一奥と九条の過去

 五回の裏、名京(めいきょう)高校は八番からの攻撃。一奥(いちおく)が内野ゴロに抑える中、スタンドでは中学時代のバッテリーである九条(くじょう)の言葉が続いていた……。


side-九条の過去

「九条って、リトルの全国大会でホームラン王になったあの九条だよな?」

「それがどうした。優勝できなかった俺を、バカにして楽しいのか?」

「いや、そんなつもりはねぇよ。俺はただ、お前と勝負したいんだ」

 新入部員の練習見学初日。俺の横にワクワクした顔で並び、グラウンドを見つめる男。それが斉藤一奥との出会いだった。

 それから数日間、俺に勝負を挑む男がどれほどの才能なのか?期待はすぐに裏切られた。

 なんだ?コイツは。プレーはまるで素人。こんな奴が、俺に勝負しろと言ったのか……。結果はやらなくともわかる。バカバカしい……。

 当時の俺は、一年の夏からキャッチャーを勤めた。その間も、俺の目には空振りや球拾いをする一奥の姿が映り続けた。

 こいつの自信は、一体どこから来たのか?

 そんな自問自答もいつしか忘れ、俺と一奥の立場の差は広がる一方だった。結局一奥は、ベンチにも入らず補欠のまま二年の夏を終える。最上級生となり、キャプテンとなった俺の目標は全国制覇だった。

 しかし、俺たちの代に全国制覇を狙える投手はいなかった。そんな二年の秋。新チームになった俺たちは、部室で話し合いをしていた。

「九条、お前がピッチャーやれよ」

「断る。俺は強打のキャッチャーを目指しているんだ。どのみち点を取られるピッチャーしかいないなら、それ以上に取り返せばいい話だ」

「まぁな。じゃあ、ピッチャーは誰でもいいか!」

『アハハ』

 チームの方針は決まり、練習を始めようとグラウンドへ出たその時だった。万年補欠の一奥は、「なぁ九条。ピッチャーが誰でもいいなら、俺に投げさせてくれよ」と言った。俺たちは、1つ返事でオーケーした。

「なら一奥、今からブルペンに来い」

「はぁ?やだよ。九条、ブルペンじゃつまんねぇから、バッティングピッチャーをやらせてくれないか?」

 その言葉に、俺は鼻で笑った。

 コイツは自分の実力を、まるでわかっていない。確かに入学当時から比べれば、投げ方もマシにはなっている。ただ、一奥は素人ではなくなった、それだけだった。

「いいだろう。だが最初は俺が打つ。お前のテストは打席でしてやる」

「お!って事は、ようやく俺は九条と勝負できるってことでいいんだよな?」

 一奥は、嬉しそうに言った。入学当時に一奥が言った勝負という言葉。その念願が、ようやく叶ったからだろう。

 俺はバッティングの支度をし、打席へ向かった。しかし、今思えば異変が起きていた。

 同じくマウンドへ向かった一奥は、なぜか右利きのグローブをはめていた。俺はその姿にムカついた。

「一奥、お前は左利きだろ。ふざけるなら中止にするぞ」

「ふざけてねぇよ。俺は野球に対しては、いつも本気だからな」

「チッ……時間の無駄だ」

 俺はバットを構え、一振りで終わらす気でいた。だが、ボールは一球も来なかった。一奥が投げようとしたその時、途中で投げるのを止めたのだ。

「悪い九条。やっぱり左で勝負するわ」

「当たり前だ。早くしろ」

「あぁ、わかってるよ」

 一奥は、左利き用のグローブを取りにベンチへ走る。

 この約一年半。左がダメなら、右で投げる練習でもしていたのか?コイツは、本当にただのアホだな。

 この日を境に、俺は一奥が右で投げようとする姿を一度も見なかった。

 それから俺たちは、左投げの一奥を相手に毎日毎日バッティング練習を開始。初めは抑えられる事はなかったが、約一年後の夏の本番前には、ついに練習で一奥の球を打てるバッターはいなくなっていた。

 俺を含めて……。

 だが、こいつは必ず試合になると打たれる。最初にバッティングで勝つと決めたとは言え、この頃にはいい加減、俺たちは一奥の尻拭いにも慣れていた。

「一奥。1つ聞かせろ」

「なんだ?九条」

「お前はなぜ、試合になると練習のような球が投げられないんだ?」

「別にいいだろ?お前らが打てば勝てるんだし……まさか今更、俺に期待してるのか?」

「それはない。お前はゲームを進める為だけに投げればいい」

 この時、俺はなぜ気づかなかったのか?

 いや、

 俺たちは一奥をイップスと決めつけ、素人と決めつけた一奥を深く知ろうとしなかった。打力への自信と入学当時からの実力差やプライドが、俺たちの邪魔をしていたのだろう。

 だが実際、俺たちは打力のみで全国制覇を果たした。そして梯(かけはし)高校進学と同時に、バッティングピッチャーだと思っていた一奥を捨てた……。

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明かされた真実

 一奥が九番バッターを打ち取ってツーアウトとなったその時、九条の過去話は終わった。聞いていた愛理(あいり)は、

「一奥は本当は……右利き……?」

 と、片手で頭を抱えた。

 そんな愛理の姿を見た九条は、目を逸らして一息つく。そして、木村は一人分析を終えた。

「一奥君は、今もずっと苦しんでいるのでしょうなぁ……」

 木村は、息を切らしながらも楽しそうに投げるマウンドの一奥を切なそうに見た。そんな木村に、九条が話しかける。

「木村監督。中学時代の一奥が試合で本気を出さなかったのは、自分がノーリミッターだと知っていたからですか?鍛えた左が壊れれば、もう野球が出来ないと」

「そうでしょうなぁ。ですが五月の練習試合で彼が流した涙は、九条君たちに向けられた絶望でした。そんなチーム思いの彼が選んだ道が、今思えば中学時代のスタイルですな。君たちを、自分の怪我で絶望させない為に。そしておそらくこの話は、もっと根が深いでしょうなぁ……」

 九条は木村監督の視線を追った。その先に映っていたのは、キャッチャーの遠矢(とうや)だった。すると、愛理が「ハッ!」っと衝撃に撃たれたように立ち上がる。

「限界(リミット)……リミッター……。確か一奥と遠矢君は、小学生時代のバッテリーだったはず……」

「そうですな……。一奥君は、自分がノーリミッターだと気づいていないでしょう。そして遠矢君は、リミットリミッターのもう1つの顔に気づいていません。中学生の一奥君は、キャッチャーの九条君に辛い思いをさせない為に、相手の限界ギリギリの投球を覚えて誤解を招いた。それは遠矢君のマネだと言っていましたが、遠矢君がキャッチャーだから壊れたという事実は知らないでしょうな」

 話を聞いた愛理は、グラウンドを見ながら静かに座った。

「一奥も遠矢君も、お互いの為を思ってバッテリーを組んでいます。もしそれが真実なら、一奥は壊れた事実を遠矢君に隠しながら投げ、遠矢君は一奥が力を発揮できるようにサポートをしています……このままではまた……」

 その時、拳を強く握った九条が立ち上がった。

「木村監督、止めるべきです。蝶蜂愛理さん、あなたもそのつもりでここへ来たのでしょう?だったら今すぐ止めさせ……」

 木村は、九条のワイシャツの袖を掴んで座らせた。

「監督……なぜ?」

「二人を止められるのは、西島高校の紀香監督だけです。トラストリミッターの彼女が止めないのなら、彼女を信じる他ありません」

「くっ……」

 歯を食い縛った九条がグラウンドを見ると、一奥は一番バッターも打ち取って五回を抑えた。嬉しそうにベンチへ戻る一奥と遠矢の姿に、木村は微笑んだ。

「奇跡は、信じる者にしか訪れない……。トラストリミッターが信じる奇跡は、すでに起こっているのかもしれませんな」

 その言葉に、愛理が割って入る。

「ですが木村監督。トラストリミッターの信じる奇跡は、私は1つだと聞きました。廃部を阻止したいという紀香監督の願いは、五回の連打に現れています。これはバッテリー崩壊とは無縁。だから私は……」

「リバースリミットの限界を、超えたのですな?」

「え……?」

可能性を信じて

 驚いた愛理に、木村は微笑みかけた。

「紀香監督も、トラストリミットの限界を超えたのかもしれません。甲子園へ行き、廃部阻止に望みを繋ぐ。そして最強の名京高校に勝つ為には、一奥君と遠矢君の力が必要です。現に一奥君は投げていますし、左は壊れていませんですな」

「確かにそうですが……ん?」

 愛理が周りを見渡すと、いつの間にか色紙を持ったファンがニコニコと集まっていた。愛理は(それどころじゃないのに……)とイライラしながらガバッと立つが、一瞬で笑顔を作った。

「は~い、皆さん。他のお客さんの観戦の邪魔になりますから、サインはあちらで行いますね~」

 愛理を先頭に、ファンたちも階段を登ってその場を後にした。九条は(プロは大変だな……)と思っていると、突然木村が「わっ、私のサインですかぁ!?」と驚いた声を耳にする。

 気づくと、九条と木村もファンに囲まれていた。二人もサインを書き始めたその下では、紀香監督が一奥に話しかけていた。

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仟の秘策

「一奥。あなたまだ五回よ?そんなにフラフラで大丈夫なの?」

「よく言うぜ。なら監督、名京相手に投げてみるか?」

「あら?一奥がマウンドを譲ってくれるなんて、いつになく気前がいいじゃない」

「まぁな。監督のなんちゃらリミットのせいで、今は最高の気分だぜ」

 一奥は、紀香監督の横にドカッと座った。

「そう……。なら、1つプレゼントをあげるわ」

「ん?」

「仟(かしら)!」

「はい」

 呼ばれた仟が、紀香監督の前に立った。

(いい表情ね……)

「監督?どうかしましたか?」

 早く打席へ行きたくてウズウズしている仟の様子に、紀香監督はウンウンと満足した。

「ちょっと待った!」

 焦った一奥が割って入る。

「なによ?」

「監督!仟に投げさせるとかリアル過ぎだろ!俺は最後まで投げてぇんだよ」

「プッ……仟。バカはほっといて、思いっきり行って来なさい」
「はい!」

「え?はぁ?」

 一奥は、二人を交互に見た。

「いいから見ていなさい。今から仟が、国井君の心に一太刀入れるわよ」

「マジで!?」

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