二人のアクセル
「クソッ!」
竹橋(たけはし)がバットケースにバットを投げ入れると、ヘルメットを外しながらベンチに座る国井(くにい)に突っかかった。
「どういう事だ、国井!あの一奥(やろう)はお前のタイムリミットを超えてるのか?」
竹橋は、震える両手を合わせて国井の隣に座る。躍動するマウンドの一奥(いちおく)を見ていると、国井がマウンドを見ながら話し始めた。
「そういう事だ。あのキャッチャーも含めてな」
「なにっ?」
すると、竹橋は続く六番バッターの空振りと共にキャッチャーの遠矢(とうや)を睨んだ。
「そうだったのか……。遠矢(奴)のリミットが、ノーリミッターの力を引き出すまでに成長していたとはな。それとあの女トラストの監督……」
「震えるだろ?竹橋」
国井がニヤリと横目で竹橋を見ると、「ケッ!」と声を出すと同時に再び一奥を見た。
「あぁ、吐き気がする。早くぶっ倒さねぇと気が収まらねぇ」
「フッ。今は一点のリードだ。これでいい……」
竹橋は帽子をかぶり、グローブをはめて立ち上がった。
「ストライクバッターアウト!」
六番バッターの三振を見届けた国井も立ち上がり、ベンチを出て竹橋とキャッチボールを始める。
国井が立っているにもかかわらず、ミットへ投げ込まれる竹橋のボールの勢いは凄まじかった。それを国井は、痛みと共に喜びに感じていた。
(限界を感じないのは、ノーリミッターの特権ではい。破のリミッターも、限界を感じさせないのだ。この頂上決戦、竹橋はさらに化ける……)
「ストライクバッターアウト!チェンジ!!」
球審のコールの後、国井と遠矢のミット音が同時に激しく響いた。
名京バッテリーのダブルリミット
一奥は「よっしゃ!」と左手でガッツポーズをしながらマウンドを降り、ベンチ前で遠矢と笑顔でグローブを合わせる。
「ナイスピッチ!一奥」
「あぁ!ノッテきたぜ!!」
そして、キャプテン神山を中心に円陣を組んだ。
「よし、試合はまだ一点差だ。今のところ竹橋の浮く球に対策はないが、名京(めいきょう)の守りは現在ダブルリミット。さらにあの球が浮くと考えて打席に立て!いいな!!」
『おう!!』
円陣が崩れ、七番の鶴岡(つるおか)がヘルメットをかぶる。手にしたバットをギュッと握りしめ、その先を見つめた。
「頼むぞ!鶴岡」
「見極めていけよ!」
「反撃開始だぜ!」
「あぁ、任せろ!」
控えメンバーの声に後押しされながら、バットを抜いた鶴岡が打席に向かった。
「さてと」
同じく支度を整えた八番の遠矢がネクストへ向かおうとしたその時、仟(かしら)が遠矢の下へ歩み寄る。
「遠矢さん」
「ん?」
遠矢が振り向くと、仟はマウンドで投球練習をする竹橋を真剣な眼差しで見た。
「気のせいかもしれませんが、竹橋さんの様子が初回に戻ったような気がするのです。どう思いますか?」
「初回?」
遠矢はマウンドを見た後、「ふ~ん……」と嬉しそうにネクストへ歩き出した。
「仟。いよいよ本番らしいよ」
「遠矢さん?」
仟は再びマウンドの竹橋を見ると、力強く頷いてベンチへ下がった。
(見た目では判断出来ない成長……竹橋さんは、文字通り化けたのかもしれない)
バッターの鶴岡が打席に立つと、座ったキャッチャーの国井がボソッと呟いた。
「三か……」
鶴岡は、国井の不気味な声が気になったが、すぐにバットを構えた。
(三?……一体何の数字だ……?)
「プレイ!」
二回の表。
球審の右手が上がり、西島(せいとう)高校の攻撃が始まった。
ピッチャーの竹橋が振りかぶり、バッターの鶴岡は険しい表情に変わる。
(考えても始まらない。とにかく今はダブルリミットだ。来た球に食らいつくしかない!)
「ケッ!」
竹橋が初球を投げる。
「ストライク」
(ど真ん中のストレートだと?)
思わず見送った鶴岡は、意外な球に少し拍子抜けした。国井が返球する中、鶴岡は冷静になるように軽く足下を右足でならした。
(名京のダブルリミット……どんな球が来るかと思ったが、浮くどころかただのストレート。ビビリ屋のクライシスリミッターが、逆転で気でも緩めたのか?詳しくわからないが、次も同じなら迷わずもらう!)
二球目、鶴岡は迷わずスイングに入った。
(やはり同じ球!もらったぁ!!)
「ストライクツー」
「な……」(振り遅れた?)
驚いた鶴岡は、電光掲示板に表示された数字に目を向けた。
「今のが156キロだと!?」
その顔を見たマウンドの竹橋は、「ケッ!」と余裕の笑みでボールを捕る。すると、再びキャッチャーの国井が呟いた。
「ファールくらいにはなるかと、思っていたんだがな……」
「なにぃ!くそ……」
そして三球目。見た目が同じ球に、やはり鶴岡は迷わずスイングに入る。
(速いだけなら……こっちは一奥の球で慣れてんだよ!)
「ストライクバッターアウト!」
「くっ……なぜ当たらない」
鶴岡は、肩を落としながら打席を後にした。国井はその背中を見ながら返球する。
(やはり見えていない……次は四……)
その視界に、八番の遠矢が映る。
(こいつが八番のこの打線……考えた奴は策士だが、面白い……)
遠矢はペコリとヘルメットを取って頭を下げ、足場を作り始めた。
「国井さん、超えさせてもらいますよ。名京自慢のダブルリミットを」
「それは楽しみだ」
遠矢もニコッと笑ったが、マウンドを見てバットを構えた時には鋭い目で集中していた。
不器用な男
竹橋が初球を投げる。そのボールを見た遠矢は、途中でスイングを止めた。
「ストライク」
遠矢の苦笑いに、キャッチャーの国井が反応した。
「フフッ、わかったようだな」
「えぇ。156キロが沈んでますね……すっかり浮くイメージで固められてますから、予想以上に厄介な球ですよ」
国井はニヤリとし、遠矢はバットを構えた。
(この球は浮くかもしれないと、どうしてもイメージさせられてしまう……どうする……?ん?)
「ストライクツー」
遠矢は二球目も見逃す。
(これは……まさか!?)
すると、バットを振らない遠矢の様子を見ていた国井が興味を持った。
「竹橋はストレートしか投げない。いや、ストレートしか投げられないと言った方が正しいだろう。そして沈んでいるとわかったお前なら、これがどんなストレートなのかわかるはずだ」
「そうですね。これはおそらくスプリットかと。ですが、落ちないスプリットが武器なるなんてショックですよ」
「武器か……それは違う。不器用な竹橋が変化球の中で一番嫌う球、それがスプリットだ。つまり変化球の全てが失投。あいつは投げられないからな」
国井は返球し、遠矢は苦笑いをした。
(失投を使うなんて、まるで愛理(あいり)さんのリードのようだ。でも!)
竹橋が振りかぶり、三球目が投じられる。追い込まれている遠矢は、迷う間もなくスイングに入った。
(落ちないスプリットとわかれば……)
「ストライクバッターアウト!」
「え……(浮いた……?)」
「フッ。楽しめたか?」
国井の言葉に、遠矢は思わず天を仰いだ。
(最後は、梯(かけはし)戦で見せたダブルリミット浮遊球。それだけでも合わせにくいのに、さらに無数の縦の二択になるとはね……)
バッターボックスを後にし、ベンチへ向かうとネクストの一奥が目に入った。
「一奥」
「どうしたんだ?遠矢。三球三振なんて、らしくねぇな」
「この回の竹橋さんは、スプリットをストレートのように投げてる。そしてその球と……」
「結局、縦の変化だろ?」
一奥は、嬉しそうに打席へ歩いていった。
「一奥?」
「大丈夫だって!三回振れば、一回くらいは当たるだろ?」
「アハハ……そうだね(僕もだけど、一奥も完全にタイムリミット中だって忘れてるよ……)」
それでも遠矢は、一奥の明るい声に期待してベンチへ下がった。そして、九番の一奥が打席に入る。一奥は当然、国井に絡んでいく。
「あのさぁ、スプリットも落ちなきゃストレートってことだよな?あいつ、面白れぇ球投げるな」
「そうか?お前らが俺に仕掛けた作戦の方が、俺は面白いがな」
一奥が構える。
「ま、それは失敗したけどな。どっちにしても、俺はあんたのタイムリミットを超えたいんだ!」
「フッ、野球バカが。その選択に、後悔するがいいさ」
「望む所だ!」
二人がニヤリと笑い、竹橋が初球を投げた。
「もらったぁ!」
「ストライク」
「あれ?」
「フフッ、どうした?そのスイングでは、名京のダブルリミットは超えられないぞ」
国井は笑い、空振りした一奥は悔しがる。
「うるせー!っていうかちょっと待て。今のはスプリットじゃねぇか。浮く球で来いよ!」
「そうだったな。なら、遊びは終わりにしよう。どうやら竹橋の怒りも、限界のようだしな」
「ん?」
一奥がマウンドを見ると、竹橋は怒り顔でロジンを叩きつけた。
「おい……国井!いい加減にしろ!!ったく……ちまちまと……」
その姿を目にし、一奥は国井へ話しかける。
「なぁ、なんで竹橋(あいつ)が怒ってるんだ?」
「お前には関係ない。次のストレートは浮かせてやる」
「お!そうこなくっちゃな。よっしゃー!」
イライラしている竹橋が二球目を投げた。そして一奥がスイングへ。
「ストライクツー」
「くっそ。イメージよりまだ浮くのかよ……」
その声に、国井は無反応で返球。
「って、おい国井!なんか言えよ!」
すると、一奥は座っている国井のマスクの奥にある鋭い目つきに気づく。
(くそっ……ぜってぇ打ってやる)
一奥が構えると、ニヤリと笑った竹橋が振りかぶった。その時、一奥に聞こえるように国井が呟く。
「次は、お前の望み通りのフォーシーム。九条(くじょう)を打ち取った浮遊球だ」
(なにぃ!?)
竹橋の右腕が渾身の力を入れた。煽られた一奥は、投じられた地をはうボールに懸命にバットで立ち向かう。
(ここからさらに浮く!!)
「ストライクバッターアウト!」
「なっ!?」
空振り三振した一奥は、勢い余って尻餅をついた。
「す、すげぇ……。前のストレートと別物じゃねぇか」
キャッチャーの国井は、ニヤリとしながらボールをトスして一奥に渡す。そして、その場に立ち上がって一奥を見下ろした。
その圧倒的な姿を見上げた一奥は、キリッと眉を上げる。
「これで六連続三振だ。あまり俺を、退屈させるなよ」
「六連続って……キッ!」
歯を食い縛って立ち上がった一奥は、歩いてベンチへ帰る国井を睨んだ。そこへ、キャッチャーの遠矢が一奥のグローブと帽子を持って手を差しのべる。
「一奥」
「悪い、遠矢」
「最後の一球だけど、かなり浮いたね」
「ああ、ビックリした。それより遠矢、あいつら連続三振を狙ってたぜ。国井は今6だって言ってたよ。こうなったら、ぜってぇタイムリミットを超えてやる!」
「だね」
一奥は帽子とグローブを手にし、そのままマウンドへ向かう。不穏な様子を感じたベンチの小山田(おやまだ)がホームへ駆けつけ、遠矢の下へ一奥のヘルメットとバットを取りに来た。
「遠矢くん、それ預かるよ」
「あ、はい。ありがとうございます……」
一奥の話を聞いた遠矢は、小山田に目もくれずに一塁ベンチへ座った国井をジッと見ていた。
リミットリミッターのその先
「遠矢くん?」
再び呼ばれた遠矢が小山田のいる三塁側へ振り向くと、いつもの穏やかな表情になっていた。
「どうしました?」
「いや、なんでもないよ。しっかり守って行こう」
「はい」
小山田はベンチへ走って下がり、遠矢はホームへ座った。
(六連続三振か……)
ラストボールを捕った遠矢の二塁送球を、セカンドの仟がキャッチ。
「えっ?(今の送球、本番以上に力が込められていたような……)」
感じた事のない強い衝撃に、仟は驚いてボール回しを忘れた。
「おい仟、なにボーッとしてんだよ。回さないなら早くボールくれ!」
「あっ、はいっ」
一奥に催促され、仟はボールを返した。
「よっしゃ!いくか!」
ホームへ振り返って気合いの声を出した一奥を横目に、セカンドの定位置へ戻る仟の表情は冴えなかった。
(いつもと違う……。遠矢さんの送球が、少し怖かった……)
定位置についた仟は、唾をゴクンと飲む。
(まさか、遠矢さんがリミットリミッターとしての限界をさらに超えようとしている?……嬉しいはずなのに、この胸騒ぎは何だろう……)