一瞬で今を超える

 六回の表。西島(せいとう)高校の攻撃は二番の仟(かしら)から始まる。紀香(のりか)監督に背中を押された仟は、少しの興奮状態さえ抑えるのがやっとで打席へ向かった。

 すると、観客たちがざわめく。仟は、右腕の斜坂(ななさか)に合わせた左バッターボックスではなく右打席に立った。

(昨日、斜坂君に宣言したピースパーム攻略……今ここで、それを見せたい!)

 仟は両手で構えたバットを、ベース上へリラックスしたようにユラユラと上下に揺らす。神主打法を思わせるその構えに、キャッチャー国井(くにい)が気づかない訳がなかった。

 この試合、国井は初めて「チッ……」と舌打ちをする。

(やはりこいつもブレイクリミッター……西島の一番に助言をした双子の姉という訳か。どうやら本気のようだが、まさかこの構えを地区大会で見せられるとはな。だが、星見のモノマネで打てる程、斜坂のパームは甘くはない!)

 国井は嫌な思い出を跳ね返すかのように、眼光鋭くミットを構えた。そして仟の様子は、名京(めいきょう)ベンチにも伝わる。

 怒りに震える竹橋(たけはし)も、国井と同じ想いだった。

(柔のブレイクリミッタぁー……星見(ほしみ)!)

 我慢できなかった竹橋が、ベンチ前へ飛び出す。そして大声を上げた。

「国井!待て!」

 その言葉に、ピクリとしたバッテリーの呼吸が乱れた。国井と斜坂は、ほぼ同時に竹橋を見る。国井はミットを下げて立ち上がり、斜坂はプレートから足を外した。

 タイムをかけた竹橋は、そのままマウンドへ向かう。一呼吸入れて集まる名京ナインの姿に、西島ベンチの紀香監督は、(予想通りね……)とニヤリと笑う。

「ねぇ一奥?仟のあの構えに見覚えがあるでしょ?」

「へ?俺は知らないけど?」

「ごまかしてもダメよ。私は昨日、あなたたちが星見君と勝負したのを知ってるんだから」

「げっ!?なんだよそれ」

 これには、勝負を止められている問題児の一奥は焦った。

「監督、違うんだって。昨日はグローブの紐を直したついでだったんだよ。先に星見とやったのは斜坂だし。な?」

「フフッ。まぁ許すわ。昨日の夜、電話で仟が珍しく喜んでいたし。まさかこのタイミングで仟にきっかけをくれるなんて、星見君の愛知訪問に感謝ね」

「まぁ、あいつ凄かったからなぁ。マジで仟の奴、昨日の星見に似てる感じがするぜ!」 

「俺は準々決勝で、仟が試合を決めたホームランの時から気づいてたけどな」

 ニコニコ顔の白城(しらき)が、一奥の首に右腕を回して横に座った。

「ん?」

「でも白城?仟は、あなたと違うタイプのブレイクリミッターよ?」

「そうみたいだな。俺や要(かなめ)、ついでにマウンドへ行った竹橋は、自分の限界をぶち壊すリミッターだからな」

「そう。だから仟は、自分のリミットに違和感を持っていた。その答えが、破ではなく柔のブレイクリミット。優しくて頭のいいあの子には、強引なスタイルではなく本質を見極める繊細なスタイルがピッタリなのよ」

 その時、珍しく紀香監督が腕組みをしたまま立ち上がった。

「力と力の勝負に強い破のブレイクリミッターに対して、柔のブレイクリミッターは変化球にも対応できる……」

 そしてニコリと白城へ顔を向けた。

「白城。あなた仟に超えられちゃったかもね?」

「うるせぇ!タイプが違うって言ったのは自分だろ」

 一方、マウンドに集まる名京ナインは深刻だった。国井は腕を組んだまま目を閉じ、竹橋の両手は震えが止まらなかった。

「ったく……いきなりなんなんだ、あいつは……」

「落ち着け、竹橋」

「わかっている……わかってはいるが、あの構えは胸くそ悪いんだよ……」

 そんな中、斜坂は一人ポカーンとしていた。

「あのー。今の仟ちゃんって、そんなにヤバイんすか?」

 一瞬、空気が止まった。すると、ため息をついた国井が目を開けて斜坂を見た。

「え?」

「斜坂、あいつに打たれない自信はあるのか?」

「ええ。まだなんとなくっすけど、ストッパーの感覚が残ってるんすよね」

 国井は「フッ」と息をもらす。

「解散だ。ここは斜坂に任せる、それでいいな?」

「おおー!」

「待て、国井。……おい、国井!」

 一人納得のいかない竹橋がホームヘ戻る国井の足を止めようとするが、その声は国井には届かなかった。竹橋はキッと歯を食い縛ってベンチへ下がった。

「斜坂、絶対に打たれんじゃねぇぞ……」

「はい!やるだけやってみます」

 竹橋の声が聞こえないほど、国井の頭の中は星見との勝負でいっぱいだった。

(春の俺たちは、星見に圧倒されて負けた……。竹橋同様、あの時の悔しさは一秒たりとも忘れていない。その為に俺は、この夏までにタイムリミットを磨いたんだ。こんな決勝(ところ)でつまずく訳にはいかない。……だが今は、肝心のタイムリミットが不充分……)

 歩く国井の右手に握られたキャッチャーの面が、ギシギシと音を立てる勢いで震える。その姿をジッと見ていた仟は、小さく息をはいた。

(いける!今の私なら、ピースパームを捉えられると思える。どう対処すればいいのかわからなかったけど、答えはシンプルだったんだ……)

 再び仟は、バットをユラユラさせながら構えた。

(今よりさらに、この一瞬で私の限界を超える!)

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ピースパームと柔のリミット

 マウンドの斜坂は、バッターボックスで構える仟を改めて観察していた。

(本当に昨日の星見さんにそっくりだなぁ。あの言葉にはそんな意味があったとはねぇ。打たせる気はないけど、ブログのネタにはなりそうだ)

 斜坂が振りかぶる。

(国井さんの表情は冴えないか。ま、とりあえず行ってみますかぁ!)

 初球、ピースパームがついに放たれた。仟は柔らかく体を使い、全く無駄のないテイクバックから鋭くスイングに入る。

(いい感じ……揺れるボールの変化がよくわかる!)

 そして仟がバットを出した。予測不能の変化に対し、仟のバットはその目が捉える動きに遅れる事なく瞬時に軌道を変える。

 それと同時に、国井の目からはピースパームが仟のバットで見え隠れしていた。嫌なイメージから来る動揺を、国井は必死に隠す。

(やはり本物……。くそぉ!)

 しかし仟のバットは通りすぎ、国井のミットに収まった。

「ストライーク」

「ふぅ」(捉えられたと思った瞬間、急にピースパームのキレが増した。今のはストッパーの球?でも……ワクワクが止まらない!)

 再びユラユラと構えた仟の笑顔とは裏腹に、返球した国井は唇を噛んでいた。

苦悩

(後二球……ここを凌げば、俺が流れを変える。だが、試合の流れを変えられるからこそ、ここで打たれるのはマズイと俺の勘が言っている……)

 二球目。斜坂が振りかぶり、国井はゆっくりためらうようにミットを構えた。

(切り替えろ!今はパームを捕る事に集中するんだ)

 国井のミットが、その決意と共に大きく開かれる。そして再び仟のバットをピースパームが襲った。不規則に揺れ落ちるその球に、柔軟にバットが送られる。

(ここだ!今度こそ捉えた!)

「ファール」

 仟と国井は、バックネットへ飛んだボールを見る。一方、マウンドの斜坂は苦笑いをしていた。

(あっちゃ~。やっぱりもう球にキレがねぇ。ストッパーの限界かぁ……)

 国井は球審からボールを受け取り、当てられた原因を斜坂から探る。すると斜坂は、何事もなかったかのように、(ヤバッ!国井さんにバレる!)と、不自然に振る舞った。

(あいつ……失投ではないという事か。ならばどうする……?)

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強者であるが故に

 座った国井が一塁ベンチを見ると、藤井監督が敬遠のサインを出した。

(国井、ここは無理に勝負する必要はない。このバッター以外なら、斜坂のベイグネスリミットで抑えられる)

 しかし国井は、頭を横に振ってそれを拒否。それを見た藤井監督は、にこやかに数度うなずいた。

(逃げでは勝てない……。今よりもっと、試合の流れを掴むにはどうすれば……)

 その時、国井の目が大きく開く。策を閃いた国井の表情は、自信に満ち溢れていた。

(そうか。星見に負けた俺たちに足りなかったのは、ダブルリミットではない。俺自身の、流れに対する読みの甘さだったのか……)

 構えた国井は、珍しく声を上げた。

「来い!斜坂ぁ!!」 

 ニヤリとした斜坂が、三球目を投じた。ベイグネスリミッターのピースパームは、相手をおちょくってこそ力を発揮する。しかし、同じピースの握りから多彩な球種を投げても、バットの軌道を操る今の仟には通用しない。

 仟がピースパームとわかっていながら、ピースパームを投げる。

 これが、今の斜坂に出来る最大限のおちょくりであり国井の選択だった。

 仟が三度バットを出す。揺れ動くピースパームが、仟のバットで国井の視界から消える。

(これでいい……この勝負、もらった!)

 カキーン……

 仟のバットは、ピースパームを完璧に捉えた。

 打たれた国井は、ガックリとミットごと両手を地面に付けた。

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