンバー発表よ!」と言いながら、ベンチに腕と足を組んだいつもの姿勢を取った。

「はいっ!」

 仟がメンバー表を手にし、神山に代わって円陣の中央に立つ。

「一番センター要」
「二番セカンド仟」

 すると、また一奥がニヤリ笑う。そして、隣にいる要にささやいた。

「これさ、いっつも仟が自分で名前を言うのが面白いよな?」

「あはは、確かに」

 その瞬間、仟がメンバー表をグシャっと握り潰した。

「九番ピッチャー一奥(アホおく)!以上です!!」

「えぇー!?おい仟。今日は三番からは省略かよ?」

 一奥の声に間髪入れず、紀香監督が気合いの入った表情で腕を組んだまま立ち上がった。

「よーし!今日も好きにやってきなさい!!いいわね?」

『おぉっしゃぁ!!』

 その声に、一奥だけが「え?えー?」とキョロキョロしながら遅れた。すると、白城がいつもの調子で一奥の帽子のつばを叩いた。

「んぁ?」

「三番は俺だ!」

 続いて、杉浦(すぎうら)が一奥にヘッドロックをする。

「ガハハ!俺が不動の四番だ!」

「いでぇ!いてえって!」

 一奥の帽子が落ち、五番の神山、六番の村石(むらいし)、七番の鶴岡(つるおか)の順に、前屈みの一奥はケツを叩かれた。

「勝つぞ!エース」
「気合い入れて行けよ!」
「頼りにしてるぜ!」

「あー?あったり前だ!」

 そして、一奥の帽子を拾った遠矢が後ろからかぶせた。

「お?」

「一奥。今日は初回からノーリードで行く。僕は思いっきりミットを構えるよ。絶対に、名京(めいきょう)高校に勝って甲子園に行こう!」

「ああ!!」

「集合!!」

 球審の声に、両チームの選手がベンチを飛び出した。

「行くぞ!お前ら!!」『おぉ!』

 キャプテン神山の声に続き、一奥も走り出そうとしたその時だった。

「一奥!!」

 紀香監督の声に、一奥は立ち止まって振り向いた。

「なんだよ?監督。集合だぜ?」

「いいから待ちなさい。直ぐ済むわ」

 いつになく真剣な紀香監督の顔に、一奥は思わず正面を向いた。そして紀香監督は、右手の人差し指を自分の顔の前に立てた。

「いい?一奥。この試合が終わったら、私にリベンジしなさい!」

「ん?」

スポンサーリンク