絶対的守護神の球
トラストリミットの影響により、打席の遠矢(とうや)に動揺は全くない。ピースサインの握りが丸見えの斜坂(ななさか)のフォームに、遠矢はつい記憶と重ねて微笑む。二人の自信と自信のぶつかり合いは、遠矢の豪快な空振りから始まった。
「ストライーク」
「どうした?遠矢。このまま三振でもいいが、幸崎(こうさき)さんからパクったゼロスイングは使わないのか?」
「あ、そうだったね。忘れてたよ」
遠矢はリクエストに乗り、大きく両足を開いたタイミングゼロの構えを見せた。
(監督のリミットによる気持ちの高ぶりは変わらない。それでもピースパームにカスリもしないなら、やるしかないか。国井(くにい)さんも、三球勝負で来るはずだ)
「行くぞ、遠矢。ピースパームだ!」
楽しそうな斜坂が振りかぶり、遠矢は苦笑いをした。
(斜坂らしいね……でも、ピースパームは……)
「ストライクツー」
(もっとえげつない球に進化していた……)
静から一気に腰の回転で動へ移るゼロスイング。ボールを引き付けるだけ引き付けた遠矢だったが、ナックルに近いボールの動きに惑わされていた。
斜坂は、遠矢の二度の空振りを見て調子に乗る。
「ハハッ!諦めろ諦めろ。リミッターとストッパーじゃ、初めから相手にならないからな」
遠矢は再び苦笑いし、打席を外して空を見上げた。大きく一息つくと、ブンと一回素振りをして足場を作る。
(確かに斜坂の言う通りだ。どんなに凄いリミッターでも、ストッパーにはまともに勝てない。ここまで僕なりにピースパームの対策はしてきたけど、進化した無限変化は予想外だった。少し曲がるかと思えば、そこから一気に曲がる。また少し曲がると思えば、今度は逆へ曲がる。ストッパー特有の限界は読めないけど、簡単には終われない)
すると、遠矢はバットを短く持った。すぐに国井が反応する。
「無駄な抵抗だと、お前ならわかっているはずだがな」
「えぇ。でも僕は、早めに斜坂を引っ張り出せた事に満足してますから」
「なるほど。お前もかなりの野球バカという訳か……」
斜坂が三球目のピースパームを投げる。遠矢はミートポイントを必死に探した。
(国井さんがキャッチ出来るなら、当てる事くらいは出来るはず……)
遠矢の視界に、ピースパームと国井のミットの両方の位置が移った瞬間だった。
(ここだ!)
遠矢の体が、一気に静から動へ。短く持ったバットは素早く回転し、国井が構えるミットの位置へバットを送った。その瞬間だった。
(え……?)
遠矢の視界に、国井のミットがクルリと股下へ移動する光景が映る。ボールは、見た目より遥かに鋭く落ち、遠矢のバットは止まらなかった。
「ストライクバッターアウト!」
空振りして方膝を着いた遠矢は、「くっ……」と悔しがる。
(まさか、タイムリミットを止めた事が裏目に出るなんて……。ここから先を考えるのが嫌になるよ)
抑える気満々の斜坂は、当然とばかりに「よーし、次は一奥だな」と、ネクストを指差した。
遠矢は立ち上がり、国井は返球しながら遠矢へ話しかける。
「どうやら、分析は終わったようだな」
「はい。国井さんの努力には驚きました。今の僕では、斜坂のピースパームは捕れませんので」
全力を尽くした遠矢は、弱気な言葉とは裏腹に笑顔だった。「フッ。今の……か」と、国井も思わず微笑む。そして九番の一奥がホームへ歩いてきた。
「やっぱりダメか?」
「うん。これが本当の、斜坂の全力だったよ」
「そっか……で、ストッパーには監督のなんちゃらも効かねえんだよなぁ……」
一奥は、両手で握ったバットを空へ掲げた。
「それなら、思いっきり三振してやるぜ!」
「じゃ。頼んだよ、一奥」
「ああ!」
一奥と遠矢が微笑み合い、遠矢は打席を後にした。そして一奥がマウンドを見る。
ノーリミッター対ストッパー
「斜坂。今日は小細工するなよ?」
「はぁ?なんの話だよ」
「お前、忘れたなんて言わせねぇぞ。昨日お前が星見に投げたピースパームは、俺にはいらねぇって言ってんだよ」
「当たり前だろ!俺だって昨日はな……」
「斜坂!!」
国井の怒鳴り声に、斜坂は「はいぃ!」と直立した。そして国井は、一奥に話しかける。
「斉藤一奥。お前も星見と戦ったのか?」
「あぁ。すげぇバッターだったぜ」
「そうか。なら教えてやろう。今投げているピースパームは、その星見でさえバットにかすらない。名京全国制覇の切り札的球だ」
「へぇ~。そいつは面白れぇ」
一奥がバットを構えた。
「斜坂!出し惜しみは無しだぜ」
「お前に言われなくても、全力で投げてやるわ!」
初球、ピースパームを目の当たりにした一奥の眉が「うおっ!」と上がる。ボールは掴み所がない斜坂の性格のように通過し、国井のミットに収まった。
「ストライク」
「マジか……」 見逃した一奥が呟いたその時、国井の目は鋭く一奥を捉えていた。
「おい、斜坂!少しは手を抜けよ!」
「どっちだよ!お前は!……ったく、いちいちウルサイ奴だ。まぁ、よく知ってるけど」
斜坂は、静かにボールをキャッチする。
「一奥。文句はピースパームを打ってからにしろ。この絶対的守護神の球をな!」
調子に乗る斜坂が二球目を投げた。一奥はスイングをするが、どこか集中しきれていない。空振りしたボールがミットに収まり、国井はジッと一奥を見ていた。
(こいつ、気づいたのか……?)
「くそっ。やっぱり当たらねぇ」
一奥がぶつぶつ言う中、国井はスッと返球する。
「斉藤」
「ん?」
「もし打てるなら、自慢していいぞ」
「ふ~ん……」
バットを構えた一奥の集中力が上がった。
「お前がそう言うなら、絶対的守護神とやらの球をぶちかまして自慢するぜ!」
斜坂は、「させねぇよ」と振りかぶる。そのピースした右手が振られた瞬間、一奥は違和感に襲われる。それは、遠矢が打席を後にしてすれ違った時に発した言葉が関係していた。
“今の斜坂は、ストッパーだよ……”
ストッパーの弱点
(遠矢。ようやく意味がわかったぜ!)
「ファール」
「あらら」
斜坂は、かろうじてバットに当てた一奥に苦笑い。すると一奥は、ニヤリと笑った。
「なんだよ?斜坂。結局は手抜きしてくれるんじゃん」
「うるせーよ!ちょっとミスっただけだ。次は空振り三振だ」
返球を受けた斜坂が、腕のストレッチをする。そんな斜坂を見て、一奥が呟いた。
「斜坂、キャッチャーは女房だ……国井に感謝しろよ」
その声に、一奥を試した国井の眉がピクリと動く。
(三球目に様子を見たのは失敗だった。西島高校を惑わす目的だったが、ストッパーの弱点に気づいているなら無意味だ。そして今の俺が、タイムリミッターではなくストッパーの力を引き出す専用キャッチャーだという事にも気づいている……)
そして四球目、一奥は宣言通りに豪快なスイングで空振り三振となった。しかし一奥は、満足そうに打席を後にした。
「やっぱ当たらねぇか。斜坂!」
「なんだ?負け惜しみか?」
「ストッパーの本気の球、凄かったぜ」
「なっ!?お前、打つ気なかっただろ!」
「そんな事ねぇよ。アハハ、またな」
「なんなんだよ……調子狂うなぁ」
ついマウンドを蹴る斜坂。一番の要が打席へ向かう中、国井はタイムを要求してマウンドへ向かう。
「国井さん?どうしたんすか?俺は絶好調っすよ?」
「あぁ、ボールは悪くない。次の一番バッターも、楽に抑えられるだろう。お前はストッパーだからな」
「へへっ。それなら、任せて座ってて下さいよ。早く反撃と行きましょう」
「その前に、一言言っておく」
目を閉じた国井に、斜坂は「ん?」と首をかしげた。
「トラストリミッターを止めるには、お前のストッパーとしての力が必要だった。だが、それはこの回までだ」
「国井さん、何を言ってるんすか?今までだって俺は、ピースパームで抑えてきたじゃないっすか」
国井が目を開けた。
「俺はな、リミッターでありながらストッパーの力を引き出す専用キャッチャーとして目覚めた。お前には、言わなかったがな」
「マジっすか!?……ということは、先発した時の俺の好投って……」
「そうだ。相手の力量にもよるが、お前はリミッターとして抑えていたんだよ」
「うおぉぉぉ!やったぜ!!」
突然空へ叫んだ斜坂の姿を、ベンチに並んで座る一奥と遠矢が見ていた。
「さすが国井さん。完成されたストッパーの限界は一イニング。打つ手が早いね」
「まぁいいんじゃねぇの。こっちもそのつもりだったしさ」
「スータブル……本当、斜坂の性格にピッタリなリミットだよ」