音なき決着

 ビップルームの緊張感が高まる。そしてマウンドの一奥が振りかぶった。

(いくぜ!国井(くにい)……)

 スパーン!「ストライク」

 遠矢(とうや)のミット音が鳴り響き、電光掲示板を見た観客のボルテージもさらに上がる。遠矢は捕球体勢のままチラッと国井(くにい)を見る。その目はバックスクリーンを見ていた。

 国井は全く表情を崩さぬまま、ジッと電光掲示板で球速を確認していた。

(今のが160キロか……)

 返球を受けた一奥は、いつものように腕と足を組んで座る紀香(のりか)監督を横目で見る。目が合った紀香監督が頷くと、一奥は「へへっ」と笑って振りかぶった。

(監督……最高だぜ!)

 スパーン「ストライクツー」

「オォォォォォォ……」

 国井の空振りに、またも観客がどよめいた。一奥はニヤリとし、遠矢は冷静に国井を見つめながら返球。

 その時、ビップルームの野崎(のざき)監督は「ぷはぁ……」と息を吐いた。

「あぶねぇ。今のはいったかと思ったぞ。……にしても163キロか。国井の結果は空振り。ノーリミッターの一奥は、大丈夫そうだな……」

 すると、隣に座る愛理(あいり)が続ける。

「それでも初回で163キロです。油断は出来ませんよ……」

 厳しい表情で一奥を見つめる愛理の顔を、野崎は目にする。その視界の先に、浅く座り直した西島(にしじま)理事長の姿が映った。

「この打席、長引くかもしれないな……」

 その呟きに、上村(かみむら)GMがにこやかに同意した。二人を見た野崎は、顔を引き締めて再びグラウンドを見る。

(やはり、国井を抑えるには限界(リミット)リミッター次第なのか……)

「ファール」

 三球目がバックネットに当たり、再び電光掲示板を見た野崎は唾を飲んだ。

(また163キロ……)

 その時、驚いた表情で野崎が立ち上がった。

「まさか!?国井はわざとファールにしているのか!?」

 その問いかけに、上村GMがゆっくりとした口調で応える。

「そのようですね。おそらく国井君は、内心穏やかではないでしょう。私の目には、バッテリーが自ら国井君のタイムリミットを発動させようとしているように見えます」

 すると野崎は、「そんな、バカな……」と苦い顔をして座った。その耳に、「フフフッ」と笑った愛理の声が入る。

「野崎監督」

「どうした?」

「ファール」

 四球目もバックネットに当たる中、目を閉じていた野崎が愛理の微笑みを目にした。

「プロになる資格が問われそうですが、あのバッテリーがやろうとしている事、私は好きです。自らタイムリミット内での真っ向勝負を挑む……ホント、野球バカは大変ですね」

 この言葉に、西島理事長と上村GMは微笑んだ。三人を見た野崎は、「ったく……」と呆れた表情でグラウンドを見る。

「打たせようとするバッテリーもバッテリーだが、あの国井まで付き合うとはな……。意地の張り合いか」

 野崎の呆れぎみの声に、愛理は振り向いて苦笑いしながら頷いた。

「はい。国井君も、中途半端な球でタイムリミットを発動する気がないようですし」

 その時、五球目のファールを目にした西島理事長が、「ん?」とグラウンドを見ながら鼻声を出した。会話をしていた二人は、すぐにグラウンドへ目を移す。

 四人が目にしたのは、マスクを外して立ったキャッチャーの遠矢が、一奥に何か叫んでいる姿だった。

「一奥!次で決めるよ!」

「おお!」

 一奥は嬉しそうに頷き、遠矢はマスクを着けて座った。すると、右肩にバットを乗せた国井が遠矢へ笑みを送る。

「やっと、その気になったようだな」

「いえ、国井さん。僕らにそんな余裕はないですよ」

「フッ……」

 微笑んでいた国井だが、ホームベース上に出したバットの先を見た瞬間、その表情は気迫溢れる顔へと変わった。

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結果が全て

 ゆっくりとバットを立てながら構えると同時に、国井はロジンを左手で上へポンポンと投げている一奥を見ながら呟いた。

「容赦はしない。タイムリミットの始まりだ……」

 国井が放つ気迫をはね除けるように、一奥はロジンを叩きつける。構えた遠矢の身は、おもわず上半身を数センチ後ろへ引かせた。

(さすが国井さんだ……。やはり得点圏での集中力は凄まじい。でも、今の一奥なら抑えられる!タイムリミットは発動させない!!)「来い!一奥!」

 遠矢は、ミットを大きく構えると同時に叫んだ。そしてその気合いに応えるように、振りかぶった一奥の目が鋭くなる。

「これがお前の……」

 呟いた一奥の右足が力強く踏み出され、左腕が前へ送られた。

「限界だぁ!!」

 ストレートが放たれた瞬間、一奥の帽子が宙に舞った。キッと目を開いた国井の送り出すバットは、グングン加速するストレートに向かっていく。

(この球だ!!) 

 ついに国井が力強くバットを振り抜いた。その瞬間、球場全体が静まり返る。観客は、キョロキョロと目を動かしてボールを探していた。

 そこには、打球音もミット音も残らない。勝負は正に一瞬だった。 

 スイングを終えた国井は、バッターボックスから一歩も動いていない。一奥は、投げ終えた体勢のまま下を向く。そして遠矢のミットは閉じられていた。

 誰もが見失ったと思われたボールの行方を目で捉えていたのは、定位置で口を開け、上を向いたセンターの要(かなめ)のみだった。

 要の姿に気づいたバッテリー以外の西島(せいとう)野手陣も空を見上げ、次々に皆がその目でボールを捉える。

 高すぎるほど宙に舞った、青空にポツンと浮かぶ白球。

 ドーム球場であれば天井直撃であろう国井の打球は、遥か上空を飛行するジェット機のように、バックスクリーンへゆっくり向かっていた。

 1歩も動けなかった要の苦笑いがホームへ向けられたその時、ようやく落下してきた打球が120メートルのフェンスを越え、バックスクリーンにドンと当たった。

『オォォォォォォ!!』

 大歓声と共に、国井はゆっくりと走り出した。立ち上がった遠矢はマスクを外し、電光掲示板の球速を見ながらマウンドへ歩き出す。

(164キロ……この瞬間に、国井さんは限界をわずかに超えてきた……)

 両手を膝につけて下を向く一奥の姿に、悔しがった遠矢は唇を噛む。

(一奥のボールは完璧だった。国井さんはかすっただけ……打ち取ったと思ったのに……)

 マウンドへ向かった遠矢は、一奥が落としたの帽子を拾う。すると、一奥は笑顔で顔を上げた。

「わりぃ、遠矢。作戦失敗しちまった」

 帽子を受け取りながら体を起こした一奥に、遠矢は安心したように微笑んだ。

「そうだね。最高の得点圏、満塁での国井さんを抑えて逆に流れを奪う……。それが最強タイムリミットの弱点だった。全て計画通りに打ち取ったんだけど、まさかバックスクリーンまで運ばれるとは思わなかったね」

「さすが得点圏10割。やっぱ国井はスゲェな!」

「そりゃそうだよ」

「にひひ」

『アハハ!』

 二塁を回った国井は、マウンドで笑う二人を横目で「フッ」と微笑みながら見ていた。

(失点のショックはないようだな……。確かにこの打席は、お前らの勝ちだ。だが、結果は満塁ホームラン。試合は、名京(ウチ)の一点リードに変わり、タイムリミットは発動した……)

 西島(せいとう)内野陣がマウンドに集まる中、国井が大歓声に包まれながら静かな顔でホームイン。

(ここから先は、攻撃も守備も俺たちの時間だ!)

 国井が三人のランナーと右手でハイタッチを繰り返してベンチへ下がる中、遠矢から説明を聞いたショートの神山は、「お前ら……」と少し呆れ気味だった。

「まぁいいじゃねぇか!」と、神山の右肩にグローブを置いたのは、微笑んだサードの村石(むらいし)。

「打球音もしなかったんだぜ?こいつらが、あの国井を打ち取ったのは事実なんだからよ」

 すると、セカンドの仟(かしら)が口を挟む。

「ですが、これで攻守共に国井さんのタイムリミット内です。遠矢さん、また外野五人のシフトを取りますか?」

「いや、このまま行くつもりだよ」

「え?」

 即答した遠矢を、皆が不思議そうに見つめる。

「だよね?一奥」

「おう!今日はガンガン行くからな!!」

 元気に言い放った一奥の肩に、ファーストの杉浦が「ガハハ!」と笑いながら右腕を回した。

「その調子だ、一奥。今日の為に、俺がお前を毎日鍛えてやったんだからな!」

「え?いてっ!!」

 杉浦は一奥の背中を平手で叩くと、「ガハハ!」と笑いながらファーストへと歩き出した。

「くっそぉ。それ逆だろ……」

 一奥が怒りぎみに声を上げると、杉浦が立ち止まって右手を強く握った。

「俺が!!……俺が絶対に取り返してやる……」

「杉浦先輩……へへっ、声デカすぎだぜ?」

 一奥が杉浦の悔しそうな背中に微笑むと、皆も杉浦の姿に微笑んだ。杉浦は再び歩き出し、キャプテンの神山がバッテリーに声をかける。

「杉浦の言う通りだ。どのみち名京に勝つは、国井のタイムリミットを避けては通れない。ここからが勝負だ!いいな!!」

「おう!」『はい!』

「よっしゃ、行こうぜ!」

 最後に村石が元気に叫び、内野陣が守備位置へ戻った。そして一奥は、左手に持っていた帽子をガバッとかぶる。

(よし……やるか!)

限界のない力

 一奥がキリッとホームをにらんだその時、「おや?」と変化に気づいたビップルームの上村(かみむら)GMが立ち上がって窓に近づいた。

 愛理(あいり)は首をかしげ、西島(にしじま)理事長も一奥を見つめる。

「上村さん、何か気づきましたか?」

「いえ。ただ……、今の一奥(かれ)の姿に懐かしさを感じましてね」

「懐かしさ?」

 西島理事長は、上村GMを不思議そうに見た。そんな中、マウンドの一奥は打席の竹橋(たけはし)とにらみ合う。

「いいか!西島高校。ここから俺はダブルリミットだ!……一気に試合を決めてやる」

 その言葉に、一奥はニヤリとしながら振りかぶる。そして、普段は閉じているかのように細い上村GMの目が、瞬時に大きく開いた。

「あれは……まさか、この歳になって私が見たかった光景を目の当たりにするとは……」

スパーン!「ストライク」

「なにっ!?」

『オォォォォォォ!!』

 ど真ん中のストレートを空振りした竹橋が驚く。観客も驚きと歓喜が交じる大声を放った。

 ビップルームの上村GMは、躍動する一奥の姿に目を奪われる。西島理事長は「フッ」と微笑み、愛理と野崎は電光掲示板を見て驚いた。

「16……4!?一(はじめ)!これは……」

「斉藤(さいとう)一奥(いちおく)の本気……無限バッテリーのお目覚めのようだ」

 上村GMの笑顔、そして西島理事長の言葉に興奮した野崎だが、グラウンドを見つめる表情はすぐに複雑な顔へと変わった。

 パチンと音をたてて合わされた両手は、小刻みに震えている。

(やはり覚醒のポイントは国井だった。この先に待つのは、俺たちが目指した未来……それとも……)

「ストライクツー」

 ダブルリミットの竹橋が捉えられない。空振りを見た野崎は、心配を振り払うように深呼吸をした。

(また国井を打ち取った164キロ……タイムリミット内の竹橋(クライシス)を抑える為とはいえ、斉藤一奥は大丈夫なのか?それもまだ初回だというのに……)

 落ち着かない野崎は、席を立って部屋を歩き始めた。すると、西島理事長がグラウンドを見ながら「野崎……」と呟く。

 野崎が足を止めると、窓の奥で三球目を投げた一奥の姿が目に映った。

 一奥は、楽しそうに笑っていた。

 スパーン!「ストライクバッターアウト」

「よっしゃー!」

 左手でガッツポーズをした一奥の姿に、西島理事長は再び「フッ」と微笑む。

「大丈夫だ野崎。一奥(あいつ)は俺ではない事を、すでに証明している。やはりトラストリミッターが、俺たちが見ようとしたもうひとつの未来の架け橋になった。これが、紀香の出した答えだ」

「一(はじめ)……あぁ」

 野崎へと振り向いた西島理事長の目は、真っ直ぐ澄んだ瞳をしていた。

 落ち着きを取り戻し、席へと歩き出す野崎。笑顔の上村GMと頷き合った後、互いの席に座った。

 その時、竹橋の三振を目にした一塁ベンチの藤井(ふじい)監督は、眉間にシワを寄せて「国井」と冷静な声を出した。

 立ちながら両腕を組む藤井監督のその姿は、王者を表す風格そのもの。隣でベンチに座りながらレガースを着けていた国井は、「はい」と返事をして顔を上げた。

 三振した竹橋が悔しそうに歩いてベンチへ戻る中、藤井監督がマウンドの一奥を見ながら話し始めた。

「やはり一奥(やつ)は、お前の読み通り最悪のノーリミッターのようだ。信じたくはないがな」

「はい」

 しかし藤井監督は、「フッ」と笑いながら目を閉じた。

「それだけか?国井」

「監督、タイムリミットは始まっています。他に望む事はありますか?」

「いや……最悪だが想定内だ。向こうの監督、トラストリミッターが気づいた時に、無限バッテリーは破滅する……」

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