no name 8
私とno name
ヒロムの嘆きも聞こえぬまま、戸を明けて勢いよく外へ出た。居酒屋burstの壁沿いにある鉄製の階段を目にした瞬間、私はついゴクリと唾を飲み込む。
階段を見上げると、すぐに木造の扉を発見した。あの奥にネオがいる……。
よし!と気合いをいれて、階段を一段ずつ登り始めた。そしてドアの前で立ち止まると、大きく息を1つついてノックした。
「ネオ?いるんでしょ?」
反応なし。いないのかな……。
ふと右に目をやると、ガラス窓があることに気がついた。電気が消えてるってことは、ネオはいないかも……。
そう思ったその時、ガチャっとドアの鍵が開いた。
「え!?」
突然ドアが開くと、眠そうなネオが頭をかきながら「うるさい……」と出てきた。
ビックリしたけど、すぐにバイトの事を思い出して両手を強く握った。
「う、うるさいって。ネオ、お店手伝ってよ!忙しいんだから」
って、聞いてないし……。
ネオはドアを開けたまま、振り返って部屋へ戻ってしまった。すると、うっすらと部屋の中が見えた。これがネオの部屋……何もない……。
「え?」
再びネオが戻って来ると、私を無視したままギターケースを握りしめて階段を降りていった。
「ちょっとネオ……」
ギターを持ってどこに?……そっか、路上ライブへ行くんだ。
ポケットからスマホを出すと、時間は八時半。こんな時間から路上ライブをやってたんだ。だから私は、あれから一度もネオの姿を見なかったんだ……じゃない!
私は急いで階段を降り、ネオを追いかけた。
「ネオー!」
叫んでみたけど、後ろ姿のネオは止まらなかった。すると、burstの戸が開いた。
「ナオぉー!早く手伝ってくれぇ!」
「あ!うん。今戻るから」
そう言うと、ヒロムは賑やかな店の中へ戻っていった。私はため息をつき、お店に戻った。
自分勝手過ぎる存在
ヒロムはネオが来ないことがわかっていたのか、ネオのことを何も聞いてこない。私は仕事をこなしながらも、やっぱり路上ライブを続けるネオに納得できなかった。
レイやみんなの気持ちを考えると悔しい。no nameがあるのに、どうして……。
「お嬢ちゃん?聞いてる?」
「ハッ?すみません!」
注文中に考え事はダメだ。私はお客さんに誤り、再度注文を取った。
「ウーロンハイにレモンサワーですね。少々お待ち下さい」
今は忙しいんだから、仕事に集中しなきゃ!
スタスタ歩いて、カウンターに立つヒロムの前に注文書を置いた。
「マスター、ウーロンハイにレモンサワー入ります!」
「はいよー」
「すいませーん」
「はーい!今行きまーす!」
今度は別のテーブルへ。
見た目は仕事をしてはいるけど、やっぱりネオの後ろ姿が頭から離れなかった。
「ごちそうさまぁ」
「ありがとうございましたー!」
最後のお客さんを送り出した時、時計を見ると日付が変わっていた。
「はぁ~、終わった……」
ドアを閉め、ホッとして振り返る。すると、ヒロムがカウンター越しに一杯のグラスを置いてくれた。
「ほれナオ、ウーロン茶だ。疲れただろ?」
「ありがとう……マスターぁ」
好意に甘えてカウンターに座る。本当に疲れた。
「もうヒロムでいいぞ。バイトは終わったからな」
「そっか」
ヒロムは食器を洗い始めた。手伝おうとして立ち上がろうとしたけど、足がプルプルして立てない。すると、ヒロムが背中を向けたまま嬉しそうに話し始めた。
「いやぁ、今日は俺も疲れた。ナオ、お前は客寄せ天使かもしれねぇな?売上げ出たし、マジで助かったぞ」
「うん、良かったねぇ……」
やっぱり、今日は忙しかったんだ……。力尽きるように、私はカウンターに顔を伏せた。
「でもヒロム。それは私じゃなくて、悪魔が出て行ったからじゃないの?」
「は?悪魔ってお前。それネオのことか?アハハ。どっちのおかげかわかんねぇけど、明日もバイト頼むな」
「それはいいけど、明日ネオはお店に出るの?」
「う~ん、それはわかんねぇなぁ。まぁナオの言い方だと、ネオが店にほとんど出てないように聞こえるけど……無理もねぇか」
洗い物を終えたヒロムは、グラスにアップルジュースを注いだ。
「だってネオだよ?私は普通の考えだと思うけど」
「その言い方……」
ヒロムはジュースを飲みながら私の前に来ると、ため息をついて肩を落とした。違うの?
「まぁいいや。俺もネオの奴はよくわかんねぇし。今日は遅くなったから、車で送ってくわ。続きはまた後な。とりあえずこれで、そこの戸を閉めてくれ」
「うん」
鍵を受け取り、ウーロン茶をグイッと飲み干す。外して簡単にたたんだエプロンをカウンターに置き、出口に歩き出した。私はまた、何か勘違いしてるのかなぁ……。
ヒロムは車の鍵を持って外へ出た。すぐにエンジン音が聞こえてきたので、入り口の戸を閉める。すると、白い箱形のバンが店の前で止まった。
「ナオー、鍵閉めたか?」
助手席の窓が開き、ヒロムがこっちを覗き込んだ。
「うん、はい鍵」
窓から鍵を渡すと、ヒロムは手を伸ばしてそれを受け取った。
「サンキュー。じゃ、乗ってくれ」
「うん」
助手席に乗った私は、ついうつむいてしまった。その態度を気にしてくれたのか、ヒロムはすぐに車を走らせなかった。
「ナオ、お前そんなにネオが気になるのか?」
ヒロムの声に、私は小さく頷いた。
「そう言われると、自分でもよくわからないけど」
チラッとヒロムを見ると、運転席側の窓から外を見ていた。
「まぁ、男の俺から見てもネオのカリスマ性は否定出来ない。レイが惚れるのもわかるわ」
「私は別に!……惚れるとか、そんなんじゃなくて……その」
そうだよ。私は別にネオが好きな訳じゃない。ただ、no nameに対する姿勢が納得できないだけ……。
すると、ヒロムが車を走らせ始めた。
「ちょっとさぁ、寄り道してみるか?」
「どこに行くの?」
「それはな、着いてからのお楽しみだ」
ドライブの行き先
「また冗談?」
「いやいや、これは本気。っていうかこの会話おかしくねぇか?もうちょっと俺を信用してくれよ」
「だって……」
私には、no nameのやってることが本当によくわからないから。
「緊張をほぐすにはな、冗談言って笑わすのが一番なんだよ」
「それはわかるけど……」
するとヒロムは、「ん~」と左手であごをかき始めた。
「ネオねぇ……あいつは冗談すら通じねぇ鬼門だからな。それでもナオなら、突破できるかもしれねぇけどな?」
「無理無理!ネオが一番何を考えてるのかわからないし」
「まぁ、何でもやってみないとわからないだろ?ほれ、着いたぞ」
「え?」
着いたって……ここは駅前じゃん!あ……もう日付は変わったのに、ネオはまだ歌ってる。あれから四時間も経ってるのに。
「あいつまだ18だろ?高校行ってれば三年だぜ?だから遅い時間は辞めろって言ったんだけど聞きゃしねぇ。だから俺も大変でな……」
「そうなんだ」
ヒロムは両腕をハンドルに置き、頭を伏せた。
「ヒロムは、毎日ネオを迎えに来るの?」
「ここならいいんだけどな……」
顔を上げたヒロムは、駅前の駐輪場のある方向を見た。交番を目にした私がまさか……と思った瞬間、ヒロムがガバッと涙目で私を見た。
「だってよぉナオ、あいつここんとこ補導されまくりだぞ?家族がいねぇから、保護者ヅラした俺が警察署まで行くんだぜ?」
「それは……大変だね……」
「……まぁ、たま~にレイに頼むけど……」
ヒロムの苦労が顔に出ていた。交番どころか警察署って……確かにあの警官なら、手に追えなそうだけど。ヒロムやレイは、普段ネオの為にそこまでしてたんだね……。
「ヒロムが家族って言ったけど、no nameって不思議な場所だね。私には、ついて行けないよ……」
「そうか?ナオは素質あると思うけどな?」
「え?」
心配した私がバカだった。ヒロムが悲観したのは一瞬て、今は呑気に鼻をほじってる。
でも素質って言われても、私はサナじゃないから無理だよ……。
「まぁ、縁があって今があるんだろうな。それに、no nameの連中とだって悪いことばかりじゃないだろ?」
「そうだけど……」
ネオの為にここまでするのは、ヒロムにとってはレイの為だよね?それなら私にもわかるけど。
「あれ?アイツ今日はギター下手くそだな。まさかまた喧嘩したのか?」
喧嘩……
「あ!」
「なんだ?ナオ知ってるのか?」
「うん。今日burstに行く途中に絡まれちゃって、ネオが助けてくれたの」
「へぇ、そいつは正当防衛だな。なら、怒るのは無しにするか」
「うん。それでお礼言ったんだけど、ネオに無視されたんだけど……」
「は?お前そんなの気にしてたのか?そいつはいつものことだぞ?アイツの辞書にお礼の文字はねぇからな」
ヒロムも大変なんだね……。
「まぁ、怪我してんならそろそろ帰るだろ。んじゃ、行くか?」
「うん」
それから私の案内で、ヒロムは家まで送ってくれた。車から降りて「ありがとう」と言うと、ヒロムは笑って「明日も頼むな~」と走り去っていった。
これからどうすれば
家に入って湯船に浸かると、あまりの気持ちよさに「あ~」と声が漏れた。でもすぐにno nameのことを思い出すと、ボーっと天井を見つめてしまった。
ヒロムはバイトがno nameと関係ないって言ってた。それなら、どうして私はレイにno nameのメンバーにされたんだろう?バイトは行こうと思うけど……。
その時、ヒロムの言った通りネオのギターがおかしかったことを思い出した。
ネオは、私がno nameのメンバーだと知らなかった。ならどうして、私を助けてくれたんだろう……?
考えてもわかるはずがない。お風呂を出た私は、ベットに倒れてうつ伏せのまま寝てしまった。